京都怪異譚 その14『班女塚伝説』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存
スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

京都のビジネス街にある小さな神社

京都の商業地区の中心地である下京区室町。繊維問屋が多く集まるこの界隈は、行き来する人や車の出入りで日中は賑やかなビジネス街ですが、そんな街の一角に赤い鳥居の小さな神社があります。街の雰囲気からすると、そこにあることがそぐわないような、妙に違和感がある神社ですが、その標札に目をやると「高辻弁財天 繁昌の宮」と記されています。正しくは「繁昌神社(はんじょうじんじゃ)」といいますが、その「繁昌」という名前の通り、商売繁盛、家内安全、良縁成就などのご利益があるそうです。

hanjyozuka 01

創建の年代は正確にはわかりませんが、平安時代、この地に藤原繁成(ふじわらのしげなり)という人物の邸宅があって、その邸宅の庭にある池の中の島に田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまのみこと)の三姉妹の神様、「宗像三女神(むなかたさんめがみ)」を祀ったことが始まりと言われています。一見、古さをあまり感じないのですが、かなり歴史のある神社のようです。

ある1人の女性の思いが起こした怪異

繁昌神社は、神社としてはごく普通の神社なのですが、実は繁昌神社とこの神社のすぐ近くにある「班女塚(はんにょづか)」には、薄気味の悪い話が残されているのです。その話とは……。

今は昔、京の高辻室町に、美しい姉妹が住んでいました。両親はすでに他界し、姉妹は亡き父が残した家で暮らしていました。家は寝殿造りで、結婚していた姉はその夫とともに家の奥に住み、独り身の妹は南の庭に面した妻戸口(つまどぐち:玄関脇の部屋)で暮らしていました。人に会ったり話したりすることが大好きだった妹は、人の出入りがしやすい妻戸口がたいそうお気に入りでした。

その妹が、27、28歳ぐらいの時に、ひどく患った末に亡くなってしまいました。病で苦しいときも賑やかな場所が良いからと、大好きだった妻戸口に床をのべ、最期を迎えたのです。

悲しみの中、身近な人たちによって、妹の亡きがらは棺に入れられ、荷車に載せて、鳥辺野(とりべの:東山にある葬地)まで運んで行きました。

やっと鳥辺野に着いて、荷車から棺を降ろそうと棺に近づいたとき、そこにいた人たちは信じられない光景を目にしたのです。棺のフタが少しずれていたので、慌てて中を見てみると、収めたはずの妹の亡骸が消えてしまっていたのです。「まさか、どこかで落としたのでは!?」一行は来た道をくまなく探しましたが、妹の亡骸を見つけることができず、そのうちに日も暮れてきたので、仕方なく家へ引き返すことになりました。すると、またしても、信じられない光景がそこにあったのです。なんと、妻戸口に妹の亡骸が横たわっているではないですか! それは奇妙でもあり、恐ろしくもある光景でした。

翌日、再び、妹の亡骸を棺に入れて、鳥辺野へ運んでいきましたが、鳥辺野に着く頃になると、また、棺のフタがずれていて、妹の亡骸は消えてしまっていました。またか!と一行は慌てて家に戻ると、予想通りに、妹の亡骸は妻戸口にあったのです。一度ならず二度までも…。みんなは真に恐ろしくなりましたが、このまま放置しておくわけにはいかないので、また、妹の亡骸を棺に収めることになりました。すると、今度は根でも生えたかのように妹の亡骸はびくとも動かないのです。その様子を見ていた姉は「きっと妹は離れ難いのでしょう。あの子はこの場所が大好きでしたから…」と言うので、妻戸口の板敷きを取り外して、墓穴を掘って、そこに入れるために妹の亡骸を持ち上げてみると、今度は軽々と動いたのでした。そして、妹の亡骸はそこに埋葬され、供養のために塚が作られました。

その後、姉は別の所に引っ越し、妹の亡骸が埋まっていることを気味悪く思っていた近所の人たちも、1人去り、2人去り、次第に誰もいなくなってしまいました。そして、長い歳月の間で寝殿造りの家は朽ち果て、不思議なことに塚だけが残ったのです。そして、いつしか、塚の上に社が建てられ、「班女塚(はんじょづか)」と呼ばれるようになったのです。

hanjyozuka 03

この話は鎌倉時代の初期、1200年頃に作られた説話集、『宇治拾遺物語』の第3巻の15話目「長門前司の娘が埋葬の時、本所に帰る事」という題名で記載されている話です。背筋がゾクッとする怖さがある話ですが、どこか可哀想な、哀れさを感じる話でもありますね。

「班女」の由来

ところで、「班女塚」と言うわりには、この話には「班女」はどこにも出てきません。では、何故、「班女塚」と呼ばれるのでしょう。それは、中国、前漢時代の女官「班婕妤(はんしょうよ)」という人物のエピソードに関係しているようです。

班は皇帝の寵愛を受けていましたが、突然、その寵愛を失い、失意のうちに皇帝から去って行ったとされる女性であることから、「寵愛を失った」=「愛されなくなった」女性の象徴とされています。そのイメージを男性と縁がなかったまま死んでしまった妹に重ねて、「班女塚」と呼ばれるようになったと言われています。

未婚の女性は近づくな!

繁昌神社も、班女塚の上にあったとされる「班女神社(はんじょじんじゃ)」が訛って、「繁昌神社(はんじょうじんじゃ)」になったとか…。縁起の良い名前ですが、塚の下に葬られた妹の恨みとも言える思いは今も消えずに残っているかもしれません。未婚の女性が班女塚の前を通ると破談になるという噂もあるようなので、結婚を控えていらっしゃる女性は、班女塚には近づかない方が良さそうですよ。

hanjyozuka 02

班女塚:京都市下京区室町通高辻西入ル繁昌町308 TEL:075-371-4615

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
レクタングル(大)広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存



コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA