シリーズ『一風変わった京の地名』その7

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京都市の地図を眺めていると、やたらと町名が細かく分けられていることに気づきます。「いったい、町名の数は幾つあるんだ!?」と思わず口に出るほど数が多く、その数はおそらく日本一、いやいや、ひょっとすると世界一、多いのではないでしょうか。

『角川日本地名大辞典』によると京都市の各区の町名数は、例えば、中京区は498、下京区は511、右京区においては、なんと1,840もあり、京都市の町名の総数は現在、4,921と信じられないような町数があるのです。因みに、東京都の千代田区の町数は70ほどですので、それに比べると、いかに京都が多いかがわかりますよね。読むのが難しい地名や読めない地名、また、人の名前や出来事に由来する地名が数多くある京都。これも京都の魅力のひとつなのです。

さて、今回、ご紹介する一風変わった京の地名は?

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その由来はお寺の門にあった!

『不明門通』

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これは、下京区にある通りの名称です。難しい字ではないので、何となく読めそうな気がするのですが、どこか読みにくい。そのまま読めば「ふめいもんどおり」なのですが……。実は、これは「あけずのもんどおり」と読みます。

この通りは烏丸通の一本東側の南北に走る通りで、北は松原通上ルにある因幡薬師堂(平等寺)の門前から、南は京都駅前の北の塩小路通までの約1.3kmの短い通りです。この通りの名称の由来には、通りの北端にある「因幡薬師堂」が関係しているのです。

因幡薬師堂の正面にある門は、かつてはいつも閉ざされていて、開かれることがなかったそうで、それが通りの北を塞いでいるということから、「不明門通(あけずのもんどおり)」と呼ばれるようになったそうです。

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ところで、地元ではこの通りのことを、実際の読みである「あけずのもんどおり」と呼ぶことはほとんどなく、「あけずどおり」と呼ばれているようです。わざとこのように呼ぶのは、開かない門によって、通りが北に抜けていないことに対する皮肉なのかもしれませんね。

不明門通:京都市中京区因幡堂町~塩小路町

悲しい女性の物語

『女郎花』

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この地名は、京都府の八幡市にあります。字の通りに「じょろうばな」と読むと、ちょっと怖い感じがしますが、正しくは「おみなえし」と読みます。「おみなえし」と聞くと、あの花の?と思いつく方も多いかと思いますが、その通りで、「おみなえし」とは、野山に夏から秋にかけて、くねりながら黄色い清楚な花を咲かす植物のことです。「おみな」は“女”を意味し、「えし」は古語の“へし(圧)”のことで、美女を圧倒する美しさということから、名付けられたそうです。

では、どうして、八幡市に「女郎花」という地名があるのかというと、それは、謡曲の『女郎花』の舞台になっているからのなのです。

万葉の昔から、女郎花はその花の可憐さに魅せられて、和歌に詠われることが多く、平安時代の古今和歌集にも度々、出てきます。その選者のひとりとして有名な紀貫之が書いた仮名序(カナで書かれた序文)に「男山の 昔を思ひいでて女郎花の 一時をくねるのにも 唄をいひてぞなぐさめける」という一文がありますが、これは、八幡市にある男山(おとこやま)という山が、当時、女郎花の群生地として知られていて、謡曲『女郎花』は紀貫之が書いた仮名序をヒントに創作されたのではないかとされているのです。その謡曲『女郎花』は、とても悲しい物語なのです…。

平安時代のことです。八幡出身の小野頼風(おののよりかぜ)という男が、京の都で働いていました。頼風はそこでひとりの美しい女性と深い恋仲になるのですが、ある日、突然、頼風は生まれ故郷の八幡に帰ることになり、その女性ともいつしか疎遠になってしまいました。

ところが、思いを断ち切れないその女性は、悩み抜いた末に、八幡に居る頼風のもとに行くことにしたのです。そして、やっとのことで女性は頼風の住まいを探し出し、訪ねると……、なんと出迎えたのは、見知らぬ若い女性だったのです。その瞬間に女性は、その若い女性と頼風がただならぬ仲にあることを悟りました。

女性は「主人は今、おりませんが…」と若い女性に告げられると、女性は悲しさのあまり、泪川(なみだがわ:現在の放生川上流)に身を投げて、命を絶ったのでした。

その数日後、女性の死を知った頼風は、女性の遺体を厚く弔い、土に埋めました。それから暫くしてからのことです。不思議なことに、女性を埋めた場所から、1本の女郎花が生え、花が咲いたのです。頼風はその女郎花の花を死んだ女性の化身だと思い、愛おしんで近づきました。すると、その花は頼風を避けるかのようにくねったのです。その花の姿に頼風は死んだ女性の哀れさを思い、自責の念から、後を追って泪川に身を投げたのでした。

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頼風と女性を弔った塚はかつては同じ場所に並んであったそうですが、今は別々に置かれていて、頼風の男塚は八幡市立図書館の近くに、そして、女塚は男塚から南へ2キロほど離れた洛南の名園「松花堂(しょうかどう)」の中にあります。男塚と女塚が離れてあるのは、今もその女性は、裏切った頼風を許してはいないということなのでしょうね。

最後に余談ですが、名園「松花堂」は、皆さんよくご存知の四角い弁当箱に季節の食材を盛り付けた「松花堂弁当」の発祥の地です。

女郎花:京都府八幡市八幡女郎花

役所が由来!?

『勘解由小路町』

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これは知っていないとまず読めないのではないでしょうか。この町名は京都市の上京区にあるのですが、「かでのこうじちょう」と読みます。

歴史に詳しい方ならご存知のことと思いますが、平安時代初期に、“勘解由使(かげゆし)”という地方行政を監査するための官職がありました。主に国司の交代の時などの不正や争いを防ぐための審査をする役所で、その役所がこの場所にあったことから、勘解由小路の通り名ができ、今に町名として残されているのです。

ところで、ひとつ、疑問があります。「勘解由小路町」の由来が勘解由使であるなら、「かげゆこうじ」と読んでも良さそうに思えるのですが、どうしてそれを「かでのこうじ」と呼ばれるようになったのでしょうか。因みに、室町時代には、陰陽師として有名な賀茂家が勘解由小路(かでのこうじ)に姓を変えているのですが、その時にはすでに「かでのこうじ」という読み方をしていたようです。何かが訛ったわけでも、読み違えたわけでもなさそうなのですが…。どうしてなんでしょうね・・・。

勘解由小路町:京都市上京区勘解由小路町

今回は『不明門通(あけずのもんどおり)』、『女郎花(おみなえし)』、『勘解由小路町(かでのこうじちょう)』の、3つの一風変わった地名をご紹介しました。では、次回をお楽しみに。

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(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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