「ぶぶ漬けでもどうどす?」~言葉に隠された京の本音

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京都人の気質を語るとき、用いられる逸話のひとつに「ぶぶ漬け」があります。“ぶぶ漬け”と聞くと「何の漬け物?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、漬け物ではありません。“ぶぶ”とは「お茶」のこと。つまり“ぶぶ漬け”は「お茶漬け」のことなのです。

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京都では、お客さんが帰り際に「では、そろそろ失礼します」と言うと、「ぶぶ漬けでもどうどす?」と家人がお客さんに声を掛けることがあります。それを聞いて、その言葉通りに「では、いただきます」なんて返事をすると、「図々しいヤツだ」と思われて、途端にその場の雰囲気が悪くなってしまいます。実はこの「ぶぶ漬けでもどうどす?」には、遠回しに“お帰りください”という意味があって、言われたお客さんは笑顔で「いやいや、もうこの辺りで…」と言って帰るのが礼儀だとされているのです。でも、本当にこんないけずな意味で使われる言葉なのでしょうか…。今回は京都の「お茶漬け」の話をしましょう。

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「ぶぶ漬けでもどうどす?」は単なるネタ話ではない!

京都における“お茶漬け”のエピソードは、上方落語のネタ『京の茶漬け』や、江戸時代の小咄(こばなし)にも出てきますので、京都や関西以外でもよく知られています。でも、このエピソードのお陰で京都人は皮肉でえげつないと思われているところがあるようです。

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「ぶぶ漬けでもどうどす?」が持つ意味合いはともかく、実際にこのようなやり取りが日常的にあるかというと、現在では、このようなやり取りが見られることはほとんどありません。ただ、江戸から明治にかけては実際に日常的に行われていたそうです。ですから、“ぶぶ漬け”の話は単に京都人の気質を揶揄するだけのネタ話ではないことは確かなのです。

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“お茶漬け”の意味は?

でも、どうして“お茶漬け”なのでしょうか。これはあくまでも推測の域に過ぎませんが、食材に拘り、手間暇かけて作られる京料理を最大のおもてなしとするならば、お茶漬けは安易で簡単に作ることが出来る料理の代表であって、お茶漬けを出すということは、言うならば“おもてなししない”ということになり、それが“はよ帰ってんか”といった意味につながったのではないでしょうか。

誤解されてしまった「ぶぶ漬けでもどうどす?」

このように「ぶぶ漬けでもどうどす?」は、お客さんに「そろそろお帰りください」という時に、京都人が使う言葉と思われているようですが、実はこれには大きな誤解があるのです。

「ぶぶ漬けでもどうどす?」が持つ本来の意味は“早く帰れ”ということではなく、実はこの言葉には“もう少し、あなたとお話ししたい”という意味が込められていて、そう思うほどに楽しい時間を一緒に過ごせたことに対する相手への親しみの情を表現した言葉なのです。つまり、それまでの和やかな雰囲気をかき消さないように余韻を持ってお別れするための言葉であって、お客さんに気持ちよくお帰り頂くための気遣いの言葉だということなのです。

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京都人の本音

「ぶぶ漬けでもどうどす?」は、誤解が誤解を生んで、いつの間にか、京都人のいけずなところや言葉とは裏腹の二面性を言い表す代名詞のようになってしまっていますが、本当はこの言葉には京都人独特の奥ゆかしさが隠されているのです。

因みに、一般的には「ぶぶ漬けでも…」と勧められても、食べてはいけないとされているわけですが、「ぶぶ漬けを食べない男には娘をやるな」という逆説的なことわざも京都にはあります。こんなことを言われると、いよいよお茶漬けを食べて良いのか悪いのか、迷ってしまいますが、これも千年の古都の奥深さということなのでしょうか…。京都ってホント、おもしろいところですね。

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(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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コメント

  1. ウール より:

    古典落語の中だけのフィクションであり、実際には存在しません。

    • cyber-e より:

      ウール様
      コメント、ありがとうございます。
      「京都のぶぶ漬け」はご存知の通り、京都人の気質を表すエピソードとして語られています。現在、使われるかどうかはわかりませんが、昔は実際に会話の中で使われ、それが上方落語のネタになったと言われています。だから、フィクションとは言い切れないと思いますが・・・。

  2. 京都人 より:

    ずいぶんと断定的に書かれていますけどソースはあるんですか?
    特に「ぶぶ漬けの話は実際に使われていた」「本当はもう少し話したいという意味」という二点について、その根拠となる資料を示していただきたいです。
    上の回答で「言われています」とか書いていますけど、まさかネットで聞いたなんて話ではないですよね。
    ソースもなしに言っているなら、デマを拡散しているのと同じだと思いますが。
    もしそうなら京都人としては許しがたいです。

    • cyber-e より:

      京都人様

      コメント、誠にありがとうございます。
      ソースがあるかとのことですが、この話は、京都に代々古くから住まわれている生粋の京都の方で、私とも関係も深く、信頼ある方からお聞きしたことです。ですから、ソースとしての資料などはありません。この話がデマだと仰るなら、まず先にデマだという資料を提示されるのが筋ではないでしょうか。こんな話もあるということで留めて頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。

      • 東京人 より:

        ソースがないことがデマだという証拠でしょう。
        その生粋の京都の方が実名顔出しで証言すればまだ信じる余地はあるけど、これは筆者の作り話だと思う。
        まあ、ぶぶ漬けの話は悪く言えば嫌味だけど、良く言えば角の立たない言葉を選んでるってことだから、筆者の言うことも完全に間違いではないかな。
        しかしお二人とも角の立つ言葉をお使いになりますね。

        • 別の東京人 より:

          ごめんなささい。
          貴方が一番角の立つ言葉をつかわれていると思いますよ。
          まさに、帰ってください的な「ぶぶ漬けいかが?」を使いたくなりました。w

  3. マスター より:

    【ぶぶ漬け】を『お茶漬け』と勘違いしていますね。
    【ぶぶ】とは【お湯=おぶ】の事なので、
    白湯をご飯にかけ漬物で食べるのが本来のぶぶ漬けです。

    京都は着倒れと言う様に、日頃の食事にはお金をかけず、質素な食生活な京都人。
    食事の最後に、お茶碗に残ったご飯つぶを残さず食べる為、
    お湯をかけて綺麗に食べていました。
    (古来、お茶は高級品。なのでご飯にかけるなんてとんでもないw)

    • cyber-e より:

      マスター様

      貴重なご意見、ありがとうございました。

    • 別の東京人 より:

      >白湯をご飯にかけ漬物で食べるのが本来のぶぶ漬けです。
      ぶぶ漬けにかぎらず、本来は白湯。
      お湯をかけて食べ、食器を洗わない。水を使わない。
      この作法は日本全国どこにでもあります。
      現代で体験したければ、曹洞宗の本山、永平寺か総持寺の参禅体験に参加されると良いでしょう。最後に汁物を掛け沢庵で器をぬぐって飲食し終える。と修行僧の食事の作法を教わることが出来ます。

  4. 岡本 より:

    私が祖母に言われていたのは、招いた側が、帰ってほしい!という意味合いでお茶漬けを提供する事などない!提供された招かれた側が、お茶漬けまで出させるほど長居してしまった事を反省する戒めとしての意味合いはある との事です そもそも京都はオモテナシ文化なので、招いておいてこちらの都合で帰れ!なんて事は大変失礼です 食事していただいて、晩酌していただいて、お風呂、布団、翌朝の朝ごはん、お見送り!ここまで出来ないなら招くな!って言われて育ちましたし、我が家では確かにそうしていました

    • cyber-e より:

      岡本様

      貴重なご意見、ありがとうございます。

      ぶぶ漬けの逸話を根付かしたのは、上方落語「京の茶漬け」だと考えられているようです。『京の茶漬け』が人気になったおかげで、「ぶぶ漬けは”早く帰ってほしい”というサイン」だというイメージが広まってしまいました。しかし、元々はそのような意図が含まれる言葉ではなかった、という説もあります。食事を勧められる、つまりご飯時まで居座るというのは、一般的なマナーから見ても非常識なものです。本来は訪ねた側が察して帰るべきところですが、中にはそうでないお客もいたのでしょう。そこでやんわりと、『そろそろお帰りになった方がよろしいのでは?』と教えるのが、この『ぶぶ漬けでもどうどす?』だったということです。この説からは、相手を傷つけないように気持ちを伝える、京都人の優しさや気遣いのようなものを感じられますよね。

  5. 京都育ち より:

    他の方のご指摘もあるように、今日実際この言い回しを使う方がいるかはおいて、京ことばで『気遣いの言葉』の意味合いになることはありません
    勘違いを広げてしまわないようコメントだけ残させていただきます。

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