圓通寺 ~最後の借景庭園

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京都のお寺を訪れる楽しみのひとつに「庭」があります。 龍安寺、圓光寺、源光庵、曼殊院、天龍寺、等持院、智積院、青蓮院、圓徳院……。京都には名園と呼ばれる庭園が数多くあり、それぞれ異なった趣が訪れる人の心を惹き付けます。

庭園を構成する要素には、天龍寺や仁和寺などの庭園形式である池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)は、人工的な山の築山(つきやま)や岩組、石橋、滝などがあり、龍安寺や南禅寺の庭園形式である枯山水庭園(かれさんすいていえん)では、白砂の模様(砂紋)や石組みなどがあります。

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これらはすべて庭の敷地の中にある要素ですが、庭の外にある山並みや風景も庭の重要な構成要素になります。これを「借景(しゃっけい)」と言います。字の如く、庭の外にある風景を借りて、それを含めて独自の庭の景観を作り上げるのですが、この「借景」の庭で知られる「圓通寺(えんつうじ:円通寺)」という寺院が京都市左京区の岩倉にあります。今回は臨済宗の寺院、圓通寺の借景庭園の話をしましょう。

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後水尾天皇が探し続けた場所

圓通寺のある岩倉は、東は八瀬、西は上賀茂、北は鞍馬に挟まれた場所にあり、平安時代以降、多くの貴族の隠棲地だったところです。明治・大正の政治家、岩倉具視(いわくら ともみ:今はお目に掛かることはない500円札の絵柄になった人物)が幽棲した旧宅や「床もみじ」で知られる実相院などもあるのですが、メジャーな観光スポットがほとんどないためか、訪れる人も少なく、静かな京都を味わうことができます。

圓通寺は今は臨済宗のお寺、つまり禅寺ですが、もとは江戸時代初期の1639(寛永16)年に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が別荘として建てた建物で、「幡枝離宮(はたえだりきゅう)」と呼ばれていました。

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後水尾天皇は12年もの歳月を掛けて、雄大な比叡山の稜線が最も美しく眺められる場所を探し続け、ようやく辿り着いた場所が比叡山の真東にあたるこの地だったのです。比叡山は、近くで見ると威圧感があり、逆に少し離れただけなのに、やけに遠くに見えるという不思議な山なので、後水尾天皇も自分が気に入るベストポジションを見つけるのに相当、苦労したようです。それにしても12年もの間、諦めずに探し続けたというのは、それはもう執念のようなものですね。

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比叡山の雄姿を引き立たせるための緻密な設計

後水尾天皇は徳川幕府と対立していましたが、その争いに負けると文化人として生きることに徹しました。もともと、その方面に才能があったようで、この圓通寺の借景庭園も後水尾天皇自らの設計だと言われています。

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圓通寺の借景庭園は、枯山水式の平庭です。20畳ほどある方丈の室内から見ると、そこには自然の景色が描かれた1枚の屏風絵のような庭が広がっています。そして、まず驚くのが庭の奥に広がる比叡山の美しさ。京都市内から見える比叡山の姿とはまったく異なり、まさに霊峰と呼ぶに相応しい雄姿が目に飛び込んで来ます。

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400坪ほどある庭は杉苔で覆われ、その奥に40数個の岩、生け垣、そして、混ぜ垣の順に配置されています。これは実際に見ると実感できると思いますが、この配置には遠近感を失わせるトリックがあって、不思議なことに広い庭がまるで盆栽かジオラマかのように見えてきます。

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生け垣と混ぜ垣は、比叡山との間に存在する家などの建物など、目障りになる物をことごとく排除し、室内の柱や庭にある杉の木の配置や間隔も、借景である比叡山と庭園との位置関係から計算されています。このように、圓通寺の借景庭園は正面に見える比叡山の雄大な姿を引き立たせることだけを考えて、緻密に設計された枯山水庭園なのです。

庭園からの眺めを守るために

京都の寺院の中には撮影を一切禁止するところがいくつかあります。この圓通寺もかつてはそのひとつでしたが、ご住職の借景を記録に残して欲しいという思いから、今は庭園に限って撮影が許可されています。

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圓通寺の周辺で行政による区画整理事業が行われ、それは比叡山の景観を破壊することになり、1992(平成4)年には「岩倉五山」と呼ばれた一条山が開発により崩されてしまいました。そのようなことから景観が失われていくことを危惧したご住職は2002(平成14)年に、それまで禁じていた庭園の写真撮影を解いたのです。

その後も圓通寺の周辺の開発は進み、背の高いマンションが建つなど、徐々に景観は悪化していきましたが、2007(平成19)年に京都市の景観を守るための『京都市眺望景観創生条例』が施行されたことにより、“庭園からの眺め”が規制区域に指定され、以後、“眺望空間”、“近景”、“遠景”が保全され、今も借景である比叡山の眺望は確保されています。

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後水尾天皇が12年も掛かって見つけた景色…。ジャーナリストだった故・筑紫哲也氏に「最後の借景」と言わしめた庭園…。京都市は条例の規制によって圓通寺の借景は維持できると考えているようですが、京都にあった多くの借景が時代の流れの中で次々と破壊されてきたことを思うと、圓通寺の借景が今後も100パーセント維持され続けられるのかという不安を隠すことはできません。

庭園は、比叡山の稜線がはっきり見える晴れた日に訪れるのが一番ですが、雨が降っていても、霞んだ比叡の山並みとしっとりとした枯山水の庭は、水墨画の世界を見るような情感を与えてくれます。圓通寺の借景庭園をひとりでも多くの人の目に触れることが、借景の保全につながることになるかもしれません。最も美しく紅葉が映える季節に、圓通寺を訪れてみては如何でしょうか。

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圓通寺(円通寺):京都市左京区岩倉幡枝町389 TEL : 075-781-1875

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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