京都市の西のはずれ、小塩山(おしおやま)の麓に広がる里、“大原野(おおはらの)”。長岡京遷都の頃から、皇族や貴族たちの優雅な遊び、“鷹狩り”が盛んに行われたところで、のどかな風景が訪れる人の心を和ませています。
その大原野の自然に囲まれて、ひっそりと佇んでいるお寺が「十輪寺(じゅうりんじ)」です。今回は、平安時代の初期に創建された天台宗のお寺、「十輪寺」の話をしましょう。
安産祈願が始まりとされる十輪寺
十輪寺は850(嘉祥3)年、文徳天皇(もんとくてんのう)の后、染殿皇后(そめどのこうごう:藤原明子[ふじわらのあきらけいこ])に世継ぎが生まれなかったために、延命地蔵菩薩を安置し、安産祈願を行ったことが始まりとされています。この祈願が通じたのか、染殿皇后には、めでたく皇子(後の清和天皇)が誕生し、ご利益のあった延命地蔵菩薩は十輪寺のご本尊として祀られました。
染殿皇后は延命地蔵菩薩に巻かれていた腹帯を自分のお腹に巻いたことで、無事に皇子が生まれたと言われているのですが、そのために延命地蔵菩薩は“腹帯地蔵尊(はらおびじぞうそん)”とも呼ばれ、今も子宝や安産を願う人たちが多くお参りに訪れています。
十輪寺の別名にある“なりひら”とは?
ところで、この十輪寺には「なりひら寺」という別名があります。“なりひら“と聞いてピンとくる方はかなりの歴史好きかと思いますが、“なりひら”とは、「在原業平(ありわらのなりひら)」のことです。
男女の情愛を描いた“昔、男ありけり”で始まる『伊勢物語』の主人公であることから、“平安のプレイボーイ”といったイメージがありますが、業平は「六歌仙」や「三十六歌仙」の1人でもある、大変な風流人でもありました。その業平が56歳でこの世を去るまでの晩年を十輪寺で隠棲したことから、「なりひら寺」と呼ばれているのです。
業平が残した“塩焼き”の逸話
十輪寺の裏山を登ったところに、直径約8メートル、深さ約1.5メートルのすり鉢状のくぼみがあり、その中央に石で組み上げられた「塩竃(しおがま)」が置かれています。今の塩竃は近年、再現されたものですが、お寺に残る文献によると、この場所で業平は“塩焼き”を楽しんだとあります。この十輪寺がある周辺の地が「小塩(おしお)」と呼ばれるのも、この“塩焼き”に由来があるようです。
“塩焼き”とは、竃に海水を入れて煮詰め、水分が飛んだあとに残った塩を焼いて、その煙を見て楽しむという平安貴族の風流な遊びのひとつです。業平もわざわざ浪速(現:大阪・尼崎)から海水を運び入れ、塩焼きを行っていたそうですが、それにはこんなエピソードが残されています。
“業平は清和天皇の后である藤原高子(ふじわらのたかいこ)と恋仲にありましたが、藤原氏の政略により、2人は引き裂かれ、会えない日々が続いていました。そんなある日、高子が藤原氏の氏神である大原野神社を参詣することを知った業平は、塩竃から紫色の煙を立ち上らせて、高子に変わらぬ恋心を伝えたのでした。”
業平が情熱的なプレイボーイと言われるに相応しい逸話ですが、会いたくとも会えない、その切ない思いを煙に託したという風流な行いをした業平は、単なるプレイボーイではなく、人の心や世の無常がわかる繊細さを備えた人物だったのでしょう。
恋愛成就を願う女性に人気の十輪寺
毎年、業平の命日である5月28日に、業平を偲ぶ「業平忌(なりひらき)」が営まれています。花を撒く散華が行われ、三弦(三味線)を弾きながら般若心経が唱えられる法要には、数々の恋愛遍歴で知られる業平にあやかって恋愛成就を願う女性が多く訪れています。
在原業平が晩年を過ごした十輪寺。業平の恋愛論が後に「なりひら信仰」として世に広まり、今もご住職から、業平の恋愛論の講話をお伺いすることができるそうです。恋にお悩みの方は、十輪寺に足を運んでみては如何でしょうか…。もしかすると、思いが叶うかもしれませんよ。
十輪寺:京都市西京区大原野小塩町481 TEL : 075-331-0154
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コメント
金蔵寺の画像が十輪寺として入っているのでは
しょう様
コメント、ありがとうございます。
ご指摘の通り、金蔵寺の紅葉の画像と間違って使っておりました。
早速、十輪寺の紅葉の画像に差し替えさせて頂きました。
誠にありがとうございました。