京の七不思議 その13『比叡山の七不思議』

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京都の鬼門に位置する比叡山

比叡山(ひえいざん)は京都市と滋賀県大津市にまたがる、“大比叡ヶ岳(だいひえいがたけ:848.3m)”と“四明ヶ岳(しめいがたけ:838.8m)”の2峰からなる山です。

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日本最古の歴史書とされている『古事記』に、“日枝山(ひえのやま)”と記され、高野山と並び、古くから山岳信仰の対象とされている比叡山。比叡山は京都御所から見て北東に位置するのですが、それは京都の鬼門にあたる位置でもあるのです。そんな比叡山にはどんな不思議が言い伝えられているのでしょうか…。今回は王城鎮護の山、比叡山の七不思議について話をしましょう。

比叡山の七不思議とは!?

比叡山の七不思議:その1「一文字狸(いちもんじたぬき)」

世界文化遺産である『古都京都の文化財』を構成するひとつ、「比叡山延暦寺」。延暦寺は東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、そして北を「横川(よかわ)」の3つのエリアに区分されていますが、この「一文字狸」は、西塔にある「にない堂」にまつわる不思議です。

西塔にある“常行堂”と“法華堂”は渡り廊下でつながっていて、この2つのお堂を合わせて、通称「にない堂」と呼ばれています。“にない”とは漢字にすれば“担い”になりますが、力持ちの弁慶が渡り廊下を天秤棒のようにして、2つのお堂を担いだという突拍子もない伝説に基づいて付けられたのだそうです。

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このにない堂に“真弁(しんべん)”という名の修行僧が篭もっていました。真弁は自分の気むずかしい性格を変えるために、ひょうきんで愛嬌のあるタヌキにあやかろうと考え、タヌキの彫刻を始めたのです。その彫刻を始めてから10日目の夜のこと…。

いつものように真弁が彫刻に没頭していると、突然、谷間から一陣の風が吹き抜けました。すると、にわかに不気味な気配が立ち込めると同時に、真弁の目の前に月の明かりに照らし出された、とてつもなく巨大な毛むくじゃらの獣の足が現れたのです。

真弁はその獣の足に沿って見上げると、なんとそこには、身の丈100メートルほどもありそうなタヌキの怪物が真弁を見詰めていました。タヌキの額には白く横一文字に引かれた眉毛が1本…。真弁はその奇妙な顔から目を逸らすこともできず、恐ろしさの余り、ヘナヘナと腰を抜かして座り込んでしまいました。

すると、タヌキの怪物は地の底から響くような声で「我は、大師開山以前より、この山に住んでいる一文字のタヌキだ。お前は、己のためでなく、仏道修行のために千体のタヌキを彫り、願を立てるのなら、お山はお前を擁護するだろう…」と告げたのです。

そのタヌキのお告げを聞いた真弁はその意味を悟り、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を始めたのです。一日の行を終えると、タヌキを一体彫る毎日。そして、ついに7年目の満願の日、真弁はタヌキの怪物のお告げ通り、千体目のタヌキの彫刻を作り上げたのです。その千体のタヌキの彫刻は、その後、織田信長の焼き討ちに遭って、失われてしまったと言われています。 

ビジュアルを想像すると、タヌキの怪物は恐ろしいと言うよりは、アニメのキャラクターになりそうな、コミカルな感じがしますが、それにしても、あの荒行で知られる千日回峰行の始まりにタヌキが関わっていたとは意外なことですね。  

比叡山の七不思議:その2「蛇ヶ池(へびがいけ)」

「蛇ヶ池」は延暦寺の横川エリアにあります。横川駐車場から横川中堂へ向かう途中の左手にある小さな池で、別名「龍ヶ池」とも呼ばれています。昼間に訪れても、何やら不気味な雰囲気が漂う池ですが…。

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その昔、この池には大蛇が棲み着いていて、通りがかった村人を襲っては喰っていたそうです。それを知った高僧の秀憲(しゅうけん)は、その大蛇を退治するために蛇ヶ池にやって来ました。

秀憲が池の畔にたたずみ、呪文を唱えると、池の真ん中辺りから、ザバーッと水しぶきを上げて、大蛇が現れました。秀憲は大蛇に向かって、「お前は法力を持っているそうだが、その証拠を私に見せてくれないか」と頼みました。すると、大蛇が「よし、見せてやろう」と答えた途端、雷が鳴り響き、大蛇はみるみる大きくなり、なんと比叡の山を7巻半も出来るぐらいに巨大になったのです。

それには秀憲と言えども、さすがに驚きましたが、すぐに気を取り直して、今度は「ほー、これは噂通りにスゴい!お見事、お見事。では、今度は私のこの手のひらに乗れるほど、小さくなることはできるか?」と言うと、大蛇は「そんなことは容易いこと」と言って、どんどん小さくなり、秀憲が差し出した右の手のひらに乗ってとぐろを巻きました。その瞬間、秀憲は観音様の念力で大蛇を動けないように封じ込めてしまったのです。秀憲の作戦勝ち!見事、大蛇を退治することに成功したのでした。

この話からすると、大蛇の法力は相当なものだったようですが、頭の方はあまりよろしくはなかったようですね。その後、自分の行いを悔いた大蛇は、横川を訪れる人たちの道中の安全と心願成就に助力し続けたと言われています。もしかすると、今も見守ってくれているかもしれません。

因みに“策略にはまってはダメ”という意味で「その手に乗るな」と言ったりしますが、この言葉は、秀憲の手のひらに大蛇が乗ったことに由来しているという説があります。

比叡山の七不思議:その3「なすび婆(なすびばばぁ)」

延暦寺の東塔エリアにある第三駐車場の北隅に「南光坊址」と記された石碑が立っています。「南光坊」とはいわゆる坊舎で、部屋が数多くあった大きな建物だったそうです。

ある夜更けのこと、南光坊の門を叩く音がしたので、小僧が出てみると、そこには恐ろしい形相をした異形の物の怪が立っていました。びっくりした小僧は、そのまま気を失ってしまいましたが、その物の怪が呪文を唱えると、小僧は息を吹き返したのです。そして、小僧が目にしたのは、恐ろしい物の怪ではなく、微笑みを浮かべて立っている、なすび色(黒紫色?)をしたお婆さんでした。どこか気品があるこのお婆さんに、小僧は惹き付けられるように声を掛けようとしたところ、その姿は煙の如く、消え去ってしまったのです。

この出来事は瞬く間に全山に知れ渡り、そのなすび色の物の怪は一体、何者なのかを調べることになりました。すると、ひとりの女官が浮かんできたのです。

800年ほど前、宮中に仕えていた位の高い女官がいたそうです。この女官は生肉が好物で、人目を避けては山中の動物を殺して食べていました。そして、その女官は死後、その報いにより魔界に堕ち、妖怪に変化(へんげ)したのでした。

ところが、この女官は生前、自らの悪行を悔やみ、晩年、比叡山の仏や菩薩のご加護を祈り続けたため、仏の慈悲から、身は魔界にあっても、心は比叡山に住むことが許されました。そして、人目に付かない夜になると、山や境内の中を歩き回っているそうなのです。南光坊の門を叩いたのも、生前のことを思い出し、ふと人恋しくなったからなのでしょうね…。

なすび婆には、もうひとつ、言い伝えが残されています。それは、今から400年ほど前、織田信長が比叡山を焼き討ちにした夜、大講堂にある鐘楼の鐘がけたたましく鳴り響き、信長の襲来を全山に報せたということがありました。後日、その鐘を鳴らしたのは誰かということになったところ、「髪を振り乱した老婆が鐘楼から立ち去るのを見た」とか、「老婆が呪文を唱えながら南光坊に消えていった」という証言があったことから、鐘を鳴らしたのは、信長の軍勢からお山を守ろうとした、なすび婆だったのだろうということになったそうです。なすび婆は今も比叡山に何か出来事が起きると現れると言われています。なすび婆って、心配性なんでしょうかね…。

比叡山の七不思議:その4「一つ目小僧(ひとつめこぞう)」

東塔エリアに「総持坊」という修行道場があります。その玄関の上部に、1枚の絵が掛けられています。そこには、第18世座主である慈恵大師(じえだいし)、通称・元三大師良源(がんざんだいし りょうげん)の弟子とされる「慈忍和尚(じにんおしょう)」が描かれているのですが、それは一つ目、一本足で右手に鉦(かね)を持った奇っ怪な姿をしています。

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慈忍は良源の教えを実践し、戒めを守り、他の修行僧にも厳しい僧侶で、「自分が死んだ後も仏法が廃れないように、お山をお守りする」と、生きているうちから誓いを立てていました。

さて、この慈忍が亡くなった後のことです。若い僧が修行を怠けたり、肉食をしたり、酒を飲んだりすると、必ずその僧の前に、目はひとつ、足は一本の一つ目小僧がスーッと現れ、「しっかり精進しろ!」と大声で怒鳴りつけるのでした。この一つ目小僧こそ、慈忍和尚の化身で、死んでも尚、比叡山の戒律を守り続けたのです。

慈忍和尚のお墓は比叡山の横川から東へ2キロほど離れた飯室(いいむろ)という所にあるのですが、この辺りを荒らすと祟りがあると言われており、“比叡山三魔所”のひとつとされています。本当に怖いところなんですね…。

比叡山の七不思議:その5「船坂のもや船(ふなさかのもやぶね)」

東塔エリアにある延暦寺会館の前の坂道を下っていくと、突然、急な坂が見えてきます。この坂が「船坂(ふなさか)」と呼ばれている坂ですが、その名前の由来には怖い言い伝えが残されています。

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ある夜のこと。比叡山の麓にある坂本の町で酒を飲んだ山法師が、坂道を登って延暦寺に帰る途中のことです。その坂道が突然、川の岸辺にでもなったかのように、一面に濃いモヤがかかり、その中から、女人たちの念仏を唱える声が聞こえてきたのです。この当時、比叡山は女人禁制だったので、女性の声がするわけがない。山法師は飲み過ぎて、錯覚で聞こえるはずのない女人の声が聞こえてしまったんだと思っていると、今度はモヤの中に、二艘、三艘と次々と船が浮かんで来るのが見えだしたのです。山法師は驚きながらも目を凝らすと、なんとその船の上には念珠を手にした大勢の女人の亡者が乗っているのが見えるではありませんか! その亡者たちは口々に念仏を唱えていました。次第に船は山法師に近づき、山法師は亡者と目が合った途端、その場に倒れ込んでしまいました。

その翌日、坂道の途中で死んでいる山法師を小僧が見つけ、大騒ぎになり、それ以来、その坂道は“船坂”と呼ばれるようになったと言われています。

琵琶湖で自殺や不慮の事故で亡くなった女性の霊が船に乗って現れるとは、何とも恐ろしい光景ではありますが、どこかもの悲しさもありますよね…。

比叡山の七不思議:その6「おとめの水垢離(おとめのみずごり)」

今は廃寺となって、名もない荒れたお堂が残っているだけですが、かつては東塔東谷に五智院というお寺がありました。

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ある夜のこと、賢秀という名の僧がロウソクに火を灯そうと仏間に入ると、たくさんある位牌の中の1つがカタカタと小刻みに動き始め、それと同時にどこからともなくザーッという水音が聞こえてきました。「この水音は、一体どこから聞こえてくるのか?」とその水音がする方向を探ってみると、それは境内にある“霊泉”と呼ばれる小さな池から聞こえてくることがわかりました。

その次の日の真夜中、好奇心旺盛の賢秀は、水音の正体を確かめようと霊泉に行くと、見てはならぬ光景が賢秀の目に飛び込んできたのです。その光景とは、霧が立ちこめる中、上半身裸の美しい女が水浴びをしているというものでした。「女人禁制のお山に、しかも、真夜中に若い女性が水浴びをしているとは…」と不思議で仕方ない賢秀は一晩中、悩み続けました。

その翌日も、丑三つ時になるとまたしても霊泉から水音が聞こえてきました。賢秀は今度こそ、その正体を突きとめてやろうと、息を殺して霊泉に近づいていきました。ところが、どうしたことか、水音は聞こえてくるのに、昨夜見た女の姿はどこにも見当たらないのです。賢秀は唖然として、立ち尽くしていると、突然、体が硬直し、意識を失ってしまいました。

賢秀は意識を失っている間、不思議な夢を見ていました。その夢とは…。

水に濡れた白装束の美しい女が賢秀の枕元に立ち、「私はこの五智院の以前の住職の妹ですが、若くして病で死んでしまいました。幸いなことに、住職の兄に私は手厚く供養してもらい、魂をお山に留めて修行すれば、来世は必ず幸せになれると因果の法を教えてくれましたので、それに従って、沐浴の行を続けていたのです。それなのに、あなたに行をする姿を見られてしまったので、私はこの五智院から姿を消すことにします…」と言いました。

意識が戻った賢秀は、夢に出てきた女の言葉を思い出し、仏間に行くと…、なんとカタカタと小刻みに動いていた位牌だけが、消えてなくなっていたのです。

美しい女は天国へと旅だったのでしょうか…。それとも、今も比叡山の行場を巡り続けているのでしょうか…。誠に不思議なことです。

比叡山の七不思議:その7「六道踊り(ろくどうおどり)」

これは横川エリアにある、中心的堂塔の「横川中堂」にまつわる不思議です。

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秀吉の側室、淀君の発願で横川中堂が再建され、その年のお盆には、僧と村人たちによって盛大な盂蘭盆会法要が行われました。

朝から始まった法要は日が暮れる頃には終わりましたが、お堂の精霊棚には、法要で供えられた花や食べ物がそのまま置かれたままになっていて、暗闇の中、灯明の灯りだけが怪しく揺らめいていました。

時は丑三つ時。突然、お堂の中で「ズシン!」と大きな音が響くと、薄らと笑みを浮かべた観音様が現れました。そして、観音様が精霊棚に載せられている食べ物を指差すと、暗闇から餓鬼たちが出てきて、その食べ物をむさぼり始めました。

しばらく、その様子を見ていた観音様は、今度は右手をさっと挙げると、お堂の前の広場に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人)の衆たちが現れ出てきました。そして、六道の衆たちは、観音様の前で踊りや舞いを披露し始めたのです。

地獄の亡者は地獄で受ける責め苦を踊りで表現し、修羅たちは、剣を使って舞い踊りました。そして、人間による芸能が始まりました。さすがに人間だけのことはあって芸は達者で、他の衆たちから喝采を受け、人間は気をよくしていました。

ところが、観音様だけは人間を睨みつけ、「芸には真心を込めなければいけない。常に他を思いやる心を持ちなさい」と諭したのでした。この観音様の言葉で、それまでの祭り気分は吹き飛び、六道の衆たちは、その言葉に聞き入りました

最期に天人が「延命の舞い」を披露すると、観音様は六道の衆たちを見渡して、「天人のような清らかな気持ちを常に持っていると、芸もまた美しいものになる。そのことを心せよ。それにしても、今日は愉快だったぞ」と満足げな表情で言いました。

観音様の言葉が終わると、夜が明けだし、六道の衆は黎明の空に消えていったと言われています。「六道踊り」とは、何とも奇妙な宴だったようですね。

比叡山延暦寺:滋賀県大津市坂本本町4220 TEL : 077-578-0001

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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