京都怪異譚 その25『悲しき禁断の恋 ~小野 篁の伝説』

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八坂神社や建仁寺などの観光名所が点在し、高級料亭やお茶屋が建ち並ぶ、東山・祇園。この辺りはその昔、東山の麓にあった埋葬地・鳥辺野(とりべの)の入り口にあたり、“六道の辻(ろくどうのつじ)”と呼ばれていました。それを示す石碑が建つところに建仁寺の塔頭のひとつ、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)があります。“六道”とは、死者が転生するところで、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道の6つの冥界のことで、ここ六道珍皇寺の辺りはこの世とあの世の境と考えられ、古来より冥界につながる入り口と信じられていました。

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貴族社会の異端児、小野篁

六道珍皇寺の本堂の裏庭には“冥土通いの井戸”と呼ばれる井戸があります。

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毎夜、この井戸を通って地獄の閻魔庁に赴き、亡者を裁く閻魔大王の補佐をしていたと伝わる人物が、身長が6尺2寸(約188cm)もある巨漢の小野 篁(おのの たかむら)です。

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篁は平安時代初期の官僚で、文武両道に優れ、歌人・学者としても知られていますが、権威に従わず、自己の主張を貫くところから、貴族社会では異端児とみなされ、変人だと言うことで「野狂(やきょう=野は姓である小野の略)」という異名で呼ばれることもあったようです。

そんな篁には、数奇な伝説が数多く残されていますが、そのひとつに異母妹との禁断の恋の物語があります。

異母妹との再会

平安の頃のことです。両親に大事にされ、美しく育った娘がいました。両親は娘に女性として身に付けるべき教養をいろいろ習わしてい、次は漢籍(漢文で書かれた中国の書籍)を習わすことにしました。そこで先生は誰に頼もうかと考えたところ、ひとりの学問に秀でた人物を思い付いたのです。その人物とは、娘とは腹違いの兄で、名を小野篁(おのの たかむら)といいました。

娘と篁は兄妹という関係ではありましたが、腹違いということで2人は幼いときから疎遠になっていました。篁はこれも何かの縁だと思い、親の申し出を快く引き受け、妹に漢籍を教えることになりました。

篁は妹に漢籍を教え、言葉を交わし、顔を見交わすにつれて、次第にお互い馴れ親しんでいきました。そして、2人の間には恋心が芽生え始めたのです。兄妹とは言え、今までほとんど会ったことのない2人にとって、それは自然なことだったのかもしれません…。

妹の心を掴んだ篁の歌

ある夏の暑い日に、篁は妹に歌を一首書いて渡しました。

『中にゆく吉野の川はあせななむ 妹背の山を越えてみるべく』(妹山と背山の間を流れる吉野川が干上がって欲しい。そうなれば、妹山と背山(貴女と私)を隔てるものはなくなり、結ばれることだろう)

妹は突然の兄の歌に驚きながらも、『妹背山かげだに見えてやみぬべく 吉野の川はにごれとぞおもふ』(私は妹背山の影さえも見えなくなってしまうほど、吉野川は濁って欲しい。結ばれるなどとはとんでもないことです)と返しました。

この妹の返歌に慌てた篁はすぐさま歌を詠みました。

『にごる瀬はしばしばかりぞ 水しあれば澄みなんとこそ頼み渡らめ』(たとえ吉野川が濁ったとしても、それは一時的なこと。水が流れれば、やがて澄んでくることでしょう。それと同じで、あなたと私はやがて結ばれると信じています)

些か強引な篁に対して妹は、『淵瀬をばいかに知りて渡らんと 心を先にひとのいふらん』(昨日の淵が今日の瀬になるような明日をもしれない今の世に、私の心の深さをどう推し量って、川を渡ろうと言われるのでしょうか)と返しました。

それに対して篁は『身のならん淵瀬も知らず妹背川 おり立ちぬべき心地のみして』(私の将来、淵になるか瀬になるかはわかりませんが、今の私は、あなたと結ばれたいと思う、ただそれだけです)と妹に熱い想いを込めた歌を詠んだのでした。

このような歌のやり取りを重ねるに従って、2人のお互いを思う愛情はますます深まっていったのです。

抑えきれない妹への思い

年が明けて、2月の最初の丑の日のこと。妹は伏見稲荷神社へ1年の平穏を願うするためにお参りに行ったところ、そこで、偶然、通りがかった兵衛府(ひょうえいふ:律令制における官司)の次官に妹は見初められてしまいました。

その後、間もなくして、次官が想いを綴った手紙を持った子どもが妹を訪ねてやって来ました。その意味を察した篁はその子どもの前に突然、仁王立ちになり、「実は、妹は昨夜、何者かによって拉致されてしまったので、これから探しに行くところだが、もしかすると、妹を連れ出したのは、その手紙を書いた者かもしれない。お前、その者の所へ私を案内しろ!」と睨みつけて言いました。巨漢の篁に迫られた子どもは、今にも泣きそうになり、手紙を持ったまま逃げ帰って行きました。篁は慌てふためいて走り去る子どもの姿を見て「もうこれで、あの男が妹に会うことはあるまい」と安堵したのでした。と同時に、妹への燃えるような自分の気持ちをもはや抑えることができなくなっていることに気づいたのです。

禁断の恋に落ちていく2人

その後も、篁は妹に漢籍を教えていましたが、兵衛府の次官の一件以来、妹への想いは増すばかり…。そこで、篁はまた妹に歌を詠みました。

『目に近く見るかひもなく思ふとも 心をほかにやらばつらしな』(あなたのそばにいる甲斐もなく、私がどんなにあなたを思おうと、あなたの心が他に向いていたとしたら、それはとても辛いことだ)

この歌に対して妹は『あはれとは君ばかりを思ふらん やるかたもなき心とを知れ』(私はあなたのことばかりを思っていますのに、どうしてそんなことを思うのですか? お気を回しになり過ぎる方だこと…)と返しました。

妹の返歌に心弾んだ篁は、『いとどしく君が歎きのこがるれば やらぬ思ひも燃えまさりけり』(愛しいあなたのため息がつのればつのるほど、私のどうしようもない、あなたへの思いもまた一段と燃え上がるのです)と、一首詠んだのでした。

このように歌を交わすことで、2人の心は深く通い合い始めました。それから篁と妹は、昼間は漢籍の勉強をし、夜になると、篁は妹の寝ている部屋に忍び込み、逢瀬を楽しむと、夜がまだ明けないうちに部屋から抜け出すという日々を過ごしていました。そして、あってはならぬことですが、妹は篁の子を身籠もってしまったのです。

2人のことは、ついに両親に知れ、激怒した母親は「父上はお前の身を案じて許してやろうと言うが、母は断じて許しません」と言って妹を倉の中に閉じ込めてしまいました。

篁は妹のことが心配で、居ても立ってもおれず、夜中にこっそりと妹が閉じ込められている倉に忍び込もうとしました。しかし、倉の扉は固く施錠され、倉の扉を開けることはできません。篁は仕方なく、倉の壁に小さな穴を空けて、妹と話をしました。そして、いつものように歌を詠んだのです。

『数ならばかからましやは世の中に いと悲しきは賤の緒だまき』(私が一人前ならば、こんな惨めな思いをせずに済んだのに…。世の中で悲しいのは、私の身分が低いということだ)

妹も歌を返しました。『いささめにつけし思いの煙こそ 身を浮雲となりて果てけれ』(ちょっとしたことでお兄様に恋をしたのがもとで、今は浮雲のように落ち着かない身となってしまいました)。

妹との悲しい別れ

夜が明ける頃、篁は妹に何か食べる物を持って来ようと言って、自分の部屋に戻り、簡単な食べ物を用意しました。ところが、陽が高くなってしまい、人目を付くのを恐れて、仕方なく下男を使って妹の所に食べ物を運ばせることにしました。しかし、妹は篁が来るものだと思っていたので、食べ物を運んで来る下男を見て、残念に思い、悲しくなってしまいました。そして、一首、歌を詠んで、篁に渡すように下男に託しました。

『誰がためと思う命のあらばこそ 消ぬべき身をも惜しみとどめめ』(誰かのためにと思える命であるなら、身も惜しみますが、私はそうではないので、このまま死んでしまおう) 妹は下男が運んだ食べ物を口に運ぼうとはしませんでした。

それから、4日ほど経った頃、やっと人目を避けて自分の部屋から抜け出せた篁は、急いで妹の所にやって来ました。そして、壁の穴から倉の中を覗き見ると、妹は苦しそうに床に伏せっていました。妹は倉に閉じ込められて以来、何も食べていなかったのです。そうとは知らなかった篁は「どうした!大丈夫か!!」と叫ぶと、妹は歌で答えました。

『消え果てて身こそ灰になり果ての 夢の魂君にあひ添へ』(私の身はこの世から消えてしまい、灰になってしまうでしょうが、夢の如く私の魂はあなたに寄り添っていたい)

篁はすぐに歌を返しました。『魂は身をもかすめずほのかにて 君まじりなば何にかはせん』(あなたの魂がもし、私の身に寄り添うことが出来ず、かすかにものに紛れてわからなくなったら、私はどうしたらよいのだ)

何とも気の弱い、情けない歌を詠んだ篁ですが、その後も2人はいろいろと話をし続けました。ところが、暫くすると急に篁の問いに対して、妹の返事がなくなったのです。その様子に慌てた篁は大声で「妹が死にそうだ! 誰か扉を開けてくれ!!」と泣き騒ぎました。

扉を開けて、中に入ると、横たわった妹にはすでに息がありませんでした。篁は妹の傍らで大声を上げて泣き続けました。

篁のもとに現れた妹の霊

その夜のことです。ほのかな灯りの下、篁が妹の亡骸に寄り添うように泣き伏していると、篁の背後で何かざわめくような気配がしました。すると、何かが篁の背中に寄り添っている感触が伝わってきたのです。篁はこれを妹だと思い、抱き寄せようとしましたが、何も手に触れることは出来ません。「抱きしめてやりたい」篁は涙を流しながら、そう思い、歌を詠みました。

『泣き流す涙の上にありしにも さらぬわかれにあはにむすべる』(私たちは今、泣き流す涙の上にいるが、避けられない死という別れになってしまったのは、私たちはしっかりと結ばれていなかったということか) そう嘆く篁の心に、妹の歌を詠む声が響きました。

『常に寄るしばしばかりは泡なれば ついに溶けなんことぞ悲しき』(私たちが寄り添うわずかな時間は泡のように儚いものです。ついにいつかは溶けてしまうことが悲しい)

いつの間にか夜が明け、辺りが白んでくると共に、妹の気配も消えてなくなっていきました。

篁は妹が死んだ場所に花を供え、香を焚いて、妹の霊を慰めました。それから、暫くの間、夜中になると妹の霊が篁のもとに現れ、2人は語り合いました。ところが妹が死んでから21日目を過ぎると、妹の霊は毎日は現れなくなり、28日目を過ぎると、たまにしか現れなくなってしまいました。篁はそれが悲しくてたまりませんでした。

その後も、妹の霊が現れる回数はどんどん減り、3年経つ頃には妹の霊はまったく現れなくなってしまいました。篁はそれからも、妹の霊を手厚く供養し、誰とも結婚せずに、一生、独身で過ごしたそうです。

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六道珍皇寺:京都市東山区松原通東大路西入ル北側 TEL : 075-561-4129

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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