落柿舎 ~嵯峨野の小さな草庵

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

嵯峨野は、いにしえから貴族や文人たちが都を逃れ、世捨人として侘び住まいしたところです。その嵯峨野ののどかな田園風景に溶け込むように一軒の小さな庵が建っています。この庵は、俳人・向井去来(むかいきょらい)の草庵、「落柿舎(らくししゃ)」。今回は嵯峨野に建つ藁葺きの風雅な庵「落柿舎」の話をしましょう。

rakushisya 01

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

「落柿舎」と名付けられる切っ掛けとなったある出来事

落柿舎は、もともとは京都に住んでいた富豪が建てた豪華な別荘だったそうです。それがめぐり巡って、俳聖として世界的にも知られる松尾芭蕉の弟子、向井去来(むかい きょらい)が1686(貞享3)年に譲り受けたとされています。

去来は、当初、この別荘のことを“捨庵(しゃあん)”と呼んでいましたが、落柿舎という名になったのは、ある出来事があってからのことです。その出来事とは…。

rakushisya 07

『別荘の庭に実のなった柿の木が40本ほど植えられていました。秋のある日、去来は都からやってきた商人にその柿の木をすべて売り、代金を受け取りました。ところが、その日の夜のこと、思いもしない突風に襲われ、柿の実はほとんど地面に落ちてしまったのです。

翌日、柿の木を引き取りに来た商人は、実が落ちてしまった柿の木を見て、「私は商売柄、いろいろな柿の木を見てきましたが、これほど実が落ちる柿の木は見たことがありません。申し訳ないですが、昨日支払った代金を返してください」と言いました。それはもっともなことだと承知した去来は商人に代金を返したのでした。

商談に失敗したという、ちょっと情けない話のようでもありますが、このように、柿が落ちたという出来事があったことから、去来自らが、この別荘に「落柿舎」と名付けました。柿の実が一夜にしてすべて落ちてしまったという、ウソのような出来事に去来は心底、驚いたようですが、それがまた可笑しくもあって、敢えて自虐的に“柿が落ちた家”としたのでしょう。

その後、去来は別荘を取り壊し、一切の華美を取り去って、今にあるような簡素な草庵に建て替えました。風流を好んだ去来にとって、きらびやかで、贅沢なものは必要ではなかったということなのでしょうね。

rakushisya 03

芭蕉に褒め称えられた去来

芭蕉の弟子の中で、特に優れた弟子10人を「蕉門十哲(しょうもんじってつ)」と呼んでいますが、その内のひとりが向井去来です。

芭蕉は去来のことを「洛陽(らくよう)に去来ありて、鎮西(ちんぜい)に俳諧奉行(はいかいぶぎょう)なり」、つまり、“京都の去来は、西国33ヵ国を治める俳句界のお奉行だ!”と讃えたと言われています。師匠である芭蕉に、これほどの褒め言葉を言わせた去来は俳人として、相当、秀でた才能を持つ人物だったのでしょう。

芭蕉も愛した庵

rakushisya 04

そんな去来が心行くまで俳句を詠むために、都から離れた嵯峨野に建てた庵が「落柿舎」なのです。愛弟子が建てた庵ですから、芭蕉も落柿舎がお気に入りで、生涯に3回も落柿舎を訪れています。2度目の訪問になる1691(元禄4)年4月18日から5月5日までの18日間滞在したときには、『嵯峨日記(さがにっき)』を記しました。

『嵯峨日記』には、落柿舎での滞在中の生活や、向井去来や河合曾良(かわい そら)、野沢凡兆(のざわ ぼんちょう)といった弟子たちとの交流の様子が書かれています。芭蕉がわざわざ日記という形で残したことからすると、芭蕉は落柿舎で過ごした弟子たちとの日々は、よほど楽しいものだったのでしょうね。

rakushisya 05

また、滞在最後の日の前日の5月4日には「五月雨(さみだれ)や 色帋(しきし)へぎたる 壁の跡」という句を詠んでいます。“昔は豪華な建物だった落柿舎も、今は痛んで、壁には色紙を剥がした跡が残っている。外では優しい五月雨が降り続いている。” この句を解釈するとしたら、こんな感じでしょうか。これも滞在した日々を思って、名残惜しんでいる芭蕉の気持ちがよく表れています。

rakushisya 06

その後、芭蕉は1694(元禄7)年5月にも落柿舎を訪れていますが、この年の10月12日に、大阪・御堂筋にあった花屋仁左衛門の屋敷(旅宿とされていますが、御堂に花を納める生花店だったという説もあります。)で、芭蕉は病にて、51年の生涯を終えました。元気であれば、きっと何度も落柿舎を訪れて、去来ら弟子たちと語り合ったことでしょう。

ネーミングにある去来の思い

柿が落ちると書いて「落柿舎」とは、深まる秋を感じさせる洒落たネーミングですが、名付けた去来は、こんな句を残しています。「柿ぬしや 木ずゑはちかき あらし山」(柿よ、嵐が吹くという名の嵐山が柿の梢に近いので、柿の実が落ちてしまったのも、仕方ないことだ) 去来は案外、商談に失敗したことを気にしていたのかもしれませんね。

rakushisya 02

落柿舎:京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20 TEL : 075-881-1953

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
レクタングル(大)広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存



コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA