広隆寺 ~微笑みの中に思考する弥勒菩薩像

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嵐電(らんでん:京福電鉄)の太秦広隆寺駅を降りると、三条通を隔てたところに、重厚な山門がそびえています。この山門は、広隆寺の南大門。

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広隆寺は平安京時代以前に創建された古寺ですが、この広隆寺には国宝に指定されている2体の弥勒菩薩(みろくぼさつ)があります。その内の1体が歴史の教科書にも載っている、有名な「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)」です。今回は、京都最古の寺院とされる広隆寺に伝わる「弥勒菩薩」の話をしましょう。

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聖徳太子ゆかりの寺院

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広隆寺は『日本書紀』にある記述や最近の発掘調査から、創建は7世紀頃であることは確かなのですが、818(弘仁9)年の火災により古記録がすべて焼失してしまったために、広隆寺の初期の歴史はほとんどわかっていません。京都にある有名社寺の中で、広隆寺のように創建がはっきりしていない寺院は珍しいことです。

『日本書紀』には、603(推古天皇11)年のこと、かの聖徳太子が「私は尊い仏像を持っているのだが、誰かその仏像を祀る者はいないか」と臣下に尋ねたところ、秦河勝(はたのかわかつ)という人物が進み出て、太子より仏像を譲り受け、広隆寺の前身とされる「蜂岡寺(はちおかでら)」を造ったとあります。

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京都に深く関わった渡来人

渡来系氏族であった秦河勝はこの辺りの太秦(うずまさ)という地名からもわかるように、京都に深い関わりのある人物だったようです。秦氏は朝廷の財政を管理し、繊維や醸造、土木などの事業に携わり、大陸の先進技術を日本に伝えたことで、日本の文明の発展に貢献したとあります。渡来人の血を引く桓武天皇が平安京に遷都した背景にも秦氏の強大な力があったと言われているので、もし、秦氏の存在がなけらば、日本の歴史は大きく違っていたかもしれませんね。

広隆寺に伝わる2体の弥勒菩薩像

広隆寺の境内にある霊宝殿には国宝や重要文化財に指定された仏像が数多く収蔵されています。その中に、1951(昭和26)年に彫刻の部門で国宝の第1号に指定された「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)」、通称『宝冠弥勒(ほうかんみろく)』と、もう1体、1952(昭和27)年に50番目に国宝に指定された、同じ名前の「弥勒菩薩半跏思惟像」、通称『泣き弥勒(なきみろく)』の、2体の弥勒菩薩があります。その内の宝冠弥勒が、秦氏が聖徳太子から譲り受けたという仏像なのです。

56億7千万年後の救世主

弥勒菩薩は“釈迦の死後、56億7千万年後の世に降りてきて、釈迦に代わって人々を救う未来仏”と言われています。そんな気の遠くなるような先に人類が、いや、地球自体があるかどうかもわかりませんが、弥勒菩薩はその時に我々の前に現れる救世主なのです。

宝冠弥勒は当時の日本の仏像としては珍しいアカマツの木から掘り出されています。そのことから、この像は、朝鮮半島から伝来したものではないかと考えられています。

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台座に座って、右足を左足の太ももの上に乗せ、右手をそっと頬の近くに寄せている宝冠弥勒の姿は、56億7千万年後にどうすれば人々を救済できるかと、その方法を考えている様子を表現しているのだそうです。確かに、少しうつむき加減にしている姿は、何か思索にふけっているように見えますね。

女性的とも思える華奢な体つきをしている宝冠弥勒の最大の魅力は、やはり、アルカイックスマイルと言われる、世界的にも絶賛されている美しい“顔”でしょう。切れ長の目、すーっと通った鼻筋、そして、穏やかな笑みを浮かべた口元…。その美しい顔はこの世のものとは思えないほどのもので、思わず我を忘れて、魅入ってしまいます。

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弥勒菩薩像にまつわる数々の逸話

作家であり、詩人であった相田みつを氏の宝冠弥勒のことを詠んだ詩がいくつか残されていますが、その中に「あなたの顔を見ていると  こころの中の  波がしずまる」という詩があります。まさに、その詩の通りで、この宝冠弥勒の前に佇むと、不思議に心が穏やかになり、自然と涙が溢れ出てくるのです。宝冠弥勒の慈悲が、見る者に伝わるからでしょう。

この宝冠弥勒は、専門家の間では「仏像鑑賞第一課」と言われているほどで、一度、この仏像の魅力に取り憑かれると、他の多くの仏像を鑑賞しては、また、この宝冠弥勒に舞い戻ってくると言われています。

また、ドイツの精神科医であり、高名な哲学者でもある、カール・ヤスパースは「人間の存在の最も清浄な、最も円満な、最も永遠な姿の美の象徴」と宝冠弥勒を絶賛し、「これは弥勒菩薩ではなく、魅力菩薩だ」(日本語にすると洒落っぽくなりますが)とも言ったそうです。

そして、1960(昭和35)年には、ひとりの男子学生が宝冠弥勒を眺めていると、そのあまりの美しさに、思わず宝冠弥勒を抱きしめてしまって、その勢いで宝冠弥勒の右手の薬指をポキッと折ってしまうという事件も起きました。これら数々の逸話は、宝冠弥勒が如何に魅力的であるかを示すものでもあるのです。

日本の美意識の象徴

宝冠弥勒はもともとは金箔が全身に貼られていたそうですが、基本的には装飾はなく、服もほとんど纏っていない、至ってシンプルな像です。日本の美術には「精神性」があると言われますが、それは、繊細やシンプルといった美しさを大切にしてきた日本の風土の中から生まれてきたものです。朝鮮半島から伝わってきた「弥勒信仰」を、日本独自の風土の中で昇華し、精神性を備えた宝冠弥勒は日本の美意識の象徴と言えるでしょう。

是非、広隆寺の弥勒菩薩に会って、その慈悲深い御心に触れて欲しいと思います。

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広隆寺:京都市右京区太秦蜂岡町32 TEL : 075-861-1461

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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