龍馬が刻んだ愛のメッセージ

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京都・六角大宮に、平安時代初期に創建されたと言われる「武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)」があります。この神社は歴史が長いだけあって、いろいろな言い伝えが残されていますが、その中に、坂本龍馬とお龍(りょう)さんの逸話があります。今回は龍馬とお龍さんの「愛の逸話」の話をしましょう。

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龍馬とお龍さんが愛を育んだ場所

平安前期の公卿、藤原良相(ふじわらのよしみ)によって創建された武信稲荷神社には、社の横に樹齢約850年の立派なエノキがあります。

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神社の御神木で、京都市の天然記念物にも指定されているこのエノキは幕末の混乱期に龍馬とお龍さんが愛を育んだ場所だと言われています。

エノキに刻まれたメッセージ

幕末の頃、神社の南に「六角獄舎(ろっかくごくしゃ)」という牢獄がありました。そこには勤皇の志士たちがたくさん収容されていて、お龍さんのお父上である楢崎将作(ならざき しょうさく)も勤皇家の医師であったことから、捕らわれ、この六角獄舎に入れられていました。

捕らわれている父の様子を知りたいと、お龍さんと龍馬は面会しようとしたのですが、牢獄というところは、女性がそう簡単に面会できるところではなく、龍馬自身もあちらこちらから狙われる身であったため、思うように面会することは難しかったようです。それでもお龍さんの父上の安否を何とか確認したいと思った龍馬は、このエノキに登り、獄舎の中の様子を伺ったというエピソードが残されています。

その後も龍馬は命を狙われ続け、追われる身となり、ふたりは離ればなれになってしまいました。お龍さんは龍馬の身を案じ、行方を捜し続けましたが、ある日、お龍さんはふたりの思い出の場所である武信稲荷神社のエノキのことを思い出したのです。

お龍さんは何かを確信したかのように急いで神社に向かい、エノキのもとにやってきました。エノキの幹には、お龍さんが予感したとおり、「龍」という一文字がくっきりと彫られていたのです。龍馬は自分の身を案じ、探すとしたら、きっとこのエノキの所にお龍さんは来るだろうと思い、「俺は元気に京都で生きている」という意味のメッセージとして「龍」という文字をエノキに彫っておいたのです。

龍馬の字には特徴があって、一目見ただけで、その文字を彫ったのは龍馬自身であることを、お龍さんにはすぐにわかったそうです。そして、その「龍」という一文字が意味すること、つまり、龍馬は無事に生きているということをお龍さんは確信したのでした。その後間もなく、共通の知人を通じて、ふたりは再会を果たしたと言われています。

エノキは“縁の木”

武信稲荷神社のエノキは、その生命力から健康長寿のご利益があるとされています。また、エノキは「縁の木(えんのき)」とも呼ばれ、御神木のエノキには弁財天が宿っているとされることから、縁結びや恋愛のご利益もあると言われています。龍馬とおりょうさんもきっとこのエノキの力に導かれたのでしょうね。

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武信稲荷神社:京都市中央区今新在家西町38  TEL : 075-841-3023

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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