京都怪異譚 その21『貴船神社に伝わる牛鬼伝説』

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京都有数のパワースポットのひとつ

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京都市の北東にある鞍馬山。この鞍馬山の緑深い谷あいに、水の神様として信仰を集めている「貴船神社(きふねじんじゃ)」があります。

貴船神社は貴船(きぶね)という地域にあることから、一般的に貴船神社は“きぶねじんじゃ”と読まれることが多いようですが、正しくは“きふねじんじゃ”と読みます。地名としては“きぶね”と読みますが、貴船神社は水の神様であることから、濁ることを嫌い、“ふ”には濁点をふらず、“きふねじんじゃ”と読まれているのです。

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貴船は京都市内を流れている鴨川の水源地にあたるのですが、「貴船」という地名は、神武天皇(じんむてんのう)の母、玉依姫命(たまよりひめのみこと)が黄色の船に乗って大阪湾から淀川、そして鴨川を遡り、現在、神社の奥宮がある場所に水神「高龗神(たかおかのかみ)」を祀ったのが始まりだと言われています。黄色い船だから“黄船”が変じて“貴船”になったというのはわかるのですが、動力を持たない船で大阪湾から貴船まで川上に向かって80キロメートル以上もの距離を遡ったというところは非現実的で、いかにも神話的ですよね。

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また、古くから「貴船」は“氣生根(きふね)”と表記され、「氣の生じる根源の地」として人々から崇められてきた場所でもあります。大地から氣(生命や生気)が龍の如く立ち上るところと考えられていたようで、それが今でも貴船が京都の中でも有数のパワースポットのひとつとされる所以なのです。

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牛鬼伝説とは?

貴船神社には数多く伝説がありますが、奥宮に向かう境内の裏口の門の脇にある小さな末社にも、興味深い伝説が残されています。

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この知る人も少ない、小さな末社は「牛一社(ぎゅういちしゃ)」と呼ばれ、この社の説明板には御祭神は“牛鬼(うしおに、又はぎゅうき)”と書かれています。

さて、この“牛鬼”、妖怪に詳しい方なら、よくご存知のことと思いますが、一般的に知られている牛鬼は西日本に伝わる妖怪で、頭が牛で胴体が鬼、もしくはその逆で、頭が鬼で胴体が牛、中には胴体が蜘蛛という場合もあって、極めて醜悪な姿をしています。性格はとても残忍で、主に海岸に現れ、浜を歩いている人間に毒を吐きかけ、体を麻痺させて食い殺すという恐ろしい妖怪だと言われています。

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そんな海に現れる妖怪が山の中にある貴船神社の末社に祀られているの不思議なことですよね。実は貴船神社に伝わる牛鬼の伝説は、一般的に知られる牛鬼とはちょっと違っているのです。

鬼から人間の姿になった貴船の牛鬼

1754(宝暦4)年以降に著されたとされる貴船神社の家伝書『黄船社秘書』に収められている『貴布祢雙紙(きふねぞうし)』には、次のように書かれています。

遙か昔、丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に貴船大神が天下万民救済のために、仏国童子(牛鬼)を従者として貴船山中腹の鏡岩に降臨しました。ところがこの仏国童子は口が軽く、神の戒めをも顧みず、神界の秘め事を誰彼構わず話したことで貴船大神の怒りに触れ、よく喋る童子の舌を八つ裂きにしてしまいました。そして、童子は貴船から吉野の山に追放されますが、密かに貴船に戻り、鏡岩の蔭に隠れて謹慎し続けたところ、3年目にしてようやく貴船大神から許されたのです。

その後、仏国童子に子が生まれ、その子にも子が生まれ…、結局、4代目までは仏国一族は鬼の姿をしていたそうですが、5代目にしてやっと人間の姿になり、子孫代々繁栄して貴船大神に仕えました。そして、名を「舌(ぜつ)」と名乗りました。

「口は災いの元」と言いますが、舌というものは、良く使えば和を結ぶものですが、悪く使えば災いをもたらすもの。そういうことから、仏国(牛鬼)一族は祖先の罪を忘れないために「舌」という名を付けたのでしょうね。

このように貴船神社に伝わる牛鬼は、いわゆる人を喰う恐ろしい妖怪ではなかったようで、舌家は104代も続き、現在でも貴船には、舌家の血を受け継ぐ、つまり、牛鬼の末裔だとされる方々がお住まいだそうです。

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誤解されている“丑の刻参り”

ところで、貴船大神が牛鬼を連れて降臨したのは“丑の刻(うしのとき)”とされていますが、“丑の刻”と言えば、思いつくのはやはり「丑の刻参り」でしょう。

「丑の刻参り」は、白装束を纏い、口を真っ赤に塗り、頭に鉄輪を巻いて、そこに蝋燭を灯し、木にわら人形を五寸釘で打ちつける、まさに鬼の形相で人を呪う恐ろしい行いとして知られていますが、貴船神社もその丑の刻参りで有名な神社です。

ところが、この丑の刻参りが人を呪うためのものとされているのは大きな誤解で、本来は貴船大神の降臨の伝承にもあるように、心願成就の参拝方法とされています。

では、どうして「丑の刻参り」が人を呪う儀式のように思われるようになったかと言うと、その原因は、『平家物語』に書かれている「宇治の橋姫」にあるようです。この話は男に裏切られて怨みを抱く橋姫が貴船神社に篭もり、鬼に変化する話ですが、それが謡曲「鉄輪」に発展したようです。

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「宇治の橋姫」も「鉄輪」も両方とも、わら人形も釘を打ちつけるシーンもありませんが、恐らく、当時流行った陰陽道(おんみょうどう)の呪詛のやり方と混ざったのではないかと言われています。「丑の刻参り」は決して恐ろしい呪いの儀式ではないのです。

人を呪わば穴ふたつ…。人を呪うと、その報いはきっと自分に返ってきますので、呉々も人を呪ったりはしないように…。

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貴船神社:京都市左京区鞍馬貴船町180 TEL : 077-741-2016

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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