京都怪異譚 その7『つかずの鐘の哀しくも、恐ろしい物語』

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京都市の北西に、平安時代以前より織物が盛んだった「西陣(にしじん)」。西陣は高級絹織物、“西陣織”の産地として、日本のみならず、フランスのリヨン、イタリアのミラノと並び、世界的にその名声を誇っています。その西陣の一角に“鳴虎(なきとら)”と呼ばれる浄土宗のお寺、「報恩寺(ほうおんじ)」があります。

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中国の画人である、四明陶佾(しめいとういつ)が描いた猛虎の絵を豊臣秀吉が聚楽第の床の間に飾ったところ、夜中に虎の鳴き声がして、秀吉は一晩中、眠ることができず、猛虎の絵を報恩寺に納めたことから、報恩寺は“鳴虎”と呼ばれるようになったそうです。

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少年少女の哀しくも、怖い話

報恩寺には奈良時代以来の古式を残す、平安時代に作られた梵鐘があるのですが、その梵鐘には西陣で働く、少年少女の哀しくも、怖い話が残されています。

昔、この辺りの織屋は朝夕に鳴る報恩寺の鐘を聞いて、一日の仕事をしていました。報恩寺の近くにある織屋に、15歳の丁稚と13歳の織女がいたのですが、このふたりは顔を合わせると、いつも喧嘩ばかりしていました。いわゆる、犬猿の仲だったわけです。

ある日のこと、ふたりは夕方に撞かれる鐘の数をめぐって言い争いを始めました。丁稚は「八つだ!」と言い、織女は「九つよ!」と言って、お互い譲らず、間違った方が何でもすると約束をして、別れました。その後すぐに丁稚は、鐘を撞く寺男のところに行き、夕方の鐘の数を確認すると、その数は織女の言う通り、「九つ」だったのです。悪知恵の働く丁稚は、あの娘にだけは負けたくないと思い、「今日だけは、鐘を撞く数を八つにして欲しい」と寺男に頼むと、何も事情の知らない寺男はあっさりと引き受けてしまったのです。

そして、その日の夕方、報恩寺の鐘が鳴り始めました。一つ、二つ、三つ、・・・六つ、七つ、八つ。鐘の音は八つ目で鳴り止んでしまったのです。「いつもは九つ鳴るのに、今日に限って、どうして鳴らないの!」と織女は愕然としてしまいました。そして、丁稚から散々に罵られた織女は悔しさのあまり、その夜に報恩寺の鐘楼に首を吊って、自らの命を絶ってしまったのです。それ以来、鐘楼には恨めしげな表情の織女の霊が現れるようになり、お寺も鐘を撞くのをやめてしまいました。そして、この鐘はいつしか「つかずの鐘」と呼ばれるようになったのです。

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今なお残る、織女の無念

現代になっても、この「つかずの鐘」には不可解なことがあるといいます。テレビの番組で、丁稚と織女の再現ドラマの撮影が行われたのですが、織女役の女優が鐘楼の梁(はり)にぶら下がろうとしたとき、ささくれた木が手に刺さって、大けがをしたということが実際にあったそうです。織女の無念がまだそこには、残っているということなのでしょうか…。

江戸時代の大火に会っても、焼かれずに残り、今は重要文化財にも指定されている「つかずの鐘」。今は年に一度だけ、大晦日の除夜の鐘として、百八つの鐘が撞かれますが、西陣の町に響き渡るその音色は、織女の哀しい嘆きのようにも聞こえて来るのです。

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報恩寺:京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579 TEL : 075-414-1550 

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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