シリーズ『一風変わった京の地名』その1

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1200年の歴史を持つ京都には、一風変わった地名がたくさんあります。ユニークであったり、おどろおどろしいかったり、いかにも、いわくがありそうだったり…。

ところで、そのような一風変わった地名を見たとき、「何て、読むんだろう…」と悩まれたことはありませんか? 表記されている字だけでは、読みようがなかったり、まったく違った読みをしてしまったという経験をされた方は意外と多いと思います。

と、言うことで、そんな京都の一風変わった地名をシリーズでいろいろとご紹介しましょう。では、今回、お話しする一風変わった京の地名は?

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京の埋葬の地

『化野』

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この地名は京都市右京区の嵯峨野にある地名です。「化野」は“化=化ける”で「ばけの」と読む人もいるようですが、正しくは「あだしの」と読みます。

「野」という字には“墓場”という意味があり、京都の地名で「※※野」という場所、例えば、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)、紫野(むらさきの)などは葬送の地とされていました。化野も古くからの京都の埋葬地のひとつで、明治の初期頃まで処刑された罪人や行き倒れた人の遺体が捨てられていた場所だったようです。

身分の高い人以外は、今のように火葬にするという習慣がなく、遺体は野ざらしにする“風葬”が一般的でした。そのために、この地の辺り一帯には、無数の遺骨が散乱していたそうです。そういうことから、“はかない・空しい”という意味を持つ「化=あだし」が墓場を意味する「野」につけられて、「化野(あだしの)」と呼ばれるようになったのです。

化野にある「化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)」には、約8,000体もの石仏が境内に敷き詰めるように並べられていますが、そのほとんどが無縁仏です。恐らく、それらは化野で風葬された人たちなのでしょう。このお寺では、毎年8月の23日と24日に無数のローソクを立てて、無縁仏を供養する「千灯供養(せんとうくよう)」が行われます。

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三大随筆のひとつ、吉田兼好の「徒然草」の中に『あだし野の露消ゆる時なく、烏部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん』と書かれていますが、兼好法師も化野を遠くに見て、人の無情を思ったのでしょうか…。

河内国の豪族が暮らした場所

『物集女』

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この地名は京都市の南西にある京都府向日市にある地名です。字だけ見ると、“物を集める女”とあるので、何やら女性のコレクターが住んでいそうな場所に思えてしまいますが、そのまま読むと、“ものあつめおんな”、無理からに読むと“ぶっしゅうめ”と、どうも地名らしくない読みになってしまいます。実は「物集女」は「もずめ」と読みます。

昔、河内国の大鳥郡百舌鳥(現在の大阪府堺市あたり)に、仁徳天皇陵の造営にも関わったとされる“物集女氏(もずめし)”と呼ばれる豪族がいましたが、その豪族が京都のこの地に移り住んできたことから「物集女(もずめ)」という地名になったとのことです。

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河内国の百舌鳥(もず)は、野鳥のモズに由来するそうですが、平安中期に作られた「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」という辞書には「物集」と書いて「もず」と読んでいたとあります。室町時代の頃まで、物集女氏と呼ばれる武家もあったそうなので、「物集女」という地名は一見、妙に思えますが、本当は由緒ある地名なのです。

京都で最も難解で難読な地名

『一口』

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漢字の“一(いち)”と“口(くち)”で、何と読みますか? 普通は“ひとくち”と読みますよね。でも、京都府の久御山町(くみやまちょう)にある「一口」という地名は「いもあらい」と読みます。「一口(いもあらい)」は京都府の中で最も難解で、難読な地名だと言われているのですが、これはもはや難読という次元ではなく、知っていないと絶対に読むことができない地名ですよね。それにしても、どうして一口を「いもあらい」と読むのでしょうか。

まずは「一口」の表記について。久御山町には昭和の初期まで、京都府で最大の面積を持つ淡水湖「巨椋池(おぐらいけ)」がありましたが、その辺りにあった集落は三方(東・南・北)をその巨椋池に囲まれていて、村の入り口は一方(西)にしかなかったそうです。そのために一カ所しか入り口ないことから「一口」と表記されるようになったと言われています。

次に「一口」という漢字を「いもあらい」と読むようになった理由ですが、これに関しては説がいくつもあります。

説1:弘法大師が巨椋池のそばを通りかかると、農夫が池で洗い物をしていたので、大師が「何を洗っているのか」と尋ねたところ、農夫は「芋です」と答えて、ひとくちで芋を口に入れたことから、“いもあらい”と読まれるようになったという説。

説2:巨椋池には大小たくさんの島があって、それがまるで芋を洗うような景観であったことから、“いもあらい”と読まれるようになったという説。

説3:農村では初めて耕地を耕すときに、土地を神様から貰うための「地貰い(じもらい)」と呼ばれる神事が行われていましたが、この「地貰い」が「いもあらい」に変わったとする説。

説4:この一口は宇治や京都への水上交通の入り口でしたが、そこには穢瘡(えも)、疱瘡(ほうそう)といった疫病の都への侵入を防ぐためのお祓い所がありました。そのお祓い所で穢瘡(えも)を洗い流すということから、「えも」が「いも」に変わり、「いもあらい」と読まれるようになったという説。

まだ他にも説はあるようなのですが、本来、地名の語源はひとつであるものです。にもかかわらず、これほど多くの説が存在するということは、長い歴史の中で、無理な解釈やこじつけがあって、さらに珍解釈がされたということなのでしょうか…。「一口(いもあらい)」の読みの由来は今も謎のままです。

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(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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