普段、家庭で食べるおかずのことを、京都では「おばんざい」と言います。この「おばんざい」が近年、人気のようで、観光ガイドやグルメ雑誌などによく登場し、街中には“おばんざいの店”といった看板を掲げた食べ物屋さんが随分、増えて来ました。ところが、そういった流れは本来のおばんざいとは少し違うんじゃないかと思えることがあります。今回は京都の家庭料理、「おばんざい」の話をしましょう。
「おばんざい」の本来の意味
おばんざいを漢字表記すると“お番菜”と書きます。晩ご飯のおかず(お総菜)ということで、“お晩菜”と書くのかなと思っていましたが、違いました。この“お番菜”の「番」は番茶や番傘と同じ使われ方で、「普通の」とか「上等ではない」という意味があるそうです。そういうことから、おばんざいは特別な料理ではなく、常日頃に食べる質素なおかずのことで、決して、お客さんに振る舞ったりするおかずではないのです。だから、本来ならおばんざいは、他人に食べさせてはいけないものであり、ましてやプロの料理人が作るものではないのです。そういった意味で、グルメ雑誌でひとつのカテゴリーの料理として紹介されたり、おばんざいを看板とした料理店があることに違和感を感じるわけです。
暮らしの知恵から生まれた、おばんざい
商人の家では奥方も働き手のひとりで、料理をする時間が少なく、少しの時間でそのときにある食材を使って、作り置きできるおかずを作る必要がありました。その調理法や工夫が伝えられ、発展した料理が「おばんざい」です。
今ではしきたりの食習慣というものは、ほとんど見られませんが、かつての京商家では、1ヶ月の中で決まった日に食べる「おばんざい」がありました。それは、朔日(さくじつ:月初めの日)は「小豆ごはんとなますとニシン昆布」、8の付く日は「あらめ(海藻)とお揚げの炊き物」、15日は「小豆ごはんといもぼう(小芋と棒鱈の煮物)」、そして、際の日(きわのひ:月末)には「おから」というものでした。
このように食べるものをあらかじめ決めておくということは、日々の献立に手間をかけないという合理的な発想から生まれた暮らしの知恵であり、質素倹約を信条とする当時の京都人ならではの習慣でもあったのです。
おばんざいは工夫を凝らし、食材を無駄なく使う“始末する”料理だと言われています。それは質素倹約に過ごすための暮らしの心得のひとつとして、これからも、京都人に受け継がれ続けられることでしょう。
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コメント
京都に生まれ、京都で育ち、京都で生きていますが、「おばんざい」て言葉聞いたこと無いんですが?ちなみに、我が家は、江戸時代から続いている家なんですが?
岡本様
コメント、ありがとうございます。
京都の街中を歩いていると「おばんざい」と書かれた看板や提灯を目にすることはあるかと思いますが、京都の人は普段「おばんざい」とは言わないようですね。日常的には「おかず」と言っていると思います。
「おばんざい」という言葉が登場する最も古い文献は1849年に関西で発行された料理本「年中番菜録」だと言われていて、今のように京都の家庭料理として「おばんざい」という言葉が広がったのは、随筆家の故大村しげさんが1964年頃、新聞に投稿した「おばんざい」という京都の食文化に関する連載だとされています。
結局のところ、おばんざいは京都の日常的な家庭料理ではあるが、多くの京都の人は今は使わないということなのでしょうね。