祇園祭の縁起物のひとつに「粽(ちまき)」があります。“ちまき”と聞くと、笹の葉で巻かれた餅米の食べ物を思い浮かべる方も多いかと思いますが、ちまきはちまきでも、祇園祭の“ちまき”は食べ物ではなく、厄除けのお守りのことなのです。今回は祇園祭に欠かせない「厄除け粽」のお話をしましょう。
「厄除け粽」とは?
厄除け粽とは、毎年、7月に行われる祇園祭の間だけ、八坂神社や各山鉾町のお会所で販売される、笹の葉で作られた疫病・災難除けのお守りです。京都の町を歩いていると、厄除け粽が家の玄関に吊されているのをよく見かけられますが、京都人はこのお守りに、家族の無事を願うのです。
厄除け粽は巻かれた笹の葉をイグサで縛り、束にしたものですが、それには短冊状の札が付いていて、「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんなり」という文字が書かれています。この文字には厄除け粽の由来となるひとつの言い伝えがあるのです。その言い伝えとは……。
厄除け粽の由来となった言い伝え
昔々、牛頭天皇(ごずてんのう)という神様が花嫁捜しの旅をしていたころ、一夜の宿を探していると、金持ちの巨旦将来(こたんしょうらい)の家にたどり着きました。牛頭天皇は泊めて欲しいと頼むと巨旦は貧しい身なりの牛頭天皇を見て、「見知らぬ旅人を泊めるわけにはいかない」と言って追い返してしまいました。
当てもなく歩いていると、今度は巨旦将来の弟である蘇民将来の家にたどり着きました。牛頭天王は一夜の宿を蘇民に頼んでみると、貧しいながらも心優しい蘇民は「何もお構いできませんが、ゆっくり休んでいってください」と牛頭天皇を手厚くもてなしたのです。蘇民の心遣いに大変喜んだ牛頭天王は、そのお礼に「今後、お前の子孫は末代まで私が守ってやろう。目印に、腰に茅の輪をつけておきなさい」と言い残して、去って行きました。
その言葉を代々守り続けた蘇民将来の子孫たちは、疫病が流行った時も生き残り、末代まで繁栄したのでした。(因みに6月30日に京都の多くの神社で行われる「夏越祓(なごしのはらい)」で、大きな茅の輪をくぐることで厄払いをする風習がありますが、これもこの言い伝えに由来しています。)
この伝説に出てくる護符の茅の輪は“茅”を束ねて巻いったもので、その「茅を巻く」ということから「茅巻(ちまき)」と呼ばれるようになったのです。そして、それが音が同じの「粽(ちまき)」に変わっていき、束ねた粽が厄除けのお守りになったのです。厄除け粽に付いている「蘇民将来子孫也」の札は「私は蘇民将来の子孫ですので、どうか病気や災いから護ってください」という意味が込められた護符なのです。
ちまき売りのわらべ唄に誘われて
厄除け粽には通常の「疫病退散」以外に、それぞれの山鉾の由来にちなんだご利益があります。
例えば、菊水鉾は「不老長寿・商売繁盛」、船鉾は「安産」、鯉山は「立身出世・開運」などと様々。
♪厄除けのお守りはこれより出ます。ご信心のお方様は受けてお帰りなされましょう♪
浴衣を着た子どもたちが歌う「ちまき売りのわらべ唄」に誘われて、ちまき巡りをするのも、祇園祭の楽しみのひとつです。
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