六波羅蜜寺 ~念仏の祖、空也上人ゆかりのお寺

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北は祇園・建仁寺から南は五条通に至るまでの地域は、その昔、“六波羅(ろくはら)”と呼ばれ、平安時代の後期には、平家一門の屋敷が建ち並んだ、言わば、権力の中心地だった場所です。そんな場所にあるお寺が、西国三十三所観音霊場のひとつ、「六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)」。今回は空也上人(くうやしょうにん)の寺として知られている「六波羅蜜寺」の話をしましょう。

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「六波羅蜜寺」の起こり

六波羅蜜寺は空也上人によって開創された真言宗智山派のお寺です。

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951(天暦5)年、村上天皇の時代に都に疫病が大流行した折に、空也上人が十二面観音像をきざみ、その観音像を洛中に引き回して、疫病退散の祈願をすると、たちまちにして悪疫は消え去りました。その後、963(應和3)年に六波羅の地にその十二面観音像を安置し、その寺を「西光寺(さいこうじ)」と号したのが、六波羅蜜寺の起こりと伝えられています。

空也上人が興した西光寺は当時、民衆からは“六原の寺(ろくはらのてら)”と呼ばれていました。その頃、この地は「ろくはら」を“六波羅”ではなく、“六原”と書き、そこにあるお寺ということで、そのような愛称で親しまれていたのです。

六原は桓武天皇が平安遷都にあたって、葬地としたところで、民衆の遺骸を葬った場所でした。因みに身分の高い貴族などは南鳥辺野(現在の今熊野の東辺り)に葬られていました。空也上人は、六原に葬られた民衆の霊を慰めるために、西光寺を建てたのです。

西光寺は空也上人の弟子であった中信(ちゅうしん)という比叡山の僧が空也上人の死後、仏教の教義『六波羅蜜』を受けて、977(貞元2)年、西光寺は天台の別院になり、この時、寺名も「六波羅蜜寺」と改められたと言われています。偶然なのかどうかはわかりませんが、“六原”に“六波羅蜜寺”とは何か因縁めいたものを感じますね。

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民衆に念仏を説いた空也上人の姿を今に残す立像

六波羅蜜寺の宝物館には、鎌倉時代の仏師・運慶の四男、康勝の作とされる「空也上人立像」が安置されています。この像は教科書などにもよく紹介されているので、ご存知の方も多いと思いますが、空也上人が「南無阿弥陀仏」と唱えると、「南・無・阿・弥・陀・仏」のそれぞれの音(おん)が阿弥陀仏の姿に変わったという伝説を表現した彫像です。空也上人の口から6体の阿弥陀仏が飛び出している様は少し、異様ではありますが…。

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左手に鹿の角の付いた杖を持ち、右手で鉦鼓(しょうこ)を持っているその姿は、実に写実的で生き生きと表現されていて、その表情には強い生命力が感じられます。実際にも空也上人は、若い頃から出家をせずに俗人のままの修行者として諸国を巡り続け、日本で初めて民衆に念仏の意味を説いて廻りました。そのため、空也上人は「念仏の祖」とも言われています。

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市聖(いちのひじり)と呼ばれた空也上人

この当時は、念仏は怨霊を鎮め、供養するためのものとされていたため、一般の民衆にとっては馴染みのないものでしたが、空也上人が念仏は死者の供養だけではなく、極楽往生を願う人を極楽に導くものだと説いたことが民衆に受け入れられ、念仏で救われるなら、あやかりたいと思った多くの人たちから、空也上人と念仏は絶大な人気を得ることになったのです。

また、空也上人は念仏の意味を説くだけではなく、訪れた諸国の道路や橋を補修したり、得たお布施を貧しい者や病に苦しむ者へ惜しまなく与えたことことから、人々は空也上人のことを“阿弥陀聖(あみだひじり)”と呼んだり、“市聖(いちのひじり)”と呼び、尊びました。

空也上人が説いた念仏は民衆の間に広がり、多くの信者を集めるようになったのです。しかし、これを脅威に思った鎌倉幕府に、念仏は弾圧されることとなるのです。

弾圧から生まれた“踊念仏”

念仏を唱えるだけで、捕らえられてしまうために、唱えていることをわからないようにするにはどうすれば良いかと考えた空也上人は、普通に念仏を唱えるのではなく、踊り歩きながら鐘を叩いて念仏を唱えることを思いつきました。それが後に有名となる「空也踊躍念仏(くうやゆやくねんぶつ)」、いわゆる“踊念仏(おどりねんぶつ)”です。

「踊る」とあるので、飛び跳ねるように体を動かすように思われるかもしれませんが、そうではなく、一歩一歩、踏みしめるようにズシズシと地面を強く踏み歩きながら、念仏を唱えるやり方です。しかも、普通に「南無阿弥陀仏」と唱えるのではなく、念仏を“モウダ・ナンマイト”という隠語にして、わかりにくく唱えます。また、念仏というものは、普通は一度唱え出すと途中で止めてはいけないものなのだそうですが、踊念仏の最中に、万が一見つかることもあることを考えて、すぐに念仏を終わらせることができるような念仏になっていたのです。

今も京都に人たちに親しまれている年始年末の行事

六波羅蜜寺では、幕府の弾圧に耐えながらも密かに念仏が続けられたことから、踊念仏は「隠れ念仏(かくれねんぶつ)」とも呼ばれ、空也上人が行っていた当時のままの踊念仏が、毎年12月13日から30日まで行われています。

また、京都で疫病が流行った時に、空也上人は病人に梅と昆布の入った薬湯を飲ませ、多くの人たちを救ったという言い伝えから、毎年、お正月の元旦から3日までの間、薬湯をふるまう「皇服茶(おうぷくちゃ)」という行事が行われ、お正月の縁起物として、京都の人たちに親しまれています。因みに皇服茶とは、空也上人が無病息災を願い、村上天皇にも薬湯を献上したことから、“天皇が服すお茶”という意味から名付けられたそうです。

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ところで、この寺名にある「六波羅蜜」の“六”は仏教における基本的な6つの修行【布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)】のことで、“波羅蜜”はサンスクリット語の「パーラミター」を語源とし、“涅槃(ねはん)の地に行く”という意味なのだそうです。寺名にこれほど奥深い意味があるのも珍しいですよね。

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六波羅蜜寺:京都市東山区轆轤町81-1 TEL : 075-561-6980

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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