織物の町、西陣にある智恵光院(ちえこういん)。境内には四季を通じて、その折々の花が植えられていることから、“花の寺”とも呼ばれていますが、その境内の一角にある地蔵堂の薄暗い堂内に、ふっくらとした優しい顔立ちをした、6本の腕を持つ地蔵尊像が安置されています。実はこの地蔵尊像は“閻魔(えんま)王宮の役人”と呼ばれた人物によって作られたものなのです。今回は智恵光院にある「異形の地蔵尊像」の話をしましょう。
日本で唯一のお地蔵さま
この地蔵尊像は、腕が6本あることから、腕を“臂=ひじ”として、「六臂(ろっぴ)地蔵像」と呼ばれています。腕が6本あると言えば、「愛染明王(あいぜんみょうおう)」や「如意輪観音(にょいりんかんのん)」がよく知られていますが、地蔵尊像で腕が6本あるというのは、とても珍しく、“日本でただ1体”とまで、言われています。
この珍しい異形の地蔵尊像を作った人物というのが、昼は朝廷に仕え、夜は閻魔大王の役人として冥界で罪人を救ったという伝説が残る「小野篁(おののたかむら)」なのです。嵯峨天皇に仕えた官僚で、文武に優れ、学者であり、歌人であった篁がどういう経緯で六臂地蔵尊を作ることになったのでしょうか…。
六道を救う6体の地蔵尊像
平安初期のことです。篁は重い病気に罹って死んでしまい、冥土へ旅立ちました。冥土に着くなり篁は地蔵尊に出会いました。すると、地蔵尊は篁に「悩み、苦しむ人々をすべて私が救おう。お前は人間界に戻り、このことを伝えよ」と告げたのです。そのお告げを聞いた篁は生き返り、伏見の木幡山(こはたやま)にある1本の桜の大木から、“地獄道”、“餓鬼道”、“畜生道”、“阿修羅道”、“人間道”、“天道”の六道それぞれを救う6体の地蔵尊像を彫りだし、木幡の里に祀ったのです。
篁の思いつきから生まれた異形の地蔵尊像
ところが、篁は6体の地蔵尊像を見て、ひとつの考えを思いついたのです。それは六道すべてを救う力を1体の像に込めれば、より功徳の大きな地蔵尊になるのでは?という考えでした。そこで、篁は7日間、精進潔斎した上で、地蔵尊像作りに取り組み、六道を表す6つの腕を持った六臂地蔵像を作り上げたのです。
“六地蔵”とは
その後、篁が作った6体の地蔵尊像は、京都に疫病が入ってこないようにと、後白河天皇が平清盛に命じて、京都周辺の6カ所の交通要所に1体ずつ安置されました。これが、いわゆる「六地蔵」と言われるもので、京都では、この6カ所の地蔵菩薩を巡って、無病息災と家内安全を祈願する「京都六地蔵巡り」という行事が、今も毎年8月の22日と23日に行われています。
因みに六地蔵とは、次の6つの地蔵菩薩です。
① 鳥羽地蔵(浄禅寺:南区上鳥羽岩ノ本町・旧大坂街道)② 伏見地蔵(大善寺:伏見区桃山町西山・旧奈良街道)③ 山科地蔵(徳林庵:山科区四ノ宮泉水町・旧東海道)④ 桂地蔵(地蔵寺:西京区桂春日町・旧山陰街道)⑤ 常磐地蔵(源光寺:右京区常盤馬塚町・旧周山街道)⑥ 鞍馬口地蔵(上善寺:北区鞍馬口通寺町東入ル上善寺門前町・旧鞍馬街道)
六地蔵と同じ功徳がある六臂地蔵尊像
篁が作った7体目の地蔵尊像の六臂地蔵尊像は御所の近くにある知恩寺に祀られ、病から身を守る厄除け地蔵として、信仰を集めました。その後、藤原五摂家のひとつである鷹司家(たかつかさけ)の菩提寺として創建された智恵光院に、知恩寺の第6世・如一国師(にょいつこくし)を迎えたことから、南北朝時代に智恵光院に移されたのです。
2本の腕は胸の前で合掌し、右の2本の腕で、錫杖(しゃくじょう)と柄香炉(えごうろ)、左の2本の腕で、宝珠(ほうしゅ)と宝幢(ほうどう)を揚げている六臂地蔵尊には、六地蔵尊を巡礼するのと同じ功徳があると言われています。京の六地蔵を廻りたいけど、その時間がないという方は、智恵光院の「六臂地蔵尊」にお参りしてみてはいかがでしょうか。
智恵光院:京都市上京区智恵光院通一条上ル智恵光院前之町601 TEL : 075-441-5920
(写真・画像等の無断使用は禁じます。)
コメント
六臂地蔵の写真撮影は禁止ですが、載っているのが京都トリビアですね。
あ様
コメント、ありがとうございます。
随分以前になりますが、六臂地蔵の写真は私が撮影したものではなく、既存の写真を然る可き
許可を頂き、掲載させて頂いております。