京の七不思議 その1『知恩院の七不思議』

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世の中には、どうも説明がつかず、理解できない現象や奇異な言い伝えが多くありますが、日本では古くから、それらを7つにまとめる慣わしがあり、それを“七不思議”と呼んできました。

古都・京都にも七不思議と称せられる逸話や伝説が数多く、残っています。それは『永観堂の七不思議』、『清水寺の七不思議』、『上賀茂神社の七不思議』、『下鴨神社の七不思議』、『北野天満宮の七不思議』、『知恩院の七不思議』、『西本願寺の七不思議』、『伏見稲荷大社の七不思議』、『八坂神社の七不思議』、『新京極の七不思議』、『出水の七不思議』、『堀川通の七不思議』などなど。今回は、その京都の七不思議の中でも名高い「知恩院(ちおんいん)の七不思議」の話をしましょう。

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法然上人が開いたお寺

東山の華頂山の麓にある知恩院は、浄土宗の開祖・法然上人が「南無阿弥陀仏」と一心に唱えることにより、人々が救われるとされる“専修念仏(せんじゅねんぶつ)”を説くため、1175(承安5)年に、この地に草庵を建てたことが始まりとされています。

三門と御影堂 〜国内最大級の木造建築物

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知恩院を訪ねると、まず、巨大な三門に圧倒されます。国内最大の三門の下に立って見上げると、よくぞ、木造でこれほどの大きな建物が造れたものだと感心するほどです。因みに、寺院の門は“山門”と表するのが一般的ですが、知恩院の門は“三門”と書きます。これには悟りに通じると言われる「空門(くうもん)」、「無相門(むそうもん)」、「無願門(むがんもん)」を意味しています。

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三門を抜け、男坂と呼ばれる幅の広い石段を登ると、そこに、またしても巨大な建物が目の前に現れます。この建物は開祖・法然上人の御影(みえい)が祀られている「御影堂(みえいどう)」という建物で、これもまた国内最大級の木造建築物と言われています。このような壮大な伽藍が建ち並ぶ知恩院に、七不思議があるのです。(現在、御影堂は大修理が行われており、竣工予定は2019(平成31)年です。)

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知恩院の七不思議とは!?

知恩院の七不思議:その1「白木の棺(しらきのひつぎ)」

三門の楼上に、“開けずの棺”と呼ばれる白木の棺が2つ、置かれています。その棺の中には、三門を建てた大工の棟梁、五味金右衛門(ごみきんえもん)とその妻の木像が入っています。

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将軍家から、三門の造営を命じられた金右衛門はこれ以上にない立派な門を造ることを決心し、その意思の表現として、自らで自分たち夫婦の像を造り、三門の建設にあたりました。そして、見事に立派な三門が完成しました。

ところが、建築予算が超過していることが発覚し、五味夫妻はその責任を取って、自ら命を絶ってしまうのです。それは余りにも可哀想だということで、この夫妻を弔うために、自作の像を白木の棺に収め、今も三門の楼上に安置されているのです。

知恩院の七不思議:その2「忘れ傘(わすれがさ)」

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御影堂の正面の軒裏をよく見ると、かすかに傘の柄が見えます。この傘には2つの説がありますが、そのひとつは、江戸初期の建築彫刻の名人とされる、左甚五郎が魔除けのために置いたという説。もうひとつは御影堂の建設によって、住みかを追いやられた白ぎつねが、知恩院の僧侶に新しい住みかを作ってもらったお礼として、知恩院を守ることを約束し、傘を置いたという説です。

2つの説は、まったく違うものですが、いずれにしても、傘は雨が降るときに使われるもので、水と関係があることから、火除けの意味として、今も信じられています。それにしても、日頃、目に付かない軒裏に、ほんのわずかだけ傘の柄が見えるように置くなんて、洒落っ気があって面白いじゃないですか。

知恩院の七不思議:その3「鶯張りの廊下(うぐいすばりのろうか)」

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御影堂からその裏手の小方丈(こほうじょう)にまで続く約550メートルもある廊下は、歩くとウグイスの「ホーケキョ」と鳴く声に似たような音が出ます。

この音の出る廊下は、外からの侵入者を知るための警報装置としての役割があったとされています。不思議なことに、音を鳴らさないようにと静かに歩けば歩くほど、音が出る仕組みになっているそうです。そのために、「忍び返し」という別名があるほどです。誰が作ったのかはわかりませんが、当時の大工さんの技術には只ならぬものを感じます。

知恩院の七不思議:その4「抜け雀(ぬけすずめ)」

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大方丈の菊の間に、江戸時代前期の画家の狩野信政が描いたとされる襖絵があります。今見ると、菊のような白い花と川が描かれているだけですが、当初は襖の真ん中辺りに雀が数羽、描かれていたそうです。その描かれたはずの雀の絵が今は消えているのは、その雀があまりに見事なため、ある日、雀は命を授かって、絵から抜け出し、飛び去って行ってしまったからだと言われています。

黒っぽい染みのような部分が、雀が描かれていたとされるところですが、確かに、その部分に絵が描かれている方が全体のバランスは良く、もし、最初から何も描かれていなかったとしたら、その空間の空き方は不自然に思えます。そう考えると、そこに何かが描かれていたことは間違いないことではないでしょうか。

知恩院の七不思議:その5「三方正面真向の猫(さんぽうしょめんまむこのねこ)」

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大方丈の廊下の杉戸に狩野信政が描いたとされる親子の猫の絵があります。どの方向から見ても、親猫は見る人を正面から睨んでいるように見えることから、“三方正面真向”と呼ばれます。

これは親猫が子猫を守っている様子を描いたものですが、親が子を思う心、つまり、仏様が私たちを見守るという慈悲の心を表現しているのだそうです。

知恩院の七不思議:その6「大杓子(おおしゃくし)」

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長さ2.5メートル、重さ約30キロもある杓子が、大方丈入り口の廊下の梁の上に置かれています。杓子はご飯をすくうものですが、その「すくう」を「救う」に掛けて、すべての人々を救うという意味を表し、また、杓子が巨大であることは、仏様の救いが大きいということを表していると言われています。

他にもこの大杓子には、真田十勇士のひとりとして知られる三好青海入道(みよしせいかいにゅうどう)が、大坂夏の陣で、この大杓子を振り回して大暴れしたとか、兵にこの大杓子で飯を振る舞ったなどの言い伝えもあります。

こんなに巨大な杓子が存在していること自体、まさに不思議なことですが、何故、わざわざ梁の上に置かれたのかも、また不思議なことですね。

知恩院の七不思議:その7「瓜生石(うりゅうせき)」

三門の北にある黒門への登り口にその巨石はあります。この巨石から、誰も植えた覚えがないのに、突然、瓜のつるが伸び、花が咲いて、実をつけたことから、この巨石は“瓜生石”と呼ばれるようになったと言われています。

その他にも、八坂神社の牛頭大王(ごずだいおう)がこの巨石に降臨し、一夜のうちに瓜が生えて実ったとか、この巨石の下には二条城へ続く抜け道があるとか、巨石がある場所は隕石が落ちてきた場所だというような様々な言い伝えが残されています。見た感じはあまりパッとしない古ぼけた石ですが、その不思議さにおいては一級品のようです。

悠久の歴史を持つ知恩院の七不思議に出会って、ひと味違った京都の奥深さが実感してみませんか。

知恩院:京都市東山区林下町400 TEL : 075-531-2111 

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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