京の七不思議 その3『新京極の七不思議』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存
スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

京都の真ん中にある繁華街

京都の繁華街、新京極通(しんきょうごくどおり)は京都市のほぼ中央を南北に走る通りです。北は三条通から南は四条通までの短い通りですが、そこには観光客向けのお土産物のお店や、ファッションブティックや飲食店、シネコンなど若者向けの店舗が並び、多くの人が行き交う、賑やかな通りです。

shinkyougoku_nanafushigi 01

新京極は、1872(明治5)年に、当時の京都府参事だった槇村正直(まきむらまさなお)によって造られた街。明治天皇の東京遷都によって沈滞した京都のムードを一掃するために、京都の真ん中に大歓楽街を開いたと言われています。

このように京都の中では歴史の浅い通りですが、ここにも、いつの頃からか、七不思議が伝わるようになったのです。今回は京都で一番の繁華街、新京極の「七不思議」の話をしましょう。

新京極の七不思議とは!?

新京極の七不思議:その1「タラタラ坂」

shinkyougoku_nanafushigi 02

新京極通の北詰(三条通)から南に入ったところに、30メートルほど続く、高低差1メートル足らずの緩やかな坂があります。この坂が通称、「タラタラ坂」と呼ばれる坂道です。妙な名前がついていますが、それは坂を下るときに踵に草履が当たって出る音が“タラタラ”と聞こることから、そう呼ばれるようになったそうです。

新京極通に平行して、西側に寺町通、東側に河原町通が通っていますが、そのどちらにも坂道はなく、新京極通にだけ、坂があるのです。これは鴨川にかかる三条大橋の高さに合わせて三条通が作られ、その結果、三条通が他の通りよりも高くなり、新京極通に坂ができたと言われていますが、仮にそうだとしたら、同じ三条通に交差している寺町通と河原町通にも坂ができるはずです。でも、その2つの通りには坂はない。確かに不思議なことです。

新京極の七不思議:その2「誓願寺(せいがんじ)の迷子の道しるべ」

shinkyougoku_nanafushigi 03

新京極通を少し下ったところに、誓願寺というお寺があります。そのお寺の山門の外にある石柱には、正面に「迷子みちしるべ」、右側に「教しゆる方」、左側に「さがす方」という文字が彫られています。この石柱は落とし物や迷子を探したいときに、探している人は「さがす方」に、捜し物を見つけた人は「教しゆる方」に名前や情報を紙に書いて貼りだしておく、言わば、掲示板のような役割があったようです。単なる掲示板ではなく、道しるべという立体的なオブジェは、きっと人の目を惹いたことでしょう。誰が考えたのかはわかりませんが、なかなか素晴らしいアイデアですよね。

新京極の七不思議:その3「誓願寺(せいがんじ)の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」

shinkyougoku_nanafushigi 04

誓願寺にはもうひとつ、不思議が伝わっています。それは、ここ誓願寺には、胎内に五臓六腑がある阿弥陀如来があったという言い伝えです。

日本で初めて人体解剖を行ったとされる山脇東洋(やまわき とうよう)。ある夜、自分が解剖した死刑囚の幽霊が枕元に現れました。そして、「私は罪を犯してないのに、死刑にされてしまった。そして、解剖までされて、五臓六腑も取られてしまって……。このままでは成仏することはできない」と訴えたのです。

夢から覚めた東洋はその死刑囚の霊を鎮めるために、胎内に内臓がある阿弥陀如来像を作ってもらい、山脇家の菩提寺である誓願寺に寄進したそうです。その内臓のある阿弥陀如来像は1864(元治元)年の「蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)」で焼けてしまい、今は見ることはできません。内臓がある阿弥陀如来像とはどんなものだったのでしょうか。ちょっと気になりますね。

新京極の七不思議:その4「逆蓮華(さかれんげ)の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」

shinkyougoku_nanafushigi 05

新京極通の中間辺りに「女人往生」で信仰を集める安養寺という浄土宗のお寺があります。このお寺は俗に“逆蓮花寺(さかれんげじ)”と呼ばれ、蓮台が逆さになっている阿弥陀如来像が本尊として祀られています。

平安の頃、旅の老僧が安養寺を訪れ、一昼夜で阿弥陀如来像を作り、すぐに老僧はまた旅立って行きました。残された阿弥陀如来像に深く感謝した安養寺の僧は仏師を呼んで、阿弥陀如来像を載せる蓮華の台座を作らせましたが、何故か仏像を置くたびに、台座にひびが入ってしまいます。僧がどうしたものかと悩んでいると、どこからともなくあの老僧が現れ、「この仏は女人往生の証拠仏。八枚の葉の“さかれんげ”を台座にしなさい」と言って、また去って行きました。そして早速、老僧の言う通り、逆蓮華の台座を作ったところ、阿弥陀如来像を無事、安置することができたと言われています。

女人は業が深く、心の蓮華は逆さまになっていて、極楽往生できないと言われますが、蓮華を逆さにすることによって、女人を救済することができるのだそうです。

新京極の七不思議:その5「未開紅の梅(みかいこうのうめ)」

shinkyougoku_nanafushigi 06

誓願寺の東に、塔頭・長仙院(ちょうせんいん)というお寺があります。陰陽師・安倍晴明の坐像が安置されていることで知られるお寺ですが、このお寺の春日大明神の前に「未開紅(みかいこう)」という珍しい梅があります。何が珍しいかと言うと、蕾の間は紅色をしていますが、蕾が開くと真っ白な梅の花が咲くからです。まさに不思議な梅ですね。

新京極の七不思議:その6「和泉式部塔(いずみしきぶのとう)」

shinkyougoku_nanafushigi 07

平安中期の抒情歌人、和泉式部のお墓が誓願寺の南に位置する誠心院(せいしんいん)の境内にあります。このお寺に和泉式部のお墓があるのは、和泉式部がこの誠心院の初代の住職だったためです。ですから、このお寺に和泉式部のお墓があっても不思議なことではないと思うのですが、何故か「新京極の七不思議」のひとつとされています。それが不思議ということなのでしょうか…。

新京極の七不思議:その7「地蔵尊(じぞうそん)」

shinkyougoku_nanafushigi 08

新京極通の南の端にある染殿院(そめどのいん)は「子宝・安産」のご利益があるとされるお寺です。平安の頃、文徳天皇(もんとくてんのう)の奥方である藤原明子(ふじわらにあきらけいこ)が、このお寺のご本尊である「染殿地蔵」に子どもを授けてくださいと願ったところ、すぐに懐妊し、元気な男の子が生まれたと言われています。因みに、その男の子というのが、後の清和天皇です。

空海の作と言われる染殿地蔵は高さ2メートルほどの立ち姿の木彫りのお地蔵さんですが、なんと裸なのだそうです。今もお堂に安置されていて、是非、一度、見てみたいと思うのですが、実際にその姿を見ることはそうそうできないようです。というのは、一般に公開されるのは50年にたった一度だけだとか…。やはり、裸だけに人の前に出るのが恥ずかしいのかもしれませんね。

今日もたくさんの観光客や京都の若者たちで賑わう新京極界隈。新しい文化の中には、今も古来より伝わる不思議な話が残っています。気の合う人とぶらりと歩いて、七不思議に触れてみてはいかがでしょうか。

誓願寺:京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453 TEL:075-221-0958

安養寺:京都市中京区新京極通蛸薬師下ル東側町511 TEL:075-221-4850

長仙院:京都市中京区六角町通河原町西入ル松が枝町471 TEL:075-221-5179

誠心院:京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487 TEL:075-221-6331

染殿院:京都市中京区新京極通四条上ル西入ル中之町562 TEL:075-221-3648

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
レクタングル(大)広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存



コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA