年の瀬に近づいてくると店舗では“歳末大売り出し”と銘打って、その年最後のバーゲンが行われます。ところで、この誰しもが知っている“歳末大売り出し”ですが、その起源は京都にあるというのはご存知でしょうか?
実は下京区四条通寺町にある「冠者殿社(かんじゃでんしゃ、かじゃでんしゃ)」が、“歳末大売り出し”のルーツだと言われているのです。今回は八坂神社の境外摂社「冠者殿社」の話をしましょう。
祭神はスサノオノミコトの荒魂
京都人であっても地元の人以外、知る人の少ない「冠者殿社」は、京都の繁華街・四条河原町の近く、新京極にある八坂神社の御旅所の西隣にひっそりと建っています。
もともとは下京区の烏丸高辻にあった八坂神社大政所御旅所(やさかじんじゃ おおまんどころ おたびしょ:現在は小祠のみが残っている)にありましたが、1590(天正18)年から豊臣秀吉が行った京都の町の区画整理、いわゆる「天正の地割(てんしょうのじわり)」によって、1592(文禄1)年に現在の地に遷されました。江戸時代の1863(文久3)年には一度、焼失してしまいましたが、その後すぐに再建。1912(明治45)年に四条通の拡張に伴い少し南に後退して、やっと今の位置に鎮座したのです。創建、変遷の詳しいことは、そのほとんどが不明ですが、祭神が素戔嗚尊(スサノオノミコト)であることから、歴史としてはかなり古いものでしょう。
八坂神社の祭神も同じ素戔嗚尊ですが、冠者殿社には素戔嗚尊の「荒魂(あらみたま)」が祀られています。神の穏やかな側面を「和魂(にぎみたま)」、猛々しい側面を「荒魂」といって、和魂と荒魂は対をなすものです。因みに、神社では本社に和魂を祀り、荒魂は別に社殿を建て祀られることが多いようです。
2つの神様が祀られている!?
神話のひとつに、素戔嗚尊と天照大神(アマテラスオオミカミ)の間で誓約が交わされたという話があります。
弟の素戔嗚尊が天に昇ると、姉の天照大神は素戔嗚尊が攻めてきたと思い、武装して身構えました。それを見た素戔嗚尊は攻める気はないとして、身の潔白を晴らすために子を産むと誓ったのです。それは、もし男の子であれば清心であり、女の子であれば濁心というものでした。結果、産まれた子は男の子でした。素戔嗚尊の潔白は晴れ、そのことから、素戔嗚尊は誓文の神として崇められるようになりました。
この神話から冠者殿社では、素戔嗚尊は「誓文(せいもん)の神」として祀られています。因みに「誓文」とは神への起請文(きしょうもん:神仏への誓いを記した文書)のことです。
ところで、この冠者殿社には素戔嗚尊とは別にもうひとつの霊が祀られていると言われています。これは俗説として伝わっているものなのですが、その祀られている霊というのは、平安時代の末期、六条室町にあった源義経の堀川邸に夜襲を仕掛け、返り討ちにあった、僧侶で武士の土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)の霊です。
1185(文治1)年、源頼朝の命を受けた土佐坊は熊野詣を装って鎌倉から上洛し、堀川邸に滞在していた義経の夜襲を計画しましたが、事前にその計画は発覚し、土佐坊は弁慶らに捕らわれてしまいました。土佐房は暗殺の意思がないとして、7枚の起請文(3枚は八幡宮に、1枚は熊野権現に、残り3枚は誓いの証しとして灰にして呑み込んだ)を書きますが、その日のうちに誓いを破り、夜陰に紛れて堀川邸にいる義経を襲いました。しかし、暗殺は失敗に終わり、土佐坊は斬首により処刑されてしまいました。
土佐坊は処刑される直前に、自らが忠義のために偽りの誓文を立てたことを悔いて、「この後、忠義立てのために偽りの誓いをする者の罪を救わん」と願を掛けたことから、土佐坊も「誓文の神」として祀られたと言われています。
このように、素戔嗚尊と土佐坊昌俊のふたつの「誓文の神」が祀られていることから、近世以降、契約に関わりが深い商人から信仰を集めるようになり、誓文=約束を、払う=反故(ほご)にしてくれる、つまり約束を破っても許されるとされ、更にそれが転じて、嘘をついても許されるという解釈から、冠者殿社は「誓文払い」のご利益があると言われるようになったようです。
“歳末大売り出し”の原型
商売とは物を売って利益を得ることが基本であって、それが当たり前のことですが、昔の社会通念では、商売上の駆け引きで契約を破ったり、安い物を高く売って利益を得ることに罪の意識を感じていたと言われています。その罪の意識を払う意味で、江戸時代では「誓文払い」と言われ、二十日えびす講の日(10月20日)には多くの商人が参詣しました。そして、神事が終わると、商売ができることへの感謝と利益を得ることに対する償いの意識、言うならば、罪滅ぼしとして、客に利益を還元するという意味で大安売りを行ったそうです。この風習は商売人の間で評判となり、次第に全国に広がり、それが“歳末大安売り”という形へと変化していったのです。
冠者殿社の誓文払いは戦前までは盛大に行われていたそうですが、戦後の混乱と共に廃れ、八坂神社の中で神事だけ行われていたのだそうです。
今も芸舞妓さんに伝わる「誓文払い」
冠者殿社の神様たちは、幕末の頃から商売人以外の人たちの信仰を集めるようになりました。その人たちとは、祇園や先斗町(ぽんとちょう)などの花街の遊女たちです。
彼女たちは、馴染みの客に愛の証しとして恋文をよく書いたそうです。もちろん、それは本心ではなく、偽りであって、客の気を惹くために置屋に無理やりに書かされていたのです。その嘘をついたという罪悪を許して貰うということで、冠者殿社への参詣が行われるようになったそうなのです。これも、言えば「誓文払い」ですよね。
ただ、この参詣のやり方は少し変わっていて、一切無言で参詣しなければならないという決め事がありました。もし、ひと言でも喋れば、願い事は破れると言われており、そのことから別名「無言詣(むごんまいり)」と呼ばれています。現在では、芸舞妓さんに伝わっり、祇園祭の神幸祭(しんこうさい)で御旅所に神輿が安置された日から還幸祭(かんこうさい)の前日までの7日間、毎日、無言でお参りする無言詣が今も行われています。
最近、冠者殿社の地元では「誓文払い」の復活に向けた取り組みが行われており、毎年10月20日には大安売りの代わりに、振る舞い酒と福引きが行われています。素戔嗚尊や土佐坊もその様子を見て、きっと微笑んでいることでしょうね。
冠者殿社:京都市下京区四条通寺町東
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