京都怪異譚 その18『幽霊絵馬 ~革堂さんに伝わる悲しい物語』

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京都御所の南東にある「行願寺(ぎょうがんじ)」。地元では“革堂(こうどう)さん”と親しみを込めて呼ばれている、天台宗のお寺です。

この行願寺は1004(寛弘1)年に行円上人(ぎょうえんしょうにん)という高僧によって創建されました。

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“革堂”と呼ばれる由来は?

どうして“革堂(こうどう)”と呼ばれるようになったのでしょう…。字からすると、“革(かわ)”の“お堂(お寺)”ということなのですが……。  実は、“革堂”と呼ばれる理由は、行願寺を開基した、行円上人に関係があるのです。

行円上人は僧侶になる前は、狩猟を生業としていました。ある日、山中でメスの鹿を矢で射止めたところ、矢が鹿の腹を割き、そこから子鹿が生まれ落ちたのでした。母鹿は痛みで苦しみながらも、生まれ出た子鹿を愛おしみ、子鹿の体を舐めていましたが、やがて母鹿は息絶えてしまいました。その様子を見て行円は、「なんということをしてしまったのか!」と今までの殺生を悔い、仏門に入ったのです。

比叡山延暦寺で修行をした行円は、行願寺を建立した後、経文が書かれた母鹿の皮を常に身にまとい、殺生を行ったことに対する懺悔として諸国を巡りました。その行円の姿から、人は行円のことを「皮聖(かわひじり)」と呼ぶようになり、行願寺も行円の寺、すなわち、皮聖のお堂ということで、“革堂(こうどう)”と呼ばれるようになったのです。

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「幽霊絵馬」にまつわる悲しい話

行願寺に併設されている宝物館には、行円が身にまとったとされる鹿皮の衣とともに、通常は非公開になっている『幽霊絵馬』と呼ばれる絵馬が所蔵されています。絵馬は、縦1メートル、横30センチほどの大きさのもので、そこには幼い子どもをおぶった女の子の姿が描かれていますが、この絵馬にはある悲しい話が残されているのです。

江戸後期の頃、革堂の近所に質屋がありました。この店の主人である八左衛門は、気が短く、強欲でお金のことばかり考える男でした。そのために、周りの人たちからは嫌われ、影では“鬼の八左衛門”と呼ばれていました。

そんな八左衛門にも、子どもが生まれました。そこで商いに忙しい八左衛門は、子守りを付けることにしたのですが、評判の悪い八左衛門のところに来る子守りなど、そうそう見つかりません。そんな時、八左衛門の知り合いが、子守りにと、近江(滋賀県)の百姓の娘を連れてきたのです。

その娘の名前は「ふみ」といい、年齢は10歳。「これをかーちゃんだと思って、さびしくても我慢するんだよ」と、母親からもらった手鏡を持って、知らない町にやって来たのでした。

ふみは子どもが好きで、八左衛門の子どももすぐになつきました。子どもがむずがると、近くの革堂から聞こえてくる御詠歌を子守歌代わりに、唄い聞かせていました。子どもも、ふみが唄う御詠歌を聞くと、ニコニコと笑って機嫌が良くなりました。

ところが、八左衛門にとっては、ふみが唄う御詠歌がたまらなく気にくわなかったのです。というのは、八左衛門は熱心な法華信者(日蓮宗)だったからです。革堂は天台宗のお寺ですから、自分の子どもに天台宗の御詠歌を唄って聞かせるなどは、とんでもないことだったのです。

悲劇は起きた!

そんなある日のこと。ふみはいつものように、子どもをおんぶして、御詠歌を唄いながら、革堂から帰ってきました。

♪花を見て 今は望むも革堂の 庭の千草も盛りなるらむ……♪

このふみが唄う御詠歌を耳にした八左衛門は、よほど虫の居所が悪かったのか、頭に血が上って、「こらーっ! そんな歌、唄うな!!」と大声で叫び、ふみの襟首をつかみ、殴る蹴るの暴行を加えて、恐ろしいことに、ついにふみを殺してしまったのです。

八左衛門はふみの亡骸を自分の家の庭に埋め、ふみの両親には「家出をした」という嘘の知らせをしました。

ふみの両親は慌てて近江からやって来て、八左衛門に謝り、ふみの行方を捜し回りました。そんな時に、両親は道行く人から、ふみはよく革堂で子守りをしていたということを聞き、革堂の観音様に「どうか、ふみの居所をお教え下さい」と拝み、そのままお堂に泊まることにしました。

両親の前に現れた、ふみの幽霊

その夜中のことです。お堂で寝ていた両親は、何かが居るような気配で目を覚ましました。暗闇に目を凝らすと、お堂の隅にふみが立っていたのです。両親は「ふみ!」と呼びかけようとしたのですが、2人とも声になりません。それに、体も痺れて動かすこともできませんでした。

すると、ふみがすーと近寄ってきて、「おとう、おかあ。わたしはもうこの世にいないの。わたしはご主人さまに殺されて、庭に埋められている。ここは寒くて、暗くて…。どうか掘り出して、供養して欲しい…」と言うと、ふみは暗闇に消えていったのです。そして、ふみが立っていた所には、母親がふみに持たせた手鏡がそっと置かれていたのでした。

夜が明けるとともに、両親は奉行所に駆け込み、ふみの亡骸を掘り出して、ねんごろに葬りました。そして、不憫な娘の供養の意味で、ふみの子守りをしている姿を杉板に描き、絵馬として、ふみが大好きだった革堂に奉納したのです。因みに悪行がバレた八左衛門は、死罪になったとか、流罪の後、出家したとか…。

悲話を語り継ぐ「幽霊絵馬」

「幽霊絵馬」は毎年、六地蔵巡りの頃(8月22~24日あたり)に合わせて行われる「幽霊絵馬供養」の際に一般公開されます。ふみが大切にしていた手鏡は、その絵馬の裏側にはめられているそうです。これからも幽霊絵馬は、幼い女の子の悲話を後世に語り継いでいくことでしょう。

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行願寺(革堂):京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17 TEL : 075-211-2770

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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