数々の逸話が伝わる不思議な橋
京都市のほぼ中央、南北に伸びる現在のメインストリートの堀川通に沿って堀川が流れています。太平洋戦争後、水源が断たれてしまいましたが、2009(平成21)年に河川の整備が行われ、再び流れを取り戻しました。
堀川は平安京造営の折りに運河として造られた川で、北山の木材の運搬に利用され、川の畔にあった冷泉院や堀川院などの貴族の屋敷には堀川の清流が引き入れられたとされる歴史ある川です。その堀川に「一条戻り橋」という名前の橋があります。見たところ、10メートルにも満たない、特に特徴のない小さな普通の橋ですが、この橋は長い歴史の中でいくつもの逸話が伝わる、不思議な橋なのです。
「一条戻り橋」の“一条”とは東西に伸びる一条通のことですが、この通りは平安の頃、平安京の北端の通りで、一条通より北は都の外れとされていました。その外れには蓮台野(れんだいの)という葬地があり、この橋は都で亡くなった死者を葬送の地へ送り出す際に通る橋で、いわば、この世とあの世の境界線だと考えられていたわけですが、それを示すかのような興味深いエピソードが残されています。
平安時代の918(延喜18)年に、文章博士(もんじょうはかせ)の三善清行(みよし きよゆき)が亡くなりました。その葬儀の列が橋に差しかかった時、熊野へ修行に出ていた清行の息子が駆けつけ、柩にすがって泣きながらお経を唱えました。すると、突然、雷鳴が鳴り響き、一陣の風が吹くと、驚いたことに柩の中の清行が息を吹き返し、むっくりと起き上がったのです。このようなことがあって以来、魂が戻ってきたということから、この橋は“戻り橋”と呼ばれるようになったのです。
それからも、一条戻り橋では怪異な出来事が度々起きました。ここからの話は、その一条戻り橋から異界に迷い込んだひとりの男の話です。
鬼に出会った男の運命は?
その昔、京の都に妻と子を持つ侍が暮らしていました。この男は、まだ若いのですが感心なことに、聖徳太子が創建した六角堂にお参りをするのを日課にしていました。
いよいよ年も押し迫り、12月大晦日の夜更けのことです。男は知人の宅で酒を呑み、ほろ酔い気分でとぼとぼと家路を歩いていました。ちょうど堀川の一条戻り橋に差し掛かろうとしたところで、橋の向こうから提灯を手にした一行がやって来るのが見えました。男はその一行が身分の尊い連中ならば絡まれては厄介だと思い、戻り橋の欄干の袂に身を隠しました。
やがて、一行は橋を渡り始め、男に近づいてきました。「こんな夜更けに、こいつらは何者だ?」と思った男は欄干の後ろから顔を少し出して一行の姿を見ると、なんとそれは人ではなく、恐ろしい鬼の群れだったのです。口が耳まで裂けた鬼や、1つ目の鬼、頭に大きな角が一本生えている鬼など、異形の魔物たちに男は恐ろしさのあまり、腰を抜かして動けなくなってしまいました。
1匹の鬼が男に気づき、「あそこに人間がいるぞ」と言いながら、男の目の前までやってきました。「もう駄目だ…」と男は観念すると、別の鬼が「この男は罪深き者ではなさそうだ。許してやれ」と言って、結局、鬼たちは男に唾を吐きかけて去って行きました。男は殺されると思っただけに、命が助かったことに大喜びしました。頭が痛むのが少し気になりましたが、それよりもこの恐ろしい出来事を一刻も早く妻に話そうと、急いで家に帰りました。
消された男
ところが、家の中に飛んで入っても、妻も子も素知らぬ顔で見向きもしてくれません。帰りが遅くなったことに怒っているのかと思い、妻に話し掛けてみたところ、返事もありません。これはどうしたことかと、妻のそばに近づいてみても、男を見ないどころか気配すら感じていないようなのです。その異常な状態に頭の中が混乱しましたが、突然、男は気が付いたのです。
「そうか、あの時、鬼に唾を吐きかけられたことで、私の姿はこの世から隠されてしまったんだ…。ということは、誰にも私の姿は見えず、声も聞こえないということか…。夜が明ければ、妻や子どもたちは私がいなくなったと大騒ぎし、悲しむにちがいない。いったい、私はどうすればいいんだ…」男の気持ちは絶望感でいっぱいになりました。
それから、数日が経ちました。男は毎日、お参りをしていた六角堂に籠もり、如意輪観音に祈り続けていました。
「観音様、どうか私を元の体に戻してください。お願いします」
夢に現れた僧侶のお告げ
六角堂に籠もって、1ヶ月ほど経った頃のことです。男は夢を見ました。その夢の中に位の高そうな僧侶が現れ、「夜が明けたら、すぐにここを出て、初めて出会う者の言葉を聞き、それに従いなさい」と男に言いました。
男は僧侶の言葉通りに朝日が昇ると、六角堂から出て行きました。すると間もなく男は、大きな牛を引いた牛飼童(うしかいわらべ)に出会いました。牛飼童は男を見つめて「俺に着いてこい」と言いました。男は牛飼童が自分の方を見て、話し掛けられ、うれしくなりました。「この者は、私を見て話している…。ということは、私の体は人に見えるようになったのか!」
男と牛飼童は十町ほど西に歩き続け、大きな屋敷の閉じた門の前で立ち止まりました。すると、牛飼童は牛を門の横に繋ぐと、閉じている門のわずかな隙間からスーッと中に溶け込むように入って行ったのです。男は驚いて、唖然としていると、男の手を掴んで「さぁ、お前も中へ」と言いました。男は慌てて、「こんな隙間から入れるわけがない」と言うと、牛飼童は男の手をグイッと強く引っ張りました。すると、不思議なことに男も扉を通り抜け、中に入ることができたのです。
屋敷の中で起きた奇妙な出来事
屋敷には人がたくさんいましたが、誰ひとりとして、男と牛飼童を見る者はいませんでした。「やはり、私の姿は人には見えてないのだ」そう思うと男はまた悲しくなってしまいました。
男と牛飼童は奥の部屋に入っていくと、そこにこの家の姫君が病に伏せっており、その周りで姫君の両親や女房たちが心配そうに姫君の様子を見ていました。
牛飼童は、男を姫君の傍らに座らせ、小槌を持たせて言いました。「その小槌で姫君の頭や腰を力一杯、叩け」 男はそんな酷いことをと思いながらも、牛飼童の言葉に従って、姫君を小槌で叩き始めたのです。次第に姫君の顔は苦悶で歪みだし、酷く苦しみ始めました。その様子に両親や女房たちは驚き、慌てふためきましたが、どうすることもできません。すると、そこにどこからともなく、ひとりの行者が現れたのです。
行者は姫君の足もとに立ち、般若心経を読んで、祈祷をし始めました。男は酷い寒さに襲われ震え出しましたが、不思議と気持ちは穏やかになって行くのでした。そして、一緒にいた牛飼童も霞の如く消え去ってしまい、苦しんでいた姫君も次第に落ち着きを取り戻していきました。牛飼童は神様の使いだったのですが、鬼の呪詛により、この屋敷の姫君に取り憑いていたのです。
六角堂の観音様のご利益
その様子を見て行者は更に祈祷を続けました。すると、今度は男が着ている着物が燃えだし、焼けるとともに、徐々に男の姿が人の目に見え始めたのです。突然の男の出現に人々は大騒ぎになりました。
不審者として捕らえられた男は、この屋敷に来るまでの経緯を包み隠さず話しました。すると行者は「この男には罪はない。六角堂の観音様を毎日欠かさず参ったいたので、観音様からご利益を与えられた者だ。許してやれ」と言いました。
放免された男は一目散に自分の家に戻り、無事に戻れたことを妻と子どもたちと共に心から喜び合いました。また、姫君の病も治り、すっかり元気になったそうです。
男が一条戻り橋で鬼に出会ったのは災難でしたが、日頃から観音様を尊び、お参りをしていたから、観音様のご利益があって、男は助かったのです。何とも奇妙で、不思議な出来事ですね…。
※「一条戻り橋」については『京都怪異譚 その5「一条戻り橋 ~数々の逸話が伝わる、不思議な橋」』も合わせてご覧下さい。
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