一文橋と上津屋橋 ~日本初の有料橋と日本最長の流れ橋

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京都の川に架かる橋には興味深い由来や言い伝えがあるものが多くあります。

京都府南部を流れる小畑川にある「一文橋(いちもんばし)」と、木津川にある橋「上津屋橋(こうづやばし)」にも言い伝えやエピソードのある橋として知られています。今回は「一文橋」と「上津屋橋」の話をしましょう。

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「一文橋」の由来

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「一文橋(いちもんばし)」は、京都市の隣り、南西方向に位置する向日市(むこうし)と長岡京市の境界辺りを流れる小畑川に架かる橋です。

小畑川は、京都市西京区の追ノ坂辺りから始まり、今の洛西ニュータウンを経て、長岡京市を南北に流れ、大山崎町で桂川に合流する短い小さな川です。その小畑川と京都の東寺口から、兵庫県西宮に至る西国街道が交差する位置に一文橋があります。

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小畑川は洛西や流域の乙訓(おとくに)地区で大雨が降ると洪水になる、いわゆる“暴れ川”ですが、記録によると小畑川の洪水は室町時代の頃から度々、起きていたようで、一文橋も洪水の度に流されていたそうです。

橋が流されると、当然、街道の往来ができなくなり、住民の生活にも大きなマイナス面が生じるわけですから、早急に新しく橋を作り直さなければなりません。ところが、橋を作るには莫大な費用が掛かり、幕府にとっては大きな負担になっていたのです。

そこで、幕府が考えたのが、橋の袂に橋守なる管理人を置き、橋を渡る人から通行料として一文を徴収し、そのお金を橋の工事費に充てるというものでした。この当時、橋を通るためにお金を払うということは前代未聞のことで、それが巷の話題になり、このことから、この橋は「一文橋」と呼ばれるようになったのです。

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「一文橋」にまつわるエピソード

一文とは言え、橋を渡るためのお金を払うことに納得のいかない人や貧しい人は、川を泳いで渡りました。しかし、その中には橋守に見つけられ、捕らわれる者もいて、時にはその場で斬り捨てられた人もいたそうです。そのようなことがあったためか、夜になると橋の周りにはたくさんの人魂が飛び交い、「橋を渡らせろ~」という恨めしい声が一晩中、聞こえたそうです。

ところが、通行料が払えない貧しい人が橋を渡ろうとするのをわざと素知らぬ顔で見過ごす、心優しい橋守もいたそうです。この橋守の名は“半兵衛”といい、この半兵衛がとった行動から、素知らぬふりをするという意味の慣用句『知らぬ顔の半兵衛』が生まれたと言われています。見て見ぬふりをするときなどに「知らぬ顔の半兵衛を決め込む」といった言い方をしますが、この言葉にある“半兵衛”とは、一文橋の橋守のことだったんですね。なるほど…。

現在の一文橋の袂には、一文銭が象られた石碑が置かれています。今では、一文橋は特徴のない、どこにでもあるようなありふれた橋ですが、その昔は、日本で初めての有料の橋として知られた橋だったのです。

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「上津屋橋」は実用性のない!?

淀川水系のひとつ、京都府の南部を流れる木津川に「上津屋橋(こうづやばし)」という名の、一風変わった橋があります。

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一般的に橋は自然災害などを考慮し、耐久性の高い、強固な構造と材料(コンクリートや鋼鉄)を用いて作られます。ところが、上津屋橋の材料はすべて木。しかも壊れることを前提に作られているといいますから、これを聞く限り、かなり危険で、実用性のような橋に思えますよね。でも、この上津屋橋は京都府の八幡市(やわたし)と久御山町(くみやまちょう)を結ぶ、地域住民の大切な生活道路として、今も重要な役割を担っている橋なのです。

特殊な構造を持つ橋

上津屋橋は川が増水すると橋桁(はしげた)が流される構造になっているのですが、これは日本をはじめ、オーストラリアやアイルランドなどで見られる橋の形式のひとつで、“流れ橋(ながればし)”と呼ばれています。

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橋桁と橋脚が一体となっている橋は、川が増水すると、橋全体が破壊され、流失してしまうことがありますが、流れ橋は橋桁が固定されていないために、水圧を受ける橋桁だけが流され、橋の最も肝心な部分である橋脚は流失しません。そのため、橋が流されても、残った橋脚に桁を架け直すだけで容易く橋を元通りに戻せるというメリットがあるのです。

昔は河川の洪水に耐えれるほどの橋を作るまでの技術はありませんでした。そのため発想を変えて、あえて流れに逆らわず、橋桁の部分が分解する柔軟な構造が考え出されたのです。

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流れ橋の構造を持つ橋は現在でも数多く存在し、岡山県の小田川に架かる「観月橋(かんげつきょう)」や茨城県の小貝川に架かる「小目沼橋(おめぬまばし)」などもよく知られています。その中でも、全長356.5メートル、幅3.3メートルの上津屋橋は、流れ橋として日本最長を誇る橋です。

流されては直される、復活の橋

上津屋橋が建設されたのは1953(昭和28)年のことで、それ以降、台風などによる川の増水により、流されては直し、また流されて直すを繰り返し、現在に至る62年間で、なんと21回も流されているのです。その21回目の流出は、昨年(2014年)の8月に発生した台風11号による増水が原因で起きました。

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新しい上津屋橋は木造を主体にするものの、流出リスクを低減する形で一部橋脚をコンクリート製に変更し、強化プラスチックを採用するなど強度を高めた橋として、年度内に甦る予定で計画されていましたが、何か問題があったのか、現状としては工事は進まず、橋脚だけが残る侘しい姿のままになっています。

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古き時代の風情が残る上津屋橋。手摺りがなく、河原も自然のままの状態で残され、周辺には目立つ建物もほとんどないことから、昔から時代劇のロケ地として使われてきました。越後のちりめん問屋の御一行様が、暴れん坊将軍・吉宗が、そして、中村主水が渡った流れ橋。あの懐かしい、風情ある姿をもう一度、見たいものです。

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【追記】上津屋橋は2016年3月に、京都府が約3億7千万円をかけて、木製だった橋脚の一部をコンクリートにするなど増水や流木の影響を受けにくい「流れにくい流れ橋」として生まれ変わりました。

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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