梅雨真っ只中のこの時期、7月に入ると京都では日本が誇る無形文化遺産でもある「祇園祭」が始まります。日本中から、いや外国からもたくさんの観光客で賑わう、夏の京都を代表するお祭り。京都三大祭り(葵祭・祇園祭・時代祭)、日本三大祭り(祇園祭・天神祭・神田祭)、日本三大曳山祭(祇園祭・飛騨高山祭・秩父夜祭)、日本三大山車祭(祇園祭・飛騨高山祭・長浜曳山祭)と“三大”とつくお祭りに名を連ねる、日本有数の祭りでもあります。
民衆によって育まれた祭
今から約1100年前の清和天皇の頃、京の都や日本各地に疫病が流行し、たくさんの病人と死人が出ました。これはきっと牛頭天王のたたりに違いないとして、平安京の広大な庭園であった神泉苑に当時の国の数が66ヵ国だったことから、66本の鉾を立て、八坂神社の前身である祇園社を信仰して、病魔退散を祈願したのが祇園祭の始まりとされています。
町ごとの特色ある山鉾が作られるようになったのは室町時代の頃で、その後、1467(応仁1)年の応仁の乱で都は焼け野原と化し、祇園祭も一度は途絶えましたが、1500(明応9)年6月に再び山鉾26基が巡行したと記録されています。ただ、この当時の山鉾は今と違って簡素なもので、山鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけての頃のようです。
その後、度々の火災で多くの山鉾が焼失してしまいますが、その都度、民衆の力で再興し、長い歴史と文化が育んだ風習としきたりが今日まで受け継がれてきたわけです。「動く美術館」と呼ばれる豪華絢爛な山鉾を見ていると、皇族や貴族の世界のもののように見えますが、それはすべて、民衆の感性や発想から生まれ、発展したものだったんですね。
1ヶ月間も続く祇園祭
ところで、祇園祭は1ヶ月もの間にわたって行われるお祭りであることはご存知でしたか? 祇園祭というと、7月17日に行われる山鉾巡行が一般的には広く知られていて、山鉾巡行のことが祇園祭だと思われることもあるようですが、そうではありません。祇園祭は、7月1日の「吉符入り」という神事の打合せから始まり、31日に八坂神社にある疫神社で行われる「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月の間にいろいろな神事や行事が執り行われます。歴史が長いこと、そして、祭が1ヶ月続くという大規模なところが、日本を代表する祭とされる所以でもあるのでしょう。
本来の祇園祭の姿
本来、祇園祭は半世紀ほど前の1965(昭和40)年までは7月14日の宵々々山から17日の山鉾巡行が行われる期間である「前祭(さきまつり)」と21日の宵々々山から24日の山鉾巡行が行われる期間である「後祭(あとまつり)」に分けて行われていました。しかし、交通渋滞や観光振興を理由にその翌年の1966(昭和41)年より、前祭と後祭をひとつにまとめて行われるようになったのです。
ところが、近年、京都市や八坂神社、そして、祭りに関わる町の人たちが後生に正しい祭の形を伝えるために、古くから伝わる山鉾や行事を復活させる取り組みを行い、昨年の2014(平成26)年より、「後祭」が復活することになったのです。今年も7月18日より後祭の山鉾が10基組み立てられ、24日に橋弁慶山を先頭に巡行が行われます。
祇園祭の最大の山場、山鉾巡行。昨年より半世紀ぶりに後祭の山鉾巡行が復活したことで、祇園祭本来の姿が見ることができるとは、何ともうれしいものです。コンチキチン♪、コンチキチン♪とお囃子の音が聞こえてきたら、京都に夏がやってきます。
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