京の七不思議 その6『清水寺の七不思議』

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京都の人気ランキング1位のお寺

あなたの知っている京都の名所は?と聞かれて、“清水寺”と答える人は結構、多いことでしょう。清水寺は日本はもちろんのこと、世界的にも有名な名所で、京都に観光で来る人の約20%の人が訪れる人気のお寺です。

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清水寺の一番の見どころは、何と言っても“清水の舞台から飛び降りる”で有名な「清水の舞台」ですが、それ以外にも見どころはいくつもあります。そして、その中に“七不思議”と呼ばれるミステリアスなスポットがあるのです。今回は世界文化遺産にも登録されている「清水寺の七不思議」の話をしましょう。

厳選! 清水寺のこれぞ七不思議!

清水寺は778(宝亀9)年に、十一面千手観世音菩薩をご本尊として、延鎮上人(えんちんしょうにん)によって開かれたお寺ですが、この清水寺に伝わる七不思議は、七不思議と言うものの、その数は7つにとどまらず、16や18の不思議があると言われたり、一説には26もの不思議があるとも言われています。ただ、その中には、「エッ!何でこれが不思議なの?」と思えるものもあったりしますので、今回は独断で、数ある不思議の中から、これこそ七不思議と言える不思議をピックアップして、ご紹介したいと思います。

清水寺の七不思議:その1「阿形の狛犬(あぎょうのこまいぬ)」

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左右にお土産屋や飲食店が建ち並ぶ清水道の長い坂道を登り切ったところに、美しい朱塗りの正門、「仁王門」があります。幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルという堂々たる楼門ですが、その門の前に一対の狛犬が置かれています。この狛犬は仁王門のように古いものではなく、1924(大正13)年に、京都の石材店が仁王門の石の階段などの大修理を行った際に設置された、比較的新しいものです。

通常、狛犬は「阿吽(あうん)」、すなわち、口を開けた“阿形(あぎょう)”と口を閉じた“吽形(うんぎょう)”で一対とされます。ところが、仁王門の前にある狛犬は両方とも“阿”と口を開けているのです。作った人が間違ったのかと思ったりもしますが、実は両方とも“阿”の口をしている狛犬は他にもあって、奈良・東大寺の南大門の北側にある狛犬も「阿阿」なのです。結局のところ、狛犬は「阿吽」でなければならないという決まりはどうもなさそうなのです。

「阿」は宇宙や万物の始まりを意味し、「吽」は宇宙や万物の終わりを意味します。つまり、「阿吽」ですべての事象が完結するというわけです。ところが仁王門にあるのは、すべての始まりを意味する狛犬が2匹で、終わりがありません。口を開けた2匹の狛犬は、仁王門が何かが始まる入り口であることを示しているのでしょうか。ひとつの解釈として、お釈迦様の教えを世に大声で知らしめるためだとも言われていますが、はっきりとした理由は今もわかっていません。

清水寺の七不思議:その2「虎の図の石灯籠(とらのいしとうろう)」

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仁王門をくぐった右手、西門の下の広場に「虎の図の石灯籠」はあります。礎石の上に火袋を穿った自然石を置いただけの簡素なもので、一般的な石灯籠とは随分と趣きが異なった形をしています。

この石灯籠の正面には虎の絵が彫られていますが、どこから見ても、虎と目が合ってしまうことから、「八方睨みの虎」と呼ばれています。

この虎の絵は、江戸時代後期の画家「岸駒(がんく)」によって描かれたものです。江戸時代、日本には虎はいなかったため、岸駒は虎を描くにあたって、中国の商人から虎の毛皮や頭蓋骨、四足などを取り寄せ、様々な角度から写生することによって、当時、日本人で誰も見たことのない虎の姿をかなり忠実に描いたと言われています。

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石灯籠の虎もかなりリアルに描かれ、今は目を凝らさないとその姿はよくわかりませんが、描かれた当時はまるで生きているかのようだったそうです。そのため、夜な夜な吠えたり、池の水を飲むために毎晩、石灯籠から抜け出したと伝えられています。もしかすると、今も岸駒の虎は清水寺の夜の境内を歩き回っているかもしれませんね。

清水寺の七不思議:その3「轟門(とどろきもん)と轟橋(とどろきばし)」

お釈迦様の教えを四方万里に轟かせるということから名前が付いた「轟門」。重要文化財にも指定されているこの門は、“八脚門(やつあしもん)”と呼ばれる建築様式で作られた門で、通常、門の柱は4本ですが、轟門には柱が8本もあります。でも、これは珍しいことであって、不思議なことではありません。この轟門が不思議なのは、門なのに扉がないということです。来る者も去る者も拒まないという意味なのでしょうか…。

そして、轟門の前にあるのが「轟橋」です。ここには川も池もないのに橋が架かっていることが不思議だとされています。言い伝えによると大昔には、この橋の下に轟川(とどろきがわ)という小川が流れていたと言われていますが、川があったという痕跡はどこにも見当たらないので、小川が流れていたという話は橋の存在の正当性のための後付けなのかもしれませんね。観音様がいらっしゃる世界に行く(渡る)という意味で、あえて橋を作ったのかもしれませんね。

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また、この轟橋には、もうひとつ面白い言い伝えがあります。この橋は清水寺の口(くち)だとされていて、人が歩く木板の部分を“舌”、その木板の両側にある石板の部分を“歯”と意味づけて、虫歯などで歯が痛い人は轟橋を渡ってはいけないと言われているのです。また、この橋のすぐ左手にある手水鉢の水で口をゆすぐと、歯痛や頭痛が治るとも言われています。

轟橋は、一見、轟門へのアプローチに過ぎないような橋ですが、いろいろと言い伝えのある不思議な橋なのです。

清水寺の七不思議:その4「馬駐の逆環(うまとどめのさかさかん)」

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仁王門に上がる石段の左手前に切妻造りの建物があります。「馬駐(うまとどめ)」と呼ばれるこの建物は、馬で参拝に訪れた貴族や武士の馬をつないでおくところです。今で言えば、駐車場ですね。横幅が約10.5メートル、奥行きが約5メートルある建屋には4つの仕切りがあって、同時に5頭の馬を繋ぐことができる構造になっています。

その仕切りの柱に、馬の手綱を繋ぎ止めるための鉄製の金具が取り付けられていますが、何故か2つの金具だけが他とは違った向きに取り付けられているのです。

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普通は横向きであるところ、この2つの金具だけ下向きになっています。作った大工さんのちょっとした遊び心でしたことだという説があるようですが、本当のところはよくわかっていません。何か意味があるのでしょうか…。それとも、案外、単なる取り付けのミスだったりして…。

清水寺の七不思議:その5「景清爪形観音(かげきよつめかたかんのん)」

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経堂の北側にある「胎内めぐり」が人気の随求堂(ずいぐどう)の前庭に、不格好な石灯籠が建っていますが、その石灯籠の火袋の中に線彫りの小さな観音像が祀られていると言われています。

この観音像は壇ノ浦の合戦で捕らえられた平家の武将、平景清(たいらのかげきよ)が獄中にいる間、自分の爪で石に観音様を彫り、清水寺に奉納されたものだと伝えられています。景清は「平家物語」で、“剛の者”として描かれており、本名の藤原総七郎兵衛尉景清から「悪七兵衛(あくしちびょうえ)」という異名を持つほどの勇猛な人物だったとされています。

この清水寺には景清の足形がついた石(これも七不思議のひとつ)が残されていますが、その足の大きさは一尺七寸(約50センチ)もあることから、景清はかなりの巨漢であったと推定され、自分で両目をくり抜いたとも言われていることから、景清は人間離れした、怪物のような人間だったのかもしれません。そう考えると、自分の爪で石を彫るぐらいのことは、景清にとっては安易なことだったのでしょう。

ところで、景清が彫ったとされる観音様は石灯籠の火袋の中が暗いためか、まったく見えません。

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晴天の日に、光の反射の加減で、観音様の一部が見えるという話もありますが、本当のところ、観音様はいらっしゃるのかどうか…。自分の爪で石に観音様を彫ったというのは、景清の異様な人物像を伝えるための説話だったのかもしれませんね。

清水寺の七不思議:その6「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)」

轟橋を渡る手前左に訪れた人が手や口を清める手水鉢がありますが、この手水鉢は「梟(ふくろう)の手水鉢」と呼ばれています。

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手水鉢の左に龍が飾り付けされていて、その口から水が注がれているのですが、名前にある“梟”は一見、どこにも見当たりません。実は“梟”はほとんど人が見ることのない手水鉢の下の台座にいるのです。

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観音様を囲んで四方に梟が彫られているのですが、どうして、こんあところに梟が?と思いますよね。

梟は西洋では知恵の象徴とされていますが、日本では夜行性で肉食であることから、梟は自分の親をも喰らうと言われていて、不孝鳥というイメージがあります。また、物知りで強い法力を持つというイメージもあります。そのようなことから、この手水鉢に彫られた梟は、室町時代に書かれた御伽草子『鴉鷺合戦物語(あろかっせんものがたり)』に登場する、梟を擬人化した「梟木工允谷朝臣法保(ふくろうもくのみつやあそんのりやす)」ではないかと言われています。法保は醜い姿をしていたそうですが、物知りで絶大な法力を持っていたのだそうです。隠れるように手水鉢の下にいるのは、その醜い姿を人間に見られたくないからかもしれませんね。

清水寺の七不思議:その7「弁慶の指跡(べんけいのゆびあと)」

本堂(清水の舞台)の裏の側面に木の目に沿って、深さ2センチほどの溝が直線状に付いています。これは「弁慶の指跡」と呼ばれていて、弁慶が人差し指で付けた傷だと言われています。

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弁慶は人間離れした強靱な体を持っていたとされていることから、このような伝説が生まれたのでしょうが、実は、この溝は昔、願掛けのためにお百度参りをした人々が、夜になると辺りは真っ暗になって、何も見えなくなるために、目印として本堂に付けられたものなのだそうです。溝を見ていると、溝に触れながらお百度を踏む人たちの姿が思い浮かんできますね。

因みに、話の内容などがぐるぐる回って、なかなか先に進まないことを「話が堂々巡りする」と言いますが、この「堂々巡り」という言葉は、清水寺の本堂をお百度参りで巡ることから生まれた言葉だと言われています。

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独断でご紹介した「清水寺の七不思議」は如何でしたでしょうか? 昔も今も、庶民に“清水さん”と呼ばれて、親しまれている清水寺には、まだまだ不思議があります。広い境内ですが、ゆっくりと時間をかけて、知れば知るほど奥深い、清水寺の不思議を探してみてはいかがでしょうか。

清水寺:京都市東山区清水1丁目294 TEL : 075-551-1234

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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