京都怪異譚 その13『京都人は嵐山に近づかない』

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京都の中でも人気が高い観光地、「嵐山」。渡月橋、天龍寺、祇王寺、竹林の道など、多くの観光スポットがあって、四季を通じて多くの人が訪れます。ところが、古くから京都に住んでいる人たちは、嵐山に近づきたがらないとよく言われます。一体、それはどうしてなのでしょうか…。

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桓武天皇を苦しめた呪いとは?

奈良の平城京から、京都の平安京に遷都される間に、約7年間、長岡京が都だったことはご存知のことと思います。この長岡京には呪われた歴史があります。

長岡京の造営が始まった翌年の785(延暦4)年に造営を指揮していた藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が、反目勢力であった大伴継人(おおともつぐひと)の謀略により暗殺されてしまいました。

この出来事を知った桓武天皇は、首謀者である大伴継人と暗殺に加担したと思われる数名を処刑し、更に、暗殺に関与したとして、光仁天応(こうにんてんのう)の皇子である早良親王(さわらしんのう)を捕らえ、現在の長岡京市にある乙訓寺(おとくにでら)に幽閉しました。身に覚えのない早良親王は一切の飲み食いを拒否し、無実を訴え続けたのですが、淡路島に流される途中で無念にも餓死してしまいました。それ以降、桓武天皇の周辺では“早良親王の怨念”と言われる出来事が相次いで起きたのです。

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凄絶な早良親王の怨念

早良親王が餓死した翌年の786(延歴5)年に、桓武天皇の妻・旅子(たびこ)の母が亡くなりますが、これが祟りの始まりです。

788(延歴7)年には旅子が亡くなり、その翌年には、桓武天皇の母・高野新笠(たかのにいがき)も病死しました。そして、790(延歴9)年に皇后の乙牟漏(おとむろ)が突然死し、藤原種継の後を受けて長岡京の造営を行っていた人たちが落雷に遭って死亡。その後、長岡京に大洪水が押し寄せ、疫病が大流行して、多くの人々が亡くなるという最悪の事態になりました。そして、ついに伊勢神宮までが何者かに放火されてしまうということまで起こってしまったのです。

これらの出来事はすべて、親王の怨霊の祟りだとした桓武天皇は親王の霊を慰めるために、淡路島にある早良親王の墓に勅使を送り、参拝させ、墓地には墓守を置きました。ところが、それでも祟りは治まらず、桓武天皇は都を別の場所に移すことに決め、長岡京はわずか7年の歴史を閉じることとなったのです。

平安京は結界だらけ

親王の祟りを恐れる桓武天皇は、遷都するに当たり、どの場所が最適であるかを陰陽師に聞くと「玄武に山があり、青龍に川があり、朱雀に池があり、白虎に道がある場所」と言われました。この4つの条件はいわゆる「結界(けっかい)」と言って、怨霊や悪霊から守る霊的なバリアとなるものです。その4つの条件を実際の場所に当てはめてみると、玄武(北の方角)には船岡山、青龍(東の方角)には鴨川、朱雀(南の方角)には巨椋池〔現存していません〕、白虎(西の方角)には山陽道となったことから、後に平安京となる地が新しい都の場所として選ばれたのです。

しかし、それだけでは新しい都を怨霊や悪霊から守るには不十分だと考えた桓武天皇は、さらに東西南北のそれぞれに、“天照大御神(あまてらすおおみかみ)”の弟である“素戔嗚尊(すさのおのみこと)”を祀った「大将軍神社(たいしょうぐんじんじゃ:北と東は大将軍神社、南は大将軍社〔現在の藤森神社〕、西は大将軍八神社)」を置きました。

そして、尚且つ、鬼門(鬼が出入りすると言われる悪い方角)とする北東の方角に、「狸谷山不動尊(たぬきだにさんふどうそん)」、「上賀茂神社」、「下鴨神社」、「上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)」、そして、「比叡山延暦寺」といった超強力な神社仏閣を置き、鉄壁な霊的守護を作ったのです。「よし、これで安心!」と桓武天皇は思ったことでしょう。ところが、ひとつだけ、その守護が手薄な場所があったのです。その場所とは保津川地区にある“嵐山”。嵐山は結界の外に位置していたのです。そのために、嵐山では多くの様々な怪異現象が起きたと言われています。

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嵐山は魔界と繋がっている!

平安時代の頃は、“鬼”は死んだ人の変わった姿だと考えられていました。古来より、嵐山のある保津川地区は「鬼の国」と繋がっており、「黄泉の国」にも通じる場所だとされていました。嵐山に死体が捨てられ、多くの墓が作られたのは、そういう考えがあったからなのです。

『今昔物語』には嵐山に出没する「のっぺらぼう」の話や嵐山でキツネに騙される話などが怪異な話が多くあり、史上最強の鬼とされる「酒呑童子(しゅてんどうじ)」も嵐山のある保津川地区が発祥とされています。こんなにも多くの怪異が起こるのは、桓武天皇が敷いた結界が余りにも強力なため、鬼たちは中に入ることが出来ず、結界の外側にある嵐山に集まってきたからなのです。

日本人は「死」を「美」とする概念があります。嵐山が四季を通じて美しいのは、古都1200年の「死」があったからかもしれません。でも、京都に古くから暮らす京都人たちは、多くの「死」や「呪い」の歴史がある場所であることを知っているので、今でも嵐山には近づきたがらないのです。

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(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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