お寺はその地域と密着し、そこに暮らす人々の心の拠り所でもあったことから、正式な名称よりも、親しみを込めて通称で呼ばれることがよくあります。京都のお寺にも、ユニークであったり、温もりがある通称を持つお寺が数多くあります。
千本通今出川の交差点から西に50mほどのところに、小さなお寺がありますが、このお寺にも風変わりな面白い通称があるのです。それは、“湯沢山 茶くれん寺(ゆたくさん ちゃくれんでら)”。正式な寺名は「浄土院(じょうどいん)」なのですが、このような漫画チックな通称で呼ばれるようになったのは、ある人物が関係しているのです。今回は安土桃山時代に創建された尼寺、「湯沢山 茶くれん寺」の話をしましょう。
ユニークな通称
浄土院は、もとは近くにある般舟院(はんじゅういん)というお寺の隠居所として創建されました。代々、尼僧が住職を務めた(現在は無住)浄土宗のお寺です。
この浄土院の門前に「豊公遺跡 湯たく山 茶くれん寺」と記された石碑が建っていますが、“湯沢山 茶くれん寺”と呼ばれるようになったのは、その石碑にある“豊公”、つまり、豊臣秀吉が浄土院を訪れた時の、ある出来事に関係しているのです。
天下人の突然の来訪
1587(天正15)年10月1日、秀吉の九州征伐の勝利と、邸宅の聚楽第(じゅらくだい)の完成を祝って、北野天満宮の境内で「北野大茶会」という茶会が催されました。
その当日、北野天満宮に向かっていた秀吉は、浄土院の前に差しかかった時に、浄土院に名水が湧き出る井戸があることを思い出し、立ち寄ることにしました。秀吉は寺に入るやいなや、住職にお茶を所望しました。住職がお茶を出すと、秀吉はあっと言う間に飲み干し、お茶のおかわりを所望したのです。その時、住職は高名な茶人でもある天下人の秀吉に対して、未熟なお手前のお茶を出し続けるのは、あまりにも失礼なことだと思い、どうしたものかと考えたところ、お茶ではなく、境内に湧き出る名水をそのまま味わっていただくことが良いと思い付き、白湯を秀吉に出しました。
秀吉と住職との洒落っ気あるやり取り
出された白湯に不思議に思いながらも、秀吉は白湯を飲み、またお茶のおかわりを所望すると、住職もまた、白湯を出す。そして、また…。このようなやり取りが何度か続いたようですが、そのうちに秀吉は住職の気持ちを悟り、笑いながら、「この寺は、お茶をくれと頼んでいるのに、白湯ばかり出して、お茶をくれん。湯たくさん、茶くれん」と、住職に言ったのでした。
このように、秀吉の言った言葉がそのまま寺の通称となり、「湯沢山 茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝えられているのです。
それにしても、関白秀吉に物怖じせず、機転を利かせた住職の尼僧には感心しますよね。それに、普通ならば気を悪くして、怒り出すところを、笑いに変えた秀吉にも器の大きさを感じます。秀吉と尼僧の間には、きっと洒落っ気あるやり取りが繰り広げられたことでしょう。
秀吉が立ち寄った本当の目的は?
ところで、秀吉はどうして大茶会が開かれるという忙しい日に、わざわざ浄土院に立ち寄ったのでしょうか? 一応、浄土寺には名水が湧き出ていて、それを味わいたかったという名目はありますが、本当のところは、尼寺であった浄土院には、秀吉のお気に入りの尼僧がいたからかもしれませんね…。女好きの秀吉ですから、あり得ることです。
浄土院:京都市上京区今出川通千本西入ル南上善寺町179 TEL : 075-461-0701
※浄土院は通常、非公開の寺院ですが、予約をすれば拝観できます。
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