京都怪異譚 その28『菅原道真怨霊伝説 〜学問の神様の復讐』

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毎年、梅の香りが漂い始める受験シーズンになると、受験生やその親御さんたちで一際、賑わいを見せる北野天満宮。この神社のご祭神は、平安時代の学者であり、政治家でもあった菅原道真(すがわらのみちざね)ですが、北野天満宮はその菅原道真の霊を鎮めるために、道真を北野の地に祀ったのが始まりだと言われています。

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優れた才能を持つ菅原道真

漢文学や中国史を教える文書博士(もんじょうはかせ)の家に生まれた道真は、聡明で幼い頃から学業に励み、弱冠26歳で最難関試験「方略試(ほうりゃくし)」に合格し、歴史や漢文などを教える側になるほどの優れた才能を持った人物でした。こういったところが道真が“学問の神様”と呼ばれる所以であるわけですが、その才能は学問だけに留まりませんでした。

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行政官の国司としても才を発揮した道真は、その業績から第59代天皇・宇多天皇の目に留まり、信頼を得たことから国の要職を歴任し、トントン拍子に出世していきました。

宇多天皇が譲位し、次の醍醐天皇の御代になっても道真は信頼され続け、ついに右大臣の地位まで上り詰めました。そして、901(延喜1)年に公卿としては最高位に近い、従二位という官位を授けられたのです。道真、57歳のことです。

無念の死

しかし、この目を見張るほどの道真の出世を快く思わない人は大勢おり、中でもライバル関係にあった左大臣の藤原時平(ふじわらのときひら)とはそれまでに度々対立し、2人は険悪な状態になっていました。

時平は道真を排除するための画策を練っていました。そして、道真が従二位の位を授かって約20日ほど経った頃に、ついに時平は醍醐天皇に、道真が皇室の後継問題で陰謀を企てていると報告したのです。もちろん、これは道真を落とし入れるための作り話なのですが、醍醐天皇はこの作り話を信じて、道真に京の都から遠く離れた九州の太宰府の権官(ごんかん:律令制で、定める正官以外に仮に任じる官のこと)への赴任を命じたのです。赴任といっても、これは明らかに左遷、つまり道真は太宰府に流されることになったのです。それを知った宇多上皇は道真の赴任撤回を求めるために醍醐天皇に直訴しますが、行く手を阻まれ断念せざるを得ませんでした。

時平に足をすくわれ、一瞬にして消えた道真の春…。道真は太宰府に向かう前に自宅の紅梅殿に植わっている梅を見て、その時の心境を句にしています。

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『東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 主無しとて 春を忘るな』(私がいなくなっても、春になれば花を咲かせて、その香りを風に乗せて私のもとに届けて欲しい)

道真はもう二度と京の都に戻ることはないと悟っていたのでしょう。

太宰府に赴任した道真は京に残った家族のことが頭から離れず、気が狂いそうな日々を過ごし、次第に道真の健康も蝕まれていきました。

903(延喜3)年2月25日、結局、道真は、醍醐天皇に逆臣と決めつけられ、弁明することも許されなかったことに無念の気持ちを抱いたまま、太宰府の地において59歳で亡くなってしまいました。そして、怨みをはらすべく、怨霊へと化したのです。

北野天満宮の由来が書かれている国宝の巻物『北之天神縁起』には、道真が死去した数年後の夏の夜に、比叡山の座主・法性房尊意(ほっしょうぼう)の前に道真の霊が現れ、これから都で怨みをはらすために復讐するので、邪魔をしないようにと願いに来たとあります。

道真の復讐劇

道真を太宰府に追いやった藤原時平は思惑通り政権を握り、道真の後釜に時平とともに陰謀を企てた源光(みなもとのひかる)を右大臣に据え、その他の役職のほとんどに、自分の身近な者を就けました。これで時平を中心とする藤原一族の陰謀はまんまと成功したのです。そんな折りに、道真が死去したという報せが届き、時平はこれで自分を脅かす者はいなくなったと安堵しました。

ところが、その直後から時平とその周囲の人間、そして、都の人々にまで災いが起こりだしたのです。

  • 906(延喜6)年、陰謀首謀者のひとり、中納言・藤原定国(ふじわらのさだくに)が41歳という若さで急死。
  • 908(延喜8)年、醍醐天皇に直訴するために駆けつけた宇多上皇の行く手を阻んだ藤原管根(ふじわらのすがね)が落雷で死亡。
  • 909(延喜9)年、道真を太宰府に追いやった張本人、藤原時平は原因不明の病に罹り、加持祈祷の甲斐もなく、道真の祟りだと怯えながら、39歳で狂死。
  • 913(延喜13)年、道真の後釜に右大臣に就いた源光が狩りをしている最中に、誤って乗っていた馬もろとも沼に沈んで行方不明。
  • 914(延喜14)年、左京で大火発生。
  • 915(延喜15)年、都で疱瘡(ほうそう:別名・天然痘)が蔓延。
  • 917(延喜17)年、干ばつによる水不足。
  • 922(延喜22)年、都で咳病が大流行。
  • 923(延長1)年、醍醐天皇の皇子・保明親王(やすあきらしんのう)が21歳の若さで急死。
  • 925(延長3)年、保明親王の死後、醍醐天皇の皇太子になった保明親王の子・慶頼王(よしよりおう)が5歳で死亡。

これほど、次から次へと災いが起きるのは、もはや道真の怨霊による祟りであることは間違いないとされ、祟りを鎮める意味で醍醐天皇は道真の地位を右大臣に戻し、官位も以前より高い正二位を授けました。そして、道真の太宰府への左遷詔書も破棄したのです。

しかし、災いはいっこうに治まることはありませんでした。そして、都の人々を恐怖に陥れた、極めつけの出来事が起きたのです。

道真、最大の復讐

930(延長8)年6月26日、内裏の清涼殿では公卿や官人が集まり、この年に起きた干ばつに対する雨乞いの会議が行われていました。昼を過ぎた頃、都は突然、真っ黒な雲に覆われ、雷鳴が鳴り響き、どしゃ降りの雨が降り出しました。そして、目も眩むような強烈な閃光と耳をつんざく轟音とともに雷が清涼殿を直撃したのです。清涼殿や紫宸殿は燃え上がり、たくさんの公卿や女官たちが焼き死に、道真の動向監視を藤原時平に命じていた大納言・藤原清貫(ふじわらのきよつら)は胸に雷が落ち、黒焦げになって即死しました。

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落雷による惨状は凄まじいもので、雷は道真の怨霊が操ったものだと言われ、この時は難を逃れた醍醐天皇もショックで倒れ、それから約3ヶ月後、ついに崩御してしまいました。まさに、道真の怨霊、恐るべし。

その後、この宮中を襲った落雷事件は、道真が“天神”、“雷神”になって猛威を振るったのだと信じられるようになるのですが、このことが北野天満宮が「学問の神様」であるとともに「雷除け」のご利益があると言われるようになった由縁です。現在でも電気工事関係者や、ゴルフや釣の愛好者が雷除けの祈願を受けに訪れています。

二度の託宣

清涼殿落雷事件の後も、時平の長男・保忠(やすただ)が物の怪に取り憑かれたように狂い死にするなど、尚も災いは続き、世の中ではなんとか道真の怨霊を鎮めようという機運が盛り上がりだしていました。その頃に不思議なことが…。

942(天慶5)年、右京七条二坊に住む道真の乳母・多治比文子(たじひのあやこ)の夢に道真が現れ、「幼い頃、よく遊んだ右近の馬場(北野)に私を祀ってください。そうすれば報復の心も消えることでしょう」と告げたのです。しかし、庶民にはどうすることもできないので、仕方なく自分の家の近くに小さな祠を建てて道真を祀りました。 

その5年後、近江国(滋賀県)の比良神社の神官・神良種(みわ よしたね)の7歳になる息子・太郎丸のもとにも道真の霊が現れ、「千本の松が生えるあたりに祠を建てて私を祀れ」と告げたのです。すると、それまでに松が1本もなかった北野の地に一夜にして、千本の松が生えるという奇跡のようなことが起きたために、良種は文子とともに北野にある朝日寺(現:東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧侶・最珍(さいちん)に道真の霊が告げた内容を話し、北野に神殿が建立されることになったのです。

987(永延1)年に第68代一条天皇の勅命により、道真を祭る「北野祭」が行われ、その後、神殿は北野天満宮と呼ばれるようになったのです。

そして、道真が亡くなった太宰府の地には安楽寺天満宮(のちの太宰府天満宮)が建立され、ようやく京の都に平穏が戻ってきたと言われています。

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道真は天も人も怨んではいなかった!?

怨霊と化したという伝説が残る菅原道真。実は道真自身が実際に呪いの言葉を残して亡くなったという事実は何もないようです。様々な災いがあったことは事実だとしても、それを引き起こしたのが道真の怨霊だとしたのは、もしかするとそこには藤原氏の政略的な意図があったのかもしれません。

一説によると、道真は左遷された太宰府の地で、天も人も怨まず、ただ国家の平和と天皇の無事を祈り続けたとも言われています。結果的に道真は学問の神様として、全国の天満宮で祀られていますが、学問をもって無私の精神で朝廷に使えた道真としては幸せなことなのかもしれませんね。

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北野天満宮:京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町 TEL : 075-461-0055

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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