シリーズ『一風変わった京の地名』その8

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京都を訪れるたびに、京都ならではの地名に出会います。そして、その京都独特の地名の由来には歴史上、重要な出来事や不思議な話が関わっていることが多く、それを知ることによって、今まで知らなかった京都が見えてきて、より味わい深いものへとなっていきます。たかが地名、されど地名…、京都の地名への興味は尽きません。

さて、今回、ご紹介する一風変わった地名は?

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その昔、ここは湿地帯だった!?

『壬生』

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さて、この地名、歴史好きの人や新選組(新撰組)のファン、それと伝統芸能の好きな人なら、考えるまでもなくスッと読めることと思いますが、この『壬生』は「みぶ」と読みます。

『壬生』は京都市中京区にある地名で、そこには庶民信仰のお寺「壬生寺(みぶでら)」があります。壬生寺は、991(正暦2)年に創建された律宗のお寺で、素焼きのお皿を舞台から落とし割ったり、紙で作られた蜘蛛の糸を観客席に投げるといった派手な見せ場がある「壬生狂言」が行われることで知られています。

幕末の頃には、境内は新選組の元となった浪士組の兵法調練場として使われ、近藤勇、沖田総志、土方歳三といった志士たちが剣術の腕を磨いたそうです。そういうことで、壬生は新選組のゆかりの地であり、新選組ファンにとっては、“聖地”と言える場所なのです。

さて、この「壬生(みぶ)」という地名の由来についてですが、もともと“みぶ”は「壬生」ではなく、「水生」と書かれていました。というのは、壬生寺から南西の地域は湿地帯で、水田が広がっていたそうです。つまり、この辺りは水に恵まれた土地だったということから、“みぶ”に「水生」という字が充てられたわけです。

そして、この地で作られた京野菜が、その名の通り「壬生菜(みぶな)」。壬生菜の漬け物はアツアツのご飯やお茶漬けによく合います。新選組の志士たちも、きっと壬生菜を口にしていたことでしょうね。

壬生寺:京都市中京区坊城仏光寺北入ル TEL : 075-841-3381

諸説ある“西院”の由来

『西院』

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『西院』とは、京都市右京区にある地名です。この地名の読み方ですが、実は「さいいん」と読む場合と「さい」と読む場合の2通りあります。この地域を通る阪急電鉄の駅名は「さいいん」で、京福電鉄嵐山線の駅名は「さい」。昔は「さい」と読むのが一般的だったようですが、今はどちらかと言うと「さいいん」と読む場合が多いそうです。このように読み方が2通りあれば、その由来もその分、いろいろ諸説があるようです。

1つ目の説。平安時代、この地には「淳和院(じゅんないん)」と呼ばれる淳和天皇の離宮がありました。この離宮が皇居から見て西の方角にあったことから、“西の院”ということで、通称「西院(さい)」と呼ばれ、離宮があった一帯も「西院」と呼ばれるようになったと言われています

2つ目の説。現在、西院の中央に“佐井通(さいどおり)”が通っていますが、かつては“道祖大路(さいおおじ)”と呼ばれ、その道に沿って佐井川(現在の天神川?)が流れていたことから、「さい」と呼ばれるようになったと言われています。

そして、3つ目の説が、恐くもあり悲しくもある説です。それは、「さい」は“賽”、つまり、“賽の河原(さいのかわら)”を意味するとされていたというものです。平安時代、洛外にあった西院は、西の果てと言って、魔界との西の境目とされ、そこにはいわゆる“三途の川”の河原があると考えられていました。

“賽の河原”の“賽”は、親より先に死んでしまった子どもが、親不孝の罰として、河原に積み上げる石のことです。河原で石を積んでいると、鬼がやって来て、積んだ石を崩し、子どもが積み直すと、また鬼が崩す…。石が積み終わるまで、死んだ子どもはあの世に行くことが出来ず、河原で永遠に石を積み上げ続けるという謂れがあります。

平安時代、栄養事情が悪く、病気をしても治療らしい治療は受けられない庶民の子どもは死亡率も高く、西院の河原には多くの子どもの亡骸が捨てられていたそうです。その悲惨な状況を見た空也上人はその哀れさから、“これはこの世のことならず 死出の山路のすそ野なる 賽の河原の物語り…”という文言で始まる『西院河原地蔵和讃』という歌を唱えたと言われています。

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阪急・西院駅の近くにある高山寺(こうさんじ※世界文化遺産に登録されている「高山寺」とは別のお寺です)には、「西院之河原 旧跡」と記された石碑が建っていて、そこに“さいのかわら”と振り仮名がされていることからすると、今は賑やかな繁華街の西院も、かつては死んだ子どもが永遠に石を積み上げる悲しく、寂しい河原だったのかもしれませんね…。

さて、あなたはどの説を信じますか?

高山寺:京都市右京区西院高山寺町18 TEL : 075-311-1848

川の水の色がその由来?

『キトロ町』

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京都の町名は読み方の見当もつかないほど難解な漢字が使われているかと思いきや、この町名のようにカタカナで表記されている場合があって、ますますその由来を知りたくなってしまいます。

この『キトロ町』は京都市伏見区の深草というところにある町名です。キトロ町の近くに「キトロ川」という名の小さな川が流れていることから、キトロ町はこの川に由来するものと考えられていますが、その語源はどうもハッキリとはしていないようです。

1つの説として、このキトロ川の水が酷く濁っていて、黄色い泥のようだったことから、“黄泥”=キドロが訛って「キトロ」になったとありますが、本当は別の意味が隠されているような気がするのですが…。

因みに、この深草の界隈にはカタカナの町名が多くあり、キトロ町の他に、「ケナサ町」「フケノ内町」「ヺカヤ町」「フチ町」「ススハキ町」「ヒランデ」があります。もともとこの辺りは湿地帯だったので、川や池が語源になっていると言われていますが、本当のところはよく判らないそうです。さほど広くない地域に、これほどカタカナ表記の地名が多くあるということには、何か意味があるように思いませんか? それとも、町名を付ける頃に単にカタカナを使うことが流行っていたということなのでしょうか…。

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今回は『壬生(みぶ)』、『西院(さいいん、さい)』、『キトロ町(きとろちょう)』の、3つの一風変わった地名をご紹介しました。

では、次回をお楽しみに。

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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