シリーズ『一風変わった京の地名』その6

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千年の都、京都。その地名は、読み方が難しかったり、読めなかったり、意味ありげだったり…。古都ならではの地名があちらこちらに残されています。その地名の意味を知れば知るほど、京都への興味がさらに深まります。

さて、今回、ご紹介する一風変わった京の地名は?

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その由来は、念仏の回数にあった!

『百万遍』

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これは読もうと思えば、読めなくはないですよね。『百万遍』は「ひゃくまんべん」と読みます。この『百万遍』、実は正式な地名ではなく、東西を走る今出川通と南北に走る東大路通が交わるところにある交差点の名前が“百万遍交差点”であることから、この一帯を指して、『百万遍』と呼ばれている、言わば、地域名なのです。京都大学が近くにあることもあって、京都ではよく知られている場所です。

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ところで、この『百万遍』は、その字からすると、“百万回”(「遍」は回数や度数という意味がある)ということになるのですが、その由来は、“念仏を百万回唱えた”という故事にあると言われているのです。

1331(元弘1)年に都で疫病が大流行しました。その際に、百万遍交差点のそばにある「知恩寺(ちおんじ)」というお寺の住職であった善阿空円(ぜんな くうえん)上人が、後醍醐天皇から疫病鎮めの勅命を受けました。空円上人は直ちに御所に篭もって、7日間ぶっ通しで念仏を唱えたのです。その数、なんと100万回!その効力があったのか、疫病はピタリと治まったのでした。

その後、空円上人はその功績から、後醍醐天皇より「百万遍」という寺号を賜ったことから、知恩寺のある辺りは『百万遍 』と呼ばれるようになったと言われているのです。

百万遍:京都市上京区

大将軍とは誰のこと?

『大将軍』

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京都市北区にあるこの地名を見ると、その由来には、いかにも強そうな武将が関係しているかのようですが、実は、武将とは何ら関係はないのです。

『大将軍』は「だいしょうぐん」と読みがちですが、正しくは「たいしょうぐん」と読みます。この『大将軍』とは、陰陽道(おんみょうどう)における方除けの神で、北西の方角を護る神様のことなのです。

北東の方角は「鬼門」として、よく知られていますが、北西も「天門」と呼ばれて、災いや怨霊、魑魅魍魎の類いは「天門」から入ってくると信じられていました。桓武天皇は平安京に都を移した際に、都を護る意味で、その「天門」とされる位置に、大将軍を祀る「大将軍八神社(たいしょうぐんはちじんじゃ)」を建てたのです。この神社こそが『大将軍』の地名の由来とされているのです。

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大将軍は元々は、古代中国の道教信仰から生まれた神様で、大将軍がいる方位を犯すと災いが起こると言われ、非常に恐れられた存在だったようです。

特に、建物を建てたり、旅立ちをするなど、その方位に重要性がある事柄を行う際には、天皇や貴族たちは、まず天文学の専門である陰陽師に、そこが大将軍のいる方位に当たらないかどうかを調べさせたと言われています。それによって、権力者の行動が左右されたり、時には歴史に重大な影響を与えたこともあったようです。

これほどまでに恐れられた大将軍が、都の守護神として祀られたのは、その強力なパワーを逆手にとって、降りかかってくる災いを追い払ってもらおうという意味があったのでしょうね。

大将軍:京都市北区大将軍

大将軍八神社:京都市上京区一条通御前西入ル西町48 TEL : 075-461-0684 

その由来は親孝行をした人物にあった!

『笋町』

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『笋町』は「たかんなちょう」と読みます。地元の人以外で、この町名が読めれば、かなりの京都通と言えるほど、京都の中でも難読な地名のひとつです。

ところで、この「笋(たかんな)」とは、どう意味なのでしょうか? 実は、この「笋」とは、“タケノコ”のことなのです。タケノコを漢字で書くと、一般的な「竹の子」以外に「筍」と書かれることがあります。それはタケノコの古称(昔の呼び名)なのですが、もうひとつ、タケノコには古称があって、それが「笋」なのです。つまり、『笋町』と呼ばれる由来は、タケノコに関係があるということなのです。

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『笋町』の場所はタケノコから連想すると、竹林の広がる郊外にあるように思われるかもしれませんが、『笋町』は京都市のど真ん中、四条烏丸のすぐ北側にあります。この『笋町』は日本三大祭のひとつ「祇園祭」の際に曳かれる「孟宗山(もうそうやま)」という山鉾が建てられることでも知られているのですが、この「孟宗山」にまつわる中国の故事が、タケノコと深い関係があったのです。

中国の書物「二十四孝(にじゅうしこう)」には、孝行が特に優れたとされる24人の人物の物語が書かれていますが、その中に、“孟宗(もうそう)”という人物の話があります。

幼い頃に父を亡くした孟宗は、病気の母を看病する毎日を過ごしていました。ある冬の日のこと、母がタケノコが食べたいと言い出したのです。孟宗はなんとか母にタケノコを食べさせてやりたいと思って、竹林に探しに行ったのですが、冬にタケノコなどあるはずがない。それでも、神様に祈りながら孟宗は必死になって、積もった雪を掘り続けました。すると、不思議なことに、雪が見る見るうちに溶け出して、土が現れ、その土の中からタケノコがいっぱい出てきたのです。

孟宗は涙を流して喜び、早速、タケノコを家に持ち帰りました。そして、タケノコがたくさん入った温かい汁を作って母に食べさせると、病気が治ったと言われています。このようなことから、心優しき孟宗を御神体とする「孟宗山」が伝わる町を『笋町(たかんなまち)』と呼ぶようになったそうなのです。

笋町:京都市中京区笋町

今回は『百万遍(ひゃくまんべん)』、『大将軍(たいしょうぐん)』、『笋町(たかんなちょう)』の、3つの一風変わった地名をご紹介しました。では、次回をお楽しみに。

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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