京都怪異譚 その10『百叩きの門~人のうめき声がするお寺の門』

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京都市上京区に“出水(でみず)”という地名があります。その名の通り、この界隈には古くから豊富な名水が湧き、かつては造り酒屋が軒を並べたところです。

その出水の西のはずれに、「観音寺(かんのんじ)」という浄土宗の小さなお寺があります。このお寺には、立派な門がありますが、この門は「百叩きの門(ひゃくたたきのもん)」と呼ばれ、“千本出水の七不思議”のひとつに挙げられている、いわくのある門なのです。

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もとは伏見城の牢獄の門だった

この門は、豊臣秀吉が贅を尽くして建てたという桃山時代最大の建築物であった伏見城(聚楽殿)の牢獄の門だったと言われています。楠木の一枚板で作られた、高さ2.5メートルの扉には、華美なものを好み、牢獄門にさえ金力を惜しまなかった秀吉の気質がうかがえます。

豊臣家の滅亡後、入城した徳川家康は秀吉とはまったく逆で、華美なものを嫌い、城門は二条城と西本願寺に、そして、牢獄門はここ観音寺に移築したのです。この牢獄門がどうして観音寺に移築されたかは、天明の大火で創建当時の記録は焼失し、それを確かめる術はありませんが、この門にまつわる恐ろしい話は今も言い伝えられています。

「百叩きの門」から聞こえてくる人のうめき声

桃山時代は、海外との交易が盛んで、雄大豪華な文化が花開いた時代でしたが、その反面、度重なる戦や築城による徴税で庶民にとって生活するには苦しい時代でした。そのため、町では盗みが横行し、浮浪者も増え、京の治安は悪化する一方でした。

そんな世の中ですから、罪人を入れる伏見城の牢獄はたちまちに満杯になってしまい、罪人を収容する場所がないという理由から、罪の軽い罪人はその牢獄の門の前で100回叩く、「百叩きの刑」で済まされ、解き放されたのでした。

ただ百叩きとはいえ、青竹で力任せに打つわけですから、皮膚は裂け、骨は砕け、中には血を吐いて息絶えた罪人もいたといいます。そういった時代が長く続いた後、家康の時代になると、伏見城は解体され、牢獄の門は観音寺の門として、再利用されることになったのです。

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門が移築されてほどない頃、門前に住む人たちの間で「夜中に観音寺さんの前を通ると、人の泣き声がする」という噂が出始め、みるみるうちにその噂は広まり、夜になると、誰も観音寺に近づかなくなりました。

これは困ったことだと、住職はその真相を確かめるために、夜中に木陰から門を見ていると、突然、風がサァーと吹き、門に向かって右にある小さなくぐり戸が、スゥーッと開くと、そこから「うっ、うううぅ……」と苦しそうな人のうめき声が聞こえてきたのです。それは、悲しく、泣き叫ぶようでもあったそうです。

その声を聞いた住職は「これはきっとこの門には無念のまま死んだ罪人の霊が取り憑いているに違いない」と考え、それから百日の間、断食をして、念仏を唱え続けたのでした。その後、罪人の霊は成仏したのか、二度とうめき声が聞かれることはなかったといいます。

今も、もしかすると…

現在、そのくぐり戸は釘付けされて、封印されているため、開けることはできないそうです。しかし、もしかするとその釘を抜いて封印を解けば、今でも夜中になると、くぐり戸がギィーと音をたてて開くかもしれませんね。そして、うめき声が…。

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観音寺:京都市上京区七本松通出水下ル三番町28 

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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