京の七不思議 その8『永観堂の七不思議』

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真っ赤に染め上がる晩秋の永観堂

東山の麓に建つ名刹、永観堂。浄土宗西山禅林寺派の本山である永観堂(正式名:聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺)は、平安初期の853(仁寿3)年に、弘法大師の弟子の真紹(しんじょう)が公家の藤原関雄(ふじわらのせきゆう)の別荘を譲り受けたのが始まりとされています。

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永観堂は「もみじの永観堂」と呼ばれるほどに紅葉が美しく、イロハモミジを中心に約3,000本もの紅葉が晩秋の諸堂が建ち並ぶ広い境内を真っ赤に染め上げます。まさに燃え上がるという表現が相応しい秋の永観堂ですが、この永観堂にも7つの不思議が今に伝えられています。今回は「永観堂の七不思議」の話をしましょう。

永観堂の七不思議とは!?

永観堂の七不思議:その1「抜け雀(ぬけすずめ)」

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拝観券を販売している大玄関から入って、左手の奥、釈迦堂に対面する位置に“古方丈”と呼ばれる建物があります。古方丈は1666(寛文6)年に建立されたもので、書院として使用されていたようです。

この古方丈にある孔雀の間の欄間(らんま)には、雀が描かれているのですが、向かって右端の欄間には描かれた雀が1羽、足りないらしいのです。本来は5羽の雀が描かれているはずなのに、実際は4羽しか描かれていません。これは、描かれた雀があまりに見事だったために、1羽の雀が生命を受けて飛び去って行ったということなのだそうです。

このように、描かれた雀が飛び去ったと伝えられている不思議は、京都では知恩院や西本願寺の七不思議にもあります。日本では古くから雀は神聖視されていて、縁起が良いとされてきた鳥なので、絵の題材としてよく使われたようですが、ただ、描かれていたはずの雀が消えてしまったことは、本当に不思議なことです。最初から描かれていなかったのでは?なんてことは言わないように…。

永観堂の七不思議:その2「悲田梅(ひでんばい)」

永観堂という名称は第7世・永観(ようかん)律師の名前が由来となっています。永観律師は、弱者救済に命をかけた人だと言われていますが、律師は境内に薬王院という施療院を造り、梅を育てて、その梅の実を健康食として、貧困者や病人に分け与えたそうです。その律師の慈悲ある行為を讃え、京の人々は禅林寺を「永観堂」と親しみを込めて呼ぶようになったのです。そして、律師が植えた梅の木を「悲田梅」と敬意を込めて名付けられたのです。“悲田”とは、苦難を受けている人への思いやりの心のことだそうです。

現在、悲田梅は1本だけ、境内に残っていますが、900年経った今も、その悲田梅は美しい花を咲かせ、大きな梅の実をつけて、甘酸っぱい香りとともに、人を思いやる心を私たちに伝えているのです。

永観堂の七不思議:その3「火除けの阿弥陀如来(ひよけのあみだにょらい)」

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1467(応仁1)年に戦国時代の端を切った乱として有名な「応仁の乱」が起きます。「応仁の乱」は将軍家の跡目争いが原因で起きた内乱で、10年間もの間、争いが続きました。その戦火によって、京都の多くの社寺が焼かれ、この永観堂も「東岩倉の合戦」により、伽藍の大半が焼失してしまいました。ところが、かつては伝法堂と呼ばれた瑞紫殿(ずいしでん)に安置されていた阿弥陀如来坐像だけは諸堂が焼き落ちたにも拘わらず、右手が焦げただけで、焼け残ったのです。

この阿弥陀如来坐像は寺伝によると、弘法大師が火除けの願を掛けて彫刻したとされる、いわゆる霊像なのだそうですが、焼けなかったことからすると、言い伝えの通り、この像は弘法大師の霊力を宿しているのでしょうね。半世紀ほど経った今でも、この阿弥陀如来坐像は火除けの信仰を集めています。

永観堂の七不思議:その4「臥龍廊(がりゅうろう)」

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阿弥陀堂に向かう回廊の途中にある水琴窟(すいきんくつ)の左手に、開山堂へ通じる急勾配の階段状になった回廊があります。この回廊は山肌を這うかのように造られていますが、その様が、まるで龍が体をうねらせているかのように見えることから、“臥龍廊(がりゅうろう)”と呼ばれています。

秀吉とねねのゆかりの寺院である高台寺にも、同じ臥龍廊と呼ばれる回廊がありますが、高台寺の臥龍廊は直線的な構造なので、曲線を描く永観堂の臥龍廊の方がその名に相応しいように思えます。因みに、この回廊は、1本の釘も使わずに組木だけで造られているそうです。おそらく、宮大工さんが造ったのでしょうが、それは、まさに匠の技と言えるでしょう。

永観堂の七不思議:その5「三鈷の松(さんこのまつ)」

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御影堂から阿弥陀堂に続く廊下の傍らに、“三鈷の松(さんこのまつ)”と呼ばれる1本の大きな松があります。この松は中国原産の白皮松という松なのだそうですが、松の葉って、普通は2本ですよね。ところが、この松の葉は3本もあるのです。しかも、葉の長さが30センチ近くもあり、普通の松の葉の約5倍ほどの長さがある珍しい松なのです。

密教やチベット仏教などに用いられる金剛杵(こんごうしょ)という法具の一種に、“三鈷杵(さんこしょ)”と呼ばれる、先が三つ叉になった法具がありますが、3本の松の葉をその三鈷杵の形にたとえて、この松のことを“三鈷の松”と呼ぶようになったのだそうです。

この松の葉を持っていると、3本の葉ということで、「真心、智慧、慈悲」の3つの福を授かるとされ、財布に入れておくとお金が貯まるとか、タンスに入れておくと服が増えるとも言われています。この三鈷の松の葉には、四つ葉のクローバーのように、幸運をもたらすパワーがあるようですね。境内にある売店で無料で配られていますので、永観堂にお越しの際には、是非、お持ち帰りください。

永観堂の七不思議:その6「木魚蛙(もくぎょがえる)」

毎年4月の下旬から5月にかけて、三鈷の松の周辺に棲む蛙が鳴き出すそうですが、その鳴き声は、まるで木魚を叩いたときに出る音のようだと言われています。いったい、どんな鳴き声なのでしょう…。やっぱり、木魚ですから、「ゲロッ、ゲロッ、ゲロッ」ではなくて、「ポン、ポン、ポン」なのでしょうか…。

鳴き声を聞いた人はたくさんいるそうなのですが、何故かその蛙の姿を見た人は、未だに誰ひとりもいないのだそうです。声はすれども姿は見えず…。ミステリアスですね。

永観堂の七不思議:その7「岩垣もみじ(いわがきもみじ)」

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「おく山の 岩がき紅葉ちりぬべし 照る日の光 見る時なくて」 これは、平安時代の文人、藤原関雄(ふじわらのせきお)が「古今集」に詠んだ名句ですが、この句にある“岩がき紅葉”が、御影堂の裏にある苔むした岩垣の間に根を下ろした紅葉(もみじ)のことなのです。この岩垣はかなり急な斜面になっていて、そういった場所に紅葉が生えることはとても珍しいことから、七不思議のひとつに数えられています。

永観堂が建立される以前からこの地に住んでいた藤原関雄は岩垣の紅葉の美しさに心奪われ、しばし時を忘れて、その鮮やかな赤色を心に染みわたらせていたことでしょう。

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禅林寺(永観堂):京都市左京区永観堂町48 TEL : 075-761-0007

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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