平安京造営から2年後の796(延歴15)年に国家鎮護のため羅城門の東に創建された東寺(教王護国寺)。その境内の中央西側にある御影堂(大師堂)の南に、かつて羅城門の楼上に安置されていた(現在は宝物殿に収蔵)「兜跋毘沙門天(とばつ びしゃもんてん:国宝、都七福神のひとつ)」を祀るために建てられた毘沙門堂があります。
その右手にある石碑や宝塔などがいくつか並べられている場所に、一風変わった土台の石碑が建っています。
重いものを好む伝説上の生き物
この石碑は「尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)の碑」と呼ばれていますが、土台の部分が生き物の姿になっています。甲羅があるので亀のようにも見えますが、これは“贔屓(ひいき)”という伝説上の生き物です。“贔屓”と聞くと、居酒屋が頭に浮かんでしまいますが、“贔屓”とは、竜が産んだ9匹の子、「竜生九子(りゅうせいきゅうし)」のうちの1匹とされています。
贔屓は「重きを背負うことを好む」と言われているために、このように石碑や石柱の土台にされることがよくあるようです。そして、甲羅の上に建つ石碑は“永遠不滅”と言われ、万病平癒のご利益があるとされています。重い石を背負って可哀想にも見えますが、逆に贔屓にとってはうれしいことなのでしょうね。
“尊勝陀羅尼”とは?
贔屓が背負っている「尊勝陀羅尼」は、正式には「仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)」といいます。釈迦如来の頭頂の徳を人格化した仏尊を“仏頂”といい、その功徳や悟りの境地を説いた呪文(陀羅尼)を「仏頂尊勝陀羅尼」というのだそうです。この呪文を唱えると、延命息災や滅罪、煩悩消滅などのご利益が得られ、妖怪や魔物の難から逃れることができると信じられています。
鬼に出会った男の話
尊勝陀羅尼の霊験を伝える不思議な話が『今昔物語集』に残されています。
今は昔、西三条の右大臣・藤原良相(ふじわらのよしみ)の息子に、大納言左大将の藤原常行(ふじわらのつねゆき)という人物がいました。
イケメンでプレイボーイの常行は、思いを寄せる女のもとへ、毎夜通うのが日課になっていました。この頃、都には夜になると魔物が現れるという噂があって、常行の両親は彼の夜の外出には反対していましたが、女に会いたい一心で、常行はこの日の夜も2人のお供を連れてこっそりと出掛けて行ったのです。
常行たちは二条大路を東に向かって歩いていました。神泉苑に差し掛かったとき、前方に火がいくつか揺らめいているのが見えだし、その火はこちらに近づいてきました。どうもそれは松明(たいまつ)を持った人のようなのですが、常行は怪しく思い、「前から来るのは何者だ…? 取り敢えずどこかに隠れよう」と言うと、お供の1人が、「今日の昼にここに来たとき、確か神泉苑の北門が開いておりました。そこに入って門を閉め、あの者たちが通り過ぎるのを待ちましょう」と提案しました。
鬼たちが恐れたものとは?
常行たちは北門の裏手に身を隠し、怪しい集団が通り過ぎるのを息をひそめて待っていました。次第にたくさんの足音とケモノのような息遣いが北門に近づいてきました。そして、その集団が通り過ぎた時、常行はそれが何者か気になり、好奇心からその姿を確認しようとそっと門を開いて見てみると・・・、それは人ではなく、恐ろしい鬼の集団だったのです。それを見た常行は不覚にも「ヒィ~」と声にならない叫び声をあげてしまいました。
すると、その声に気づいた鬼の1匹が「門の辺りで、人間の声が聞こえたぞ。捕まえて喰ってやろう」と言って、重い足音を立てて常行たちのところに近寄ってきたのです。常行は「もうだめだ…。殺される」と思い、身を屈めました。ところが、その鬼はどうしたことか、突然、走って戻って行ったのです。
その鬼は仲間の鬼たちに話しました。「あの人間はダメだ。とても捕まえることはできない」 すると別の鬼が「何を情けないことを…。お前ができなのなら、わしが捕まえてやる」と言って、常行たちが隠れている北門に向かって走って行きました。
常行はさっき来た鬼とは別の鬼が恐ろしい形相をして近づいてくるのを見て、「今度こそ、もうお終いだ」と目をつぶりました。しかし、何も起こらない。不思議なことに、その鬼もまた急に戻って行ったのです。
鬼は「あの者たちを捕まえることはできない。尊勝陀羅尼がおいでだ」と言うと、仲間の鬼たちは、慌てて一斉に走り去って行ったのです。
常行たちは腰が抜け、しばらく動けませんでしたが、難を逃れた3人は、明け方に常行の屋敷に帰ることができました。ところが、常行は屋敷に着くなり、気分が悪くなり、高熱を出して床に伏せってしまいました。
常行を鬼から護った呪文
乳母が常行の様子を見にやってきて、苦しそうにしている常行に「たいそう辛そうだけど、何かあったのですか?」と尋ねたところ、常行は自分が遭遇した恐ろしい出来事のすべてを話し始めました。それを聞いた乳母は驚いた表情で、「なんということでしょう。実は、ご存じなかったことでしょうが、私の兄の阿闍梨(あじゃり:高徳の僧)に頼んで“尊勝陀羅尼”を書いてもらい、常行様の衣の襟の裏に縫い付けておいたのです。もし、尊勝陀羅尼がなければ、今頃、常行様はどうなっていたことか…」と言いました。その後、常行の熱は3、4日続きましたが、次第に回復し、元気になりました。
それから、数日後のこと。常行は暦を見ていると、鬼に出会った夜は偶然にも「忌夜行日(きやこうび:陰陽道において百鬼夜行の日とされ、人の夜行を禁止する日)」だったことを知りました。そして、常行は尊勝陀羅尼の霊験は何と尊いものかと感心し、常行に起きた出来事を聞いた人は皆、尊勝陀羅尼を書いて、御守りとして身に着けたと語り伝えられています。
東寺にある「尊勝陀羅尼の碑」は元々、北野天満宮の宗像社のそばに建てられていたそうですが、1868(慶応4)年の「神仏分離令」により、東寺に移されたのだそうです。こんなところにも「廃仏毀釈」と同様に「神仏分離」という歴史的暴挙の爪痕が残されているのですね。
東寺(教王護国寺):京都市南区九条町1 TEL : 075-691-3325
『今昔物語集』: 巻14の第42話「尊勝陀羅尼の験力に依りて鬼の難を遁(のが)るる語」
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