京の七不思議 その7『出水の七不思議』

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小さな寺院が密集する出水

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上京区の七本松通から西へ、烏丸通(からすまどおり)までのわずか1.6キロメートルほどの東西の短い通りを、“出水通(でみずどおり)”と言います。“出水”と字にあるように、昔、烏丸通の西に湧泉があって、その水が時々溢れることで道が浸水したことから、出水通りと呼ばれるようになりました。この通りの北側には、小さな寺院が密集していますが、いつの間にか、そこに七不思議が伝えられるようになりました。今回は「出水(でみず)の七不思議」の話をしましょう。

出水の七不思議とは!?

出水の七不思議:その1「日限薬師(ひぎりやくし):地福寺(ちふくじ)」

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京都十二薬師霊場会のひとつ、第五番札所の地福寺。無病息災、病気平癒などのご利益があるとされる地福寺は弘仁年間(810~824年)に空海の十大弟子のひとり、真済(しんぜい)という僧が第52代嵯峨天皇(さがてんのう)の勅許により、太秦安井(うずまさやすい)に開いたのが始まりとされています。その後、享保年間(1716~1735年)に道空和上が、公家の鷹司家(たかつかさけ)の北政所(きたのまんどころ)の病気を祈祷により治したことを切っ掛けに、現在の場所に移されました。観光客も訪れない、小さなお寺ですが、このお寺のご本尊である薬師如来像が出水の七不思議のひとつとされています。

地福寺の薬師如来像には、小さな穴が空いた石のその穴に、5色の紐を通して薬師如来に奉納し、49日間祈願したら、耳の病気が治ったという不思議な言い伝えが残されているのです。そういうことがあってから、この薬師如来は“耳の神様”とされ、特に耳の病気にご利益があると言われるようになったのです。

ところで、この薬師如来は通称「日限薬師(ひぎりやくし)」と呼ばれていますが、それは、祈願する日数を自分で決める、つまり、49日間とか、100日間とかといったように、期限を決めて祈願することから、このような呼び名になったそうです。祈願する日数を自分で決めれるということは、例えば1週間や2週間という短い期間でも願いは聞いて貰えるのでしょうか…。たぶん、それはダメでしょうね……。

地福寺:京都市上京区七本松通出水下ル七条町356 TEL : 075-841-7630

出水の七不思議:その2「三つ門(みつもん)と金谷水(きんこくすい):極楽寺(ごくらくじ)」

浄土宗のお寺、極楽寺。このお寺には2つの不思議があります。

まず、1つ目の不思議は、山門。一見、ごく普通の、何の変哲もない山門に見えますが、社寺をよく訪れる方なら、その妙さに気づかれるもしれません。その不思議とは、極楽寺の山門に小袖門(こそでもん:潜り戸)が2つあることです。

小袖門は中央の門のどちらかの脇に1つあるのが、普通です。それが、両脇にあるとは、なんとも風変わりな山門です。このように大門1つに、小袖門2つで、全部で3つの門があることから、この山門は「三つ門」と呼ばれています。見たままのネーミングですが…。

因みに、どうして小袖門が2つもあるのかは、未だにわからないそうです。通常の出入りは小袖門を使うわけですから、両方にあれば、便利だと思いますが、小袖門を2つ作ったのは、案外、そんな程度の理由なのかもしれませんね。

もうひとつの不思議は、極楽寺にある井戸水です。この水はお寺の山号が金谷山(きんこうさん)であることから「金谷水(きんこくすい」と呼ばれる名水です。別名「勝井戸(かちいど)」とも呼ばれ、この水を飲んで勝負事に挑むと、必ず勝つと言われています。

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また、この金谷水は1587(天正15)年10月1日に、北野天満宮の境内で行われた豊臣秀吉主催の茶会、「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」で使われた水でもあります。5,000人もの大規模な茶会に使われたわけですから、金谷水はまさに“名水中の名水”と言えるでしょう。

極楽寺:京都市上京区七本松通出水下ル三番282 TEL : 075-811-0807

出水の七不思議:その3「百叩きの門(ひゃくたたきのもん):観音寺(かんのんじ)」

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上京区の七本松通と出水通が交差するところにあるお寺が、観音寺です。このお寺には出水の七不思議のひとつに数えられている「百叩きの門」と呼ばれる山門があります。この山門は、もともとは豊臣秀吉が贅を尽くして建てたと言われる伏見城の牢獄の門で、罪人はこの門の前で100回、青竹で叩かれた後、釈放されたのですが、中には、あまりの痛みのため、その場で息絶える罪人も少なくなかったようです。そういうことがあって、「百叩きの門」と呼ばれるようになったそうです。

豊臣家が滅んだ後、「百叩きの門」は、ここ観音寺に移設されたわけですが、それから後、「観音寺さんの前を通ると、人の泣き声が聞こえる」という噂が広まり出したのです。その噂を知った住職がその原因を調べていると、突然、風が吹き、門の脇にある小袖門が自然に開いて、そこから、呻くような人の声が聞こえてきたのです。この声を聞いた住職は、この門には罪人の恨みが取り憑いているとして、100日の間、食を断ち、念仏を唱え続けたのです。すると、それからは人の声はしなくなったと伝えられています。

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呻き声は単に、小袖門の扉の建て付けが悪かったために、風で開いた扉が擦れて「ギィー」と音がしただけのことだったのではと、思ったりもするのですが…。

(この「百叩きの門」については「京都怪異端 10」で詳しく紹介しています。)

観音寺:京都市上京区七本松通出水下ル三番28 TEL : 075-841-7069

出水の七不思議:その4「寝釈迦(ねしゃか):五劫院(ごこういん)」

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浄土宗の尼寺、五劫院。このお寺に言い伝えられている不思議は、ちょっと判りづらいかもしれません。五劫院の不思議も山門にあるのですが、それは門の脇にある小袖門の上にある框(かまち)の木目がお釈迦様の寝姿に見えるというものです。確かに、そう言われて、じーっと見ていると、頭を右にして、仰向けになって寝ている姿に見えてきます。

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お釈迦様が寝ている姿と聞いて、思い浮かぶのは「涅槃図(ねはんず)」。涅槃図の場合は、頭を北の方角に向けていますが、このお釈迦様は、「西方浄土(さいほうじょうど)」と呼ばれる極楽浄土がある西の方角に頭を向けています。

通称、「寝釈迦」と呼ばれる不思議は、こじつけられたもののように思えなくもないですが、そういう胡散臭さがあることも、不思議と言われる所以なのかもしれませんね。

五劫院:京都市上京区出水通六軒町西入ル七番町348 TEL : 075-801-3927

出水の七不思議:その5「浮かれ猫の絵馬(うかれねこのえま):光清寺(こうせいじ)」

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光清寺は1669(寛文9)年に、伏見宮貞致親王(ふしのみやさだゆきしんのう)が生母を弔うために建立されたお寺です。この境内にある弁天堂には猫と牡丹と蝶が描かれた絵馬が掛けられています。この絵馬は通称、「浮かれ猫の絵馬」と呼ばれていますが、この絵馬に七不思議の1つに数えられる、不思議な話が伝わっています。

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江戸時代の終わり頃のこと。光清寺の近くにある五番町遊郭から三味線のいい音色が聞こえてくる夕暮れになると、その三味線の音に誘われるように、弁天堂に掛けられた絵馬から猫が浮かれ出し、女性の姿に化けて踊るようになりました。それを見た人たちは大騒ぎになり、その騒ぎを知った光清寺の住職は、法力で浮かれ出した猫を絵馬に封じ込めました。

すると、その日の夜遅く、住職の枕元に正装をした武士が現れ、「私は絵馬の猫の化身だが、絵馬に封じ込められて、とても不自由な思いをしている。これからは、世間を騒がすようなことはしないので、どうか許してもらいたい」と懇願したのです。それを哀れに思った住職は戒めを解いたのでした。それからは、浮かれ猫の姿を見たものは誰もいないとのことです。

このような言い伝えが残されていることから、この弁天堂は、芸事、特に三味線の上達にご利益があると言われています。それにしても、三味線の音色につられて絵馬から出てくるとは、その三味線の音はよほど風情のある、いい音だったのでしょうね。

光清寺:京都市上京区出水通六軒町西入ル七番町339 TEL : 075-841-5630

出水の七不思議:その6「時雨松(しぐれまつ)と五色椿(ごしきつばき):華光寺(げこうじ)」

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華光寺は1583(天正11)年に京都にある妙顕寺(みょうけんじ)の12世日堯(にちぎょう)上人が、豊臣秀吉の援助を受けて創建された日蓮宗のお寺です。本堂には秀吉が伏見城内で祀っていた毘沙門天像が安置されており、開運・厄除けのご利益があるとされています。

さて、この華光寺に伝わる不思議は2つありました。“ありました”とすると、過去のことになりますが、実は、このお寺に伝わる不思議は、今はもう見ることはできないのです。

境内には秀吉が植えたとされる松の木がありました。これが不思議のひとつとされている松で、晴れていて雨など降っていないにも拘わらず、枝からボタボタと滴がいつも落ちていたそうです。その様がまるで時雨のようだったことから、この松は「時雨松(しぐれまつ)」と呼ばれたそうです。

時雨松は、大正時代まではまだ元気だったそうですが、その後、枯れてしまい、今は境内の梵鐘の下に枯れた根株だけが残されています。現在、本堂の前には時雨松の子孫とされる松が植えられていますが、この松の枝からは、滴が落ちてくることはないようです。

そして、もうひとつの不思議は、椿(つばき)です。30年前頃まであった椿で、不思議なことに5色の花を咲かしたと言われています。普通、椿の花と言えば、赤か白ですが、5色であれば、黄や青、紫といった色の花を咲かしていたのでしょうか…。なんとも珍しい椿だったのですね。

どちらの不思議も、今は見ることができないわけですが、それがかえって不思議さを増しているのかもしれません。

華光寺:京都市上京区出水通六軒町西入ル七番町331 TEL : 075-841-5807

出水の七不思議:その7「応挙の幽霊(おうきょうのゆうれい):玉蔵院(ぎょくぞういん)」

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出水界隈には多くのお寺が軒を連ねていますが、その中にある玉蔵院という臨済宗のお寺に伝わる不思議は江戸時代の絵師・円山応挙(まるやまおうきょ)が描いたとされる掛け軸です。

応挙が長崎に旅したとき、あるひとりの遊女に出会いました。この女性は肺病(結核)を患っていて、ひどくやせ衰えていました。素性を聞くと、この女性は京都の三条あたりに住んでいましたが、拉致され、長崎に連れてこられたと答えました。応挙はその女性を不憫に思い、その女性の姿を掛け軸に描いたのです。やせ衰えた女性を描いたために、それがあたかも幽霊のように見えたので、その掛け軸には「応挙の幽霊」という名が付けられました。

ところが、この「応挙の幽霊」は数十年前に、忽然と玉蔵院から消えてしまったのです。誰が持ち出しのか、そして、どこへ行ってしまったのか…。応挙が掛け軸に描いた女性は、本当は幽霊だったのかもしれません。だから、消えてしまった…。不思議なことです。

「応挙の幽霊」はその後、最近になって、祇園にある建仁寺の塔頭・大統院で見つかりました。ただ、どうして、そこにあったのか、そして、どうして最近までみつからなかったのかは、今でもわからないそうです。本当に不思議なことです。

玉蔵院:京都市上京区出水通六軒町東入ル七番町326 TEL : 075-811-3954

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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