時代祭 ~2,000人が演じる雅らかな歴史絵巻

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京都では、1年を通じて祭事や神事が毎日どこかで行われていいますが、その中でも初夏の「葵祭(あおいまつり)」、盛夏の「祇園祭(ぎおんまつり)」、秋の「時代祭(じだいまつり)」の3つの祭事は、“京都三大祭”と呼ばれ、毎年、多くの人で賑わいます。

今回はその中のひとつ、毎年、10月22日に行われる「時代祭」の話をしましょう。

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京都の中では意外に新しい祭

京都を代表する3つのお祭り。今から1400年前の欽明天皇の頃を起源とする、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ:下鴨神社)と賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ:上賀茂神社)の祭礼「葵祭」。約1100年前に神泉苑に日本の国の数の矛を66本立て、祇園の神に災いを取り払うための祈ったことが始まりとされる、八坂神社の祭礼「祇園祭」。そして、「時代祭」はというと…、実はこれが他の2つのお祭りに比べものにならないほど、歴史の浅い、新しいお祭りなのです。

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毎年、10月22日に行われる「時代祭」は、平安神宮の祭礼です。“平安”や“時代”とあるだけに、平安の頃、桓武天皇の時代から続く歴史のある祭だと思われるかもしれませんが、実は平安神宮も時代祭も京都の長い歴史においては新参者なのです。

時代は明治に移り、東京遷都とともに天皇が京都から離れると、京都の街は次第に活気を失っていきました。そこで、街が衰退して行くことに危機感を持った当時の京都府知事・槇村正直(まきむら まさなお)や京都府顧問の山本覚馬(やまもと かくま:新島八重の兄)らが、京都の街の近代化に乗り出しました。

平安神宮は博覧会のパビリオンだった!

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槇村氏と山本氏が中心となって考えられた近代京都の街づくり計画のひとつに、京都での博覧会開催があり、その計画に基づいて、1895(明治28)年4月に左京区の岡崎地域で「第4回内国勧業博覧会」が行われました。

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その博覧会の目玉として、平安京にあった大極殿を8分の5のサイズに縮小した建物が作られ、博覧会開幕前日に桓武天皇を御祭神として迎えたのです。これが「平安神宮」の始まりです。こういった経緯からすると、平安神宮は元々は“博覧会のパビリオン”だったわけですね。

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2,000人、2kmに及ぶ歴史絵巻

そして、博覧会が行われた年が平安京遷都から1100年の節目だったことから、その年の10月25日に記念祭が催され、そのイベントとして“時代行列”が行われました。記録によると、この時は6つの行列しかなかったようですが、この“時代行列”が「時代祭」の始まりとなるのです。翌年から時代行列は平安神宮の祭礼として、桓武天皇が794(延暦13)年に都を長岡京から平安京に遷した10月22日に行われるようになりました。

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時代祭は「京都三大祭」のひとつとは言え、葵祭や祇園祭が1000年以上続いているのに対して、まだ120年ほどの歴史しかない、京都の中では新しいお祭りなのです。

時代祭は、平安から幕末までの様々な衣装を身に纏った人たちが練り歩く、言わば、パレードで、その参加人数は2,000人にもなるという大規模なお祭りです。

戊辰戦争の際、朝廷のために官軍としていち早く駆けつけたと言われる山国隊(やまぐにたい:丹波国桑田郡山国郷〔現在の京都市右京区京北〕で結成された農兵隊)を先頭に時代を遡り、平安京が造営された延暦時代までの行列の長さは約2Kmにもわたります。

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行列には人だけではなく、馬約70頭、牛2頭も参加し、各時代の衣装の再現には厳密な時代考証がなされ、貴重な調度品類は1,200点にも及びます。その雅な華やかさは圧巻! まるでリアルな歴史絵巻を見ているかのようです。

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2006年以前にはなかった行列とは?

ところで、時代祭の行列の順番はご存知でしょうか? 祭りの当初から行列は、列の数は変わりましたが、維新の時代から平安時代へと時代を遡ることに変わらず、現在では次の並び順になっています。

  1. 維新勤皇隊列(山国隊)
  2. 維新志士列(桂小五郎、坂本龍馬、西郷吉之助、中岡慎太郎、高杉晋作の行列)
  3. 徳川城使上洛列(江戸の将軍が京の帝に送る使者の列を再現)
  4. 江戸時台婦人列(和宮、大田垣連月、吉野太夫、出雲阿国などの行列)
  5. 豊公参朝列(豊臣秀吉が息子の秀頼の元服の報告のために参内するところを再現)
  6. 織田公上洛列(織田信長が足利義昭を奉じて上洛する様子を再現した戦国武者行行列)
  7. 室町幕府執政列(室町幕府将軍とそれを支えた重臣たちの行列)
  8. 室町洛中風俗列(室町時台後半に京の民衆の間で盛んに行われた風流踊りの行列)
  9. 楠公上洛列(後醍醐天皇上洛を先導した楠木正成の行列)
  10. 中世婦人列(静御前、淀君、大原女、桂女などの行列)
  11. 城南流鏑馬列(後鳥羽上皇が流鏑馬を隠れ蓑に全国から武士を集めたという逸話を再現)
  12. 藤原公卿参朝列(平安時代に栄華を極めた藤原一門の公家たちの行列)
  13. 平安時代婦人列(紫式部、小野小町、清少納言、巴御前、常磐御前などの行列)
  14. 延暦武官行進列(坂上田村麻呂などの平安初期の武官たちの行列)
  15. 延暦文官参朝列(桓武天皇、空海、最澄などの事務系官僚たちの行列)
  16. 神饌講社列(しんせんこうしゃれつ:祭の神饌物を奉納する行列)
  17. 前列(衣装の行列)
  18. 神幸列(桓武天皇や孝明天皇が乗られた鳳輦〔ほうれん:乗り物〕などの行列)
  19. 白川女献花列(白川女の行列)
  20. 弓箭組列(きゅうせんぐみれつ:桓武天皇を警護した人たちの行列)

今はこのように20もの行列がありますが、この行列の数になったのは2007(平成19)年になってからのことで、2006(平成18)年までは行列の数は18だったのです。つまり、現在の行列から2つの行列がなかったわけですが、その2つの行列とはどれだと思われますか? それは、7.の「室町幕府執政列」と、8.の「室町洛中風俗列」、つまり、室町時代の足利将軍家の行列がなかったのです。その理由は、足利尊氏は後醍醐天皇に刃向かい、逆臣とされたためだと言われています。京都は天皇があっての都。京都の人たちは、天皇に背く人物を時代を超えても許せなかったのですね。足利尊氏はこの世を去って650年後の2007年になって、ようやく京の街を練り歩くことを許されたわけです。

今も行列には入ることが許されない人物たち

さて、これで京都に関わった人物がすべて揃ったかというと、実はまだ行列に入れない人物たちがいました。それは、幕末に京都守護職に仰せつかった会津藩の松平容保(まつだいら かたもり)と新選組です。

会津藩は京都のために働きましたが、薩長が中心となった明治時代では、会津を堂々と讃えることは難しかったのではないでしょうか。また、新選組は京都の街で好き放題に暴れまくったことから、京都の人たちにとっては迷惑な存在だったのかもしれません。行列に未だに入れない、その本当の理由はわかりませんが、足利尊氏と同じように、いつの日か、京都の人たちに許される時が来るやもしれませんね。

京都に秋が訪れる頃、今年も10月22日に「時代祭」が催されます。山国隊が奏でる笛・太鼓の音色を先頭に約2kmにわたる雅らかな行列に、過ぎ去った京都の歴史を偲ばせみては如何でしょうか。

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平安神宮:京都市左京区岡崎西天王町 TEL : 075-761-0221

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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