京の七不思議 その14~東福寺の七不思議

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日本最古にして最大級の伽藍

東山区にある月輪山(つきのわさん)の麓に位置する東福寺(とうふくじ)。京都五山の第4位の禅寺として栄え、その境内には大伽藍が建ち並ぶことから、俗に“東福寺の伽藍面(がらんずら)”とも呼ばれほどに偉容を誇っています。

東福寺は京都でも有数のモミジの名所として知られていますが、鎌倉中期の臨済宗の僧、円爾(えんに)が宋から持ち帰ったとされる葉先が3つに別れた“通天モミジ”は特に有名で、晩秋の頃は多くの人で賑わいます。

摂政関白の九条道家が祖父・兼実(かねざね)の菩提寺として、1236(嘉禎2)年から1255(建長7)年までの19年もの歳月をかけて創建された東福寺。さて、このお寺に言い伝えられている不思議とは…。今回は日本最古にして最大級の伽藍、東福寺の七不思議の話をしましょう。

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東福寺の七不思議とは!?

東福寺の七不思議:その1「猫入り涅槃図(ねこいり ねはんず)」

お釈迦様の命日は現行の暦で言えば、3月15日(旧暦2月15日)にあたり、全国の仏教寺院では「涅槃会(ねはんえ)」と呼ばれる、お釈迦様を偲ぶ法要が行われます。その時にお堂には死を迎えたお釈迦様の様子が描かれた絵図『涅槃図(ねはんず)』が揚げられます。

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『涅槃図』にはお釈迦様が死して横たわっている周りに多くの弟子たちや動物が集まり、その死を嘆き悲しんでいる様子が描かれていますが、東福寺の涅槃図には通常、描かれることのない“猫”が描かれているのです。“猫”は仏教においては魔物と考えられていて、涅槃図に描かないのが慣わしとなっていますが、縦12メートル、横6メートルの巨大な東福寺の涅槃図の下部には、様々な種類の動物たちといっしょに“猫”が描かれており、そのことから「猫入り涅槃図」と呼ばれています。

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この涅槃図は、室町時代に当時の画家、明兆(みんちょう)が描いたものですが、その明兆が涅槃図を描いていた頃、夢に絵倶を口に咥えた一匹の猫が現れ、「お前が今描いている涅槃図に、是非、私を加えて欲しい」と明兆に訴えかけたのです。目覚めると、枕元には不思議なことに絵具が置かれいるではありませんか!これにはきっと深い意味があると悟った明兆は、その絵具で涅槃図に猫を描いたとところ、筆が進み、見事な涅槃図が完成したと言われています。

この「猫入り涅槃図」は毎年3月14日から16日まで催される「釈迦涅槃会」で一般公開されますので、機会あればご覧になって、お釈迦様を偲んでみては如何でしょうか。

東福寺の七不思議:その2「百雪隠(ひゃくせっちん)」

東福寺には重要文化財に指定されている“トイレ”があります。もちろん、“トイレ”という名ではなく、禅寺では「東司」と書き、一般的には「とうす」と読みますが、他に「とす・とうじ・とんす・とっす」といった様々な読み方があります。

どうして、トイレのことを「東司」と呼ぶのかというと、実はその理由ははっきりしていないようです。境内の東の位置に建てられたからというもっともらしい説がありますが、東福寺の東司は境内の南西の位置にあるので、この説も怪しいかもしれませんね。

東福寺の東司は室町時代初期に建てられた日本最古最大の東司で、間口約10メートル、奥行き約30メートル、高さ約10メートルの瓦葺きの建物です。残念ながら現在は中には入れませんが、その様子は壁面にある無双窓の隙間から見ることができます。

入り口は北にあり、土間の通路を挟んでその両側に便壷が15個づつ並んでいます。便壷の直径は約30センチ、深さ20~30センチ、便壷の間隔は1メートルほどで、間仕切りはありません。多くの人が同時に共同で使用できることから、俗に「百雪隠」、あるいは「百人便所」・「百間便所」と呼ばれています。

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ただ便所と言っても、僧侶たちにとっては東司を使うことも禅の修行のひとつで、その作法にも厳しい決まりがあったようです。お腹の具合が悪いときでも、決まり事通りに用を足さないといけなかったわけでしょうから、当時のお坊さんは大変だったでしょうね。

ところで排出物は今でもそうですが、当時は堆肥肥料として今以上に貴重なもので、京野菜の栽培に欠かせないものでした。残されている資料によると、江戸時代には1回の小便と大根1本が交換されていたとあり、現金にも換えられていたようです。

このような殺風景な空間で、僧侶たちが並んで用を足していると想像すると、何か臭ってきそうですが、僧侶たちにとっては他人が排出する姿に頓着することのない世俗を超えた精神を養う修行の場であると同時に、日頃の厳しい修行からの一時の息抜きの場だったのかもしれませんね。

東福寺の七不思議:その3「魔王石(まおうせき)」

東福寺・三門の東側にある五社大明神。その石鳥居をくぐり、石段を中ほどまで上がった左手にある小さな祠に「魔王石」と呼ばれる奇妙な石が祀られています。その石には何やら仏像らしきものが浮き彫りにされているように見えなくもないのですが、どうもはっきりしません。駒札のような説明書きも何一つなく、ただ祠の軒下には「魔王石」と書かれた額があるだけです。

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説としては諸説あって、修験(天狗)がらみのものではないかという説や、鞍馬山の魔王が降臨したのがこの石だという説、そして、東福寺を建立しようと考えていた九条道家が病で倒れたとき、比良の魔王(天狗?)が降臨し、病の原因である怨霊の鎮め方を道家の妻に教え、それによって病が治った道家は感謝の意味で石塔と魔王石を祀ったという説などがあります。ただ、どの説も決め手となるものが何もないのです。

“魔王”とは一体、何者なのでしょうか…。説明がつかない、まさに不思議と言うに相応しい史跡です。

東福寺の七不思議:その4「日蓮柱(にちれんばしら)」

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法堂(仏殿)の前には「日蓮柱之碑」と記された石碑が建っています。これは、日蓮上人が他宗から迫害を受けた時に、東福寺を開山した鎌倉時代の高僧、円爾(えんに)から庇護されたことに対して、日蓮上人はその恩に報いるとして、1245(寛元3)年の東福寺造営時に、法堂の巽(南東)の柱を寄進しました。この柱のことを“日蓮柱(にちれんばしら)”と呼び、今に伝えられています。

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法堂は1881(明治14)年に焼けてしまいましたが、その後、1934〔昭和9)年に再建され、その際にも、日蓮宗の宗徒によって、巽の柱が寄進されています。一度、受けた恩は世代を超えても決して忘れないということですね。

ところで、この日蓮柱には、これといった不思議が見当たりませんが、七不思議のひとつに数えられているのはどうしてなのでしょうかねぇ…。それが、不思議です。

東福寺の七不思議:その5「竜頭(りゅうず)のない鐘」

東福寺には、“鐘楼”、“殿鐘楼”、“開山堂・常楽庵の鐘”の3つの鐘がありますが、そのうちの禅堂の北にある殿鐘楼に吊されていた鐘は「竜頭のない鐘」と呼ばれています。鐘の“竜頭”とは、鐘の上部にある、吊り下げるためのものですが、殿鐘楼の鐘にはその竜頭がないのです。どうして、竜頭がないのでしょうか…。

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昔、東福寺の隣には天竜寺というお寺がありましたが、そこの摩訶阿弥陀仏(まかあみだぶつ)という僧侶が、こっそり殿鐘楼の鐘を持ち帰ろうとしたところ、東福寺の韋駄天尊が飛んできて、鐘を押さえ込みました。摩訶阿弥陀仏は必死に持って帰ろうとし、韋駄天尊は必死に取り戻そうとして、お互い譲らず引っ張り合っていると、突然、鐘が割れて、竜頭は摩訶阿弥陀仏に、鐘身は韋駄天尊に分かれてしまいました。結局、東福寺には鐘身のみが残され、竜頭のない鐘はそのままでは鐘楼に吊すことができないので、針金を使って鐘楼に吊り下げられたと言い伝えられています。

現在、殿鐘楼には原型を複製した鐘が吊されていますが、元の竜頭のない鐘は寺内の収蔵庫に保管されているそうです。残念ながら、その鐘を見ることは今はできません。本当にあるのかな…。

東福寺の七不思議:その6「十万不動尊(じゅうまんふどうそん)」

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東福寺の塔頭のひとつ、同聚院(どうじゅいん)の五大堂には、像高が265センチもある日本最大の木像「不動明王坐像」が安置されています。国の重要文化財に指定されている「不動明王坐像」は藤原時代前期の仏師で定朝の父・康尚(こうしょう)の作で、古来より“十万(じゅうまん)不動さん”と呼ばれ、民衆から崇敬を集めて来ました。

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この像の名前は今でこそ“十万”の2文字で記されていますが、もともとは石碑にあるように“十”と“万”を組み合わせて1字で記されていました。もちろん、このような漢字は存在しないのですが、この字には「土力(どりき)」即ち、土の力ということで、土地を守るという意味や、「十万」即ち、不動尊は常に十万の眷属(けんぞく:従者や家来のこと)を従えているという意味があるのだそうです。確かに憤怒の形相の中に優美さをたたえた不動明王坐像の表情には、底知れに力強さと頼れる安心感が感じられます。

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毎年、2月2日には“十”の下に“万”を書いた屋守護(やさご)の符が参拝者に配られ、その符を玄関先に貼っておくと、その家は火災などの災難を逃れ、子孫繁栄に恵まれると言われています。

東福寺の七不思議:その7「細川遺愛石(ほそかわ いあいせき)」           

東福寺の塔頭のひとつ、霊雲院(れいうんいん)。東福寺の西の少し奥まった位置にあるため、訪れる人も少ないようですが、この寺院には「九山八海(くせんはっかい)」と呼ばれる枯山水の庭園があります。「九山八海」とは、世界は9つの山と8つの海からなり、その中心には想像上の山、須弥山(しゅみせん)があるという仏教の考えに基づき、仏を中心とした壮大な世界を表現したものです。

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1390(明徳1)年に創建された霊雲院は古くは京都の名所として知られていましたが、長年の間に庭がすっかり荒廃してしまいました。その窮地を救ったのが、昭和を代表する作庭家の重森三玲(しげもり みれい)氏です。1970(昭和45)年に重森氏により復元され、今の美しい庭になりました。重森氏が手掛けた庭としては、重森氏の特徴である石組みの力強さは幾分、少なく、緑が多い、優しい印象の庭になっていますが、それは当時のご住職の希望を取り入れて作庭したためだそうです。

その庭園の中央にある白砂の中にちょっと異様なものが置かれています。味気のない土台の上に、荒々しい石が載せられているのですが、寺伝によると、この石は第7世住持の湘雪(しょうせつ)和尚が、当時、親交の深かった肥後(現:熊本県)の細川家から贈られた由緒ある石で、「遺愛石(いあいせき)」と名付けられた名石だということです。

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時の藩主、細川忠利が霊雲院(当時は不二庵)に石高500石を贈るとしたところ、湘雪和尚は、「そのような財産はかえって修行の邪魔になります。それならば、庭石をいただければ、それを寺の宝としましょう」と言ったそうです。財産ではなく、庭石を求めた湘雪和尚は、間違いなく、禅に生きる僧だったのです。

東福寺:京都市東山区本町15-778 TEL : 075-561-0087

同聚院:京都市東山区本町15-799 TEL : 075-561-8821

霊雲院:京都市東山区本町15-801 TEL : 075-561-4080

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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