京都のビジネス街のメインストリート、烏丸通から六角通を東に入ったところに、「紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)」というお寺があります。あまり聞き慣れないお寺かもしれませんが、聖徳太子によって創建された由緒あるお寺です。
境内の中央に建つ本堂が六角形のカタチをしていることから「六角堂(ろっかくどう)」と呼ばれ、京の町の人たちから「六角さん」という愛称で、親しまれているお寺ですが、不思議なエピソードがいろいろとあるお寺でもあるのです。今回は、数々の逸話が残る「六角堂」の話をしましょう。
六角形の本堂にまつわる不思議な話
ある日のこと、夢の中で、観音様から「この地にとどまり、苦しんでいる人たちを救いたい」とお告げを受けた聖徳太子は、観音様のためにお堂を建てることを決意し、材木を探していると、そこにどこからともなく、ひとりの老翁が現れたました。
太子はその老翁に「この辺りに観音様のお堂を建てるのにちょうど良い木はないか」と尋ねると、「それなら、この近くに、毎朝、紫の雲がたなびく、大きな杉の木があります。それを使うのがよいでしょう」と言って去って行きました。
老翁が言う通り、杉の木はすぐに見つかりましたが、驚くことにその杉の木の幹は六つに分かれていたのです。太子は、それぞれの幹を柱にして、お堂を建て進めると、意図せずとも自然に六角形のお堂ができてしまったのです。聖徳太子は六角形のお堂を創ろうとは思っていなかったのに、勝手に六角形のカタチになったなんて、本当に摩訶不思議な話ですよね。
六角形のへそ石にまつわる不思議な話
この六角堂には、もうひとつ、六角形のものがあります。それは「へそ石」。このへそ石にも不思議な話が残っています。
平安京の造営の際、新たに造る道路が六角堂にぶち当たることになり、お堂を南北のどちらかに移動させないといけなくなりました。しかし、太子ゆかりの大切なお堂だけに、その扱いに困り果てた役人は、桓武天皇の使いを呼んで、「この土地を離れたくないとおぼしめしならば、どうか、南北のいずれなりとも、お移りいただきたい」と本尊に祈りを挙げさせたのです。すると不思議なことに一夜にして、六角堂はひとりでに北へ五丈(約15メートル)移動もしたのでした。ところが、六角堂を支えていた礎石だけは動かず、元の位置のまま残ってしまったのです。それが、今も境内にある「へそ石」です。
この「へそ石」はその言い伝え通り、江戸時代までは六角通の中央にあったそうですが、交通の妨げになるということで1877(明治10)年に境内に移され、更に近年になって、今の場所に移されたとのことです。“へそ”には中心という意味がありますが、この「へそ石」があることから、六角堂が京都の中心だと言われることもよくあります。今やこの周辺にはオフィスビルや金融機関が立ち並ぶ、京都のビジネスの中心地になっていることからすると、そういう意味でここが京都の「へそ」だと言っても、間違いではないかもしれませんね。
六角堂は生け花の発祥の地
また、六角堂は“生け花”の発祥の地でもあるのです。六角堂の北側に太子が沐浴されたと伝えられている池の跡がありますが、その池のほとりに遣隋使であった小野妹子の住坊があったことから、その住坊は「池坊(いけのぼう)」と呼ばれるようになりました。そして、そこで小野妹子が太子の霊を慰めるために、仏前に花を供えたことが、生け花の始まりとされているのです。
線香の薄紫の煙が立ち込め、その匂いが染み入る六角堂は京都の中心として、今でも古都と華道の要となっているのです。
紫雲山 頂法寺 六角堂:京都市中京区六角通東洞院西入ル堂之前町248 TEL : 075-221-2686
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