世界文化遺産のひとつ、高山寺に伝わる至宝
平安建都1200年目にあたる記念の年の1994(平成6)年に、京都文化圏(京都市、宇治市、大津市)にある17ヵ所の寺院や神社、そして、城が、ユネスコの世界文化遺産『古都京都の文化財』に登録されました。
京都の中心地から離れた高雄の山中、栂尾(とがのを)にある「高山寺(こうさんじ)」も世界文化遺産に登録された文化財のひとつです。17の文化財は他に、金閣寺、銀閣寺、清水寺、龍安寺、醍醐寺、平等院、比叡山延暦寺などがありますが、そのほとんどが観光名所としてもよく知られているので、名称を聞いただけで、すぐにその姿を思い浮かべることができるかと思いますが、高山寺はその名を聞いても、「あれ? 高山寺ってどんなお寺?」と思われる方が多いのではないでしょうか。
ところが、寺名を聞いてもピンと来ない高山寺も、この寺院に伝わる絵巻物のことは日本の、いや世界の人たちにとてもよく知られています。その絵巻物とは「鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)」。擬人化されたウサギやサルやカエルがユーモラスに描かれたこの絵巻物は教科書などにもよく載っているので、一度や二度はご覧になられたことがありますよね。その描かれた世界は“漫画の元祖”とも言われ、キャラクター化された動物にはそれぞれ表情があって、見ているだけで楽しい気分になってきます。しかし、実はその裏側にはもうひとつの顔が隠されていたのです。今回は謎の絵巻物、「鳥獣人物戯画」の話をしましょう。
謎多き「鳥獣人物戯画」
「鳥獣人物戯画」は国宝に指定されている、言わば、“名画”ですが、不思議なことに、誰がいつ何のために描いたものか、その記録が一切、残されていないのです。
描かれたのは12~13世紀ではないかと推定されていて、その奇想天外な画風から、作者は平安時代後期の高僧で、当代随一の絵の腕前を持っていた“鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)”ではないかという説が長い間、通説とされてきましたが、現在ではその確たる記録がないことから、覚猷説は疑問視されています。他にも、絵仏師の定智(じょうち)や僧の義清阿闍梨(ぎせいあじゃり)ではないかとも言われていますが、やはりこれらも確証がなく、今は作者未詳ということになっています。
「鳥獣人物戯画」に描かれているものは?
「鳥獣人物戯画」は甲・乙・丙・丁の4巻で構成されている絵巻物で、その長さは4つ全部合わせると、なんと44メートルにもなる、まさに超大作です。
1巻目にあたる甲巻は森の中で擬人化されたウサギやサルが川遊びに興じている様子が描かれています。
2巻目の乙巻には麒麟(キリン)などの空想上の霊獣とゾウなどの実在する動物が一緒に描かれ、夢と現実が入り混じった世界が写生的なタッチで描かれています。
そして、甲・乙から数十年後に描かれたとされる3巻目の丙巻は前半が人間の風俗画、後半が擬人化された動物の姿が描かれています。この丙巻は絵のタッチから、甲・乙を描いた絵師とは別の絵師が描いたのではないかと言われています。
4巻目の丁巻は、人間だけで構成され、勝負事に興じる姿が描かれています。
「鳥獣人物戯画」が描かれた目的
平安時代には「源氏物語絵巻」などの絵巻の名作が数多く作られたました。それらの絵巻は時の権力者が自らの権威を世に示す目的と一族の繁栄を祈る意味から、最高の絵師と最高の道具(絵の具や紙)を使って描かせることが多かったようですが、「鳥獣人物戯画」が描かれた和紙は決して高価なものではなく、日用品レベルのもので、しかも、一度何かに使われた後にリサイクルされたものだったことが最近の調査で明らかになっています。
このことから、「鳥獣人物戯画」は権力者が絵師に作らせたものではなく、絵師が自分の趣味として遊び心で描いたものではないかと考えられています。日頃、絵師たちは天皇や貴族たちから注文を受けて、絵の製作を行っていたわけですが、そこに求められるものは、常に雅で繊細な線で描くことでした。つまり、本当に描きたい絵の描き方ではなかったのです。そこで絵師が自分の好きなように楽しんで描いたのが「鳥獣人物戯画」だったのです。擬人化された動物や草花が伸びやかなラインで描かれているところに、絵を描くことへの絵師の秘めた思いが表れているように思えます。
最大の謎が解明されるかもしれないヒントとは?
「鳥獣人物戯画」には解明されていない謎が多くありますが、その中でも特に研究者たちを悩ませてきたのが、3巻目の丙巻です。
この丙巻の何が謎かというと、それは描かれている物語の流れが不自然になっているということです。絵巻は通常、右から左へ物語が繋がり、流れが展開されていきます。ところが丙巻では、人間たちが繰り広げるユーモラスな場面が続いて行くかと思いきや、突然、ひとつの紙の継ぎ目を境に擬人化された動物たちの描写に変わってしまっているのです。こんなことは絵巻にはあり得ないことで、研究者はその点に興味を持って、その謎を解き明かそうとしてきましたが、結局、その糸口すら見つけることができませんでした。そんな折に、昨年(2014年)に行われた修復の過程で、その謎の解明に繋がるかもしれない、あるヒントが見つかったのです。
丙巻の修復作業が行われていた最中に、意図して描いたとは思えないシミのような跡が丙巻のいたるところにあることに作業員が気づきました。そのシミの中には烏帽子(えぼし)に似たシミがあって、作業員がそのシミを見たときに、同じ丙巻の中に烏帽子をかぶった人の絵が描かれていたことを思い出したのです。そこで、試しにその烏帽子を動物の場面にあったシミに重ねてみると、シミの形だけではなく、人物と動物の位置まで完全に重なったのでした。つまり、これは人物と動物の場面は、元は1枚の紙の両面に描かれていたということを意味しているわけです。その紙を2枚に剥がして、繋いだために、丙巻の物語の流れが突然、不自然になってしまったのです。
どうして、まったく物語の流れに繋がりのない場面を繋いだのかは、今も謎のままですが、まさか間違って繋いだとは思えないので、そこには何らかの意図があったことだけは確かなことだと思います。
「鳥獣人物戯画」は洒落絵だった!
「鳥獣人物戯画」と呼ばれるようになったのは、明治以降のことで、それまでは“獣絵(けものえ)”とか“洒落絵(しゃれえ)”と呼ばれていたそうです。絵師たちが自分たちの楽しみで描いた洒落絵は、後の絵師たちに多大な影響を与え、そして現代において、その洒落絵は日本美術の最高傑作のひとつとなったのです。
このように何かと興味深い「鳥獣人物戯画」は、4年間の長い修復作業を終え、2014(平成26)年の10月7日から11月24日までの間、京都国立博物館の明治古都館で、甲乙丙丁の4部作がすべて公開されるというビッグなイベントが開催されました。そして、今年(2015年)には、2015年4月28日から6月7日まで、東京国立博物館の平成館で「鳥獣人物戯画」の4部作が公開されました。
「鳥獣人物戯画」の全作に出会える機会はそうそうありませんが、もし、そのチャンスがあれば、是非、本物の“洒落絵”を見て、平安人の遊び心を感じてみては如何でしょうか。
高山寺:京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8 TEL : 075-861-4204
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コメント
一番下の高山寺の写真ですが、丹波市の高山寺の写真ですよね?
ななし様
ご指摘、ありがとうございます。紅葉の参道の写真は確かに兵庫県丹波市の高山寺の写真です。間違って掲載していました。早速、京都・高山寺の写真に差し替えさせて頂きました。