宝鏡寺 〜京の人形寺

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お人形との思い出をお持ちの方は少なくないでしょう。幼いときに大好きで、大切にしていた“お人形さん”。お人形というものは、情が移り、捨てようとしても、なかなか捨てにくいものですが、そんなお人形を供養してくれるお寺が京都にもあります。今回は“人形寺”と呼ばれて親しまれている「宝鏡寺(ほうきょうじ)」の話をしましょう。

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格式の高い尼門跡寺院

宝鏡寺は室町時代に光厳天皇(こうごんてんのう)の皇女である、“華林宮惠厳禅尼(かりんのみやえごんぜんに)”によって建立されました。その後、1644(寛永21)年に後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の皇女、“久厳理昌禅尼(くごんりしょうぜんに)”が宝鏡寺に入り、僧侶として、最高位を意味する「紫衣(しえ)」を身につけることが許され、このことが切っ掛けで、宝鏡寺は皇室との繋がりを強固なものになります。それ以後、天皇の血を受け継ぐ皇女たちが歴代の住職を務めることが慣わしとなりました。

因みに、皇女や貴族の息女が住職になる寺院のことを「尼門跡寺院(あまもんぜきじいん)」と言いますが、宝鏡寺は多くの皇女が出家されたことから、お寺のある地名「百々(どど)」をとって「百々御所(どどのごしょ)」という御所号も賜っている、格式の高い尼門跡寺院なのです。

「人形寺」と呼ばれる由来

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江戸時代では皇室の力を封じ込める幕府の政策として、皇女をお寺に入れることを積極的に行われていました。そのため、幼くして宝鏡寺に入った皇女たちの心を慰めようと、父君である天皇から季節ごとにお人形が贈られてきました。こうして、次第に多くの由緒あるお人形がお寺に所蔵されるようになったのです。

所蔵されたお人形は内々だけでお披露目されていたようですが、戦後になって、文化的にも価値あるお人形を一目見たいという声もあり、1957(昭和32)年の秋に「人形展」が開催され、翌年からは毎年春と秋に一般公開されるようになりました。そして、毎年10月14日には、境内にある“人形塚”の前で「人形供養祭」が行われるようになり、いつしか「京の人形寺」と呼ばれるようになったのです。

夜回りするお人形「万勢伊さん」

宝鏡寺が所蔵するお人形の中には貴重なものが多くありますが、その中に「万勢伊さん(ばんぜいさん)」と呼ばれるお人形があります。お人形と聞くとあどけない子どもの可愛らしい人形を想像しますが、万勢伊さんは、中年女性のような風貌のお人形です。

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この万勢伊さんは「三折(みつおり)人形」といって、間接を曲げることができ、足を曲げることで正座させることもできる、とても珍しいお人形です。季節に応じた着せ替えの着物や、万勢伊さんが持つ道具などもあって、今で言えば“リカちゃん人形”のような遊びができるお人形なのです。

万勢伊さんは22代門跡・本覚院宮(ほんがくいんのみや)から三代にわたって寵愛されたことにより、魂が宿り、宮様をお守りしたいと思ったかどうかはわかりませんが、夜な夜な境内の見回りをするようになったというエピソードがあります。

人形に魂が宿るという話になると、髪の毛が伸びるとか、夜になると可愛らしい顔が突然、恐ろしい顔に変わるといった、怖い話が多いですが、万勢伊さんは宮様を思い、守りたいという気持ちから夜回りをするのなら、それは、微笑ましい話です。それほど、万勢伊さんは宮様から可愛がられたということでしょうね。

本覚院宮が亡くなった後も、夜回りを続けたとされる万勢伊さんは、その後、除霊され、今は夜回りをすることのない、普通の人形になっているそうです。

お人形に感謝

宝鏡寺には毎日のように全国各地から、いらなくなった人形やぬいぐるみが持ち込まれています。人形塚の台座には『人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか知らねども 愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ』と、武者小路実篤の詩が刻まれています。思い出がいっぱいある人形たちに感謝の気持ちを持って、最後を見届けてあげれば、きっと人形たちも微笑みながら、天国に旅立つことでしょう。

宝鏡寺:京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547 TEL : 075-451-1550

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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