シリーズ『一風変わった京の地名』その12

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地域の合併や開発によって、もとの地名が消えて、新しい地名が生まれることはよくあることですが、京都は歴史を重んじることからか、例え時代にそぐわない変な地名や転記ミスではないかと思われる妙な地名であっても、改めることなく頑なにもとの地名を残しています。そこに、京都の地名の面白さがあり、その由来や背景を知りたくなるのです。さて、今回の一風変わった地名は?

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あの清盛と関係が!?

『柏清盛町』

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京都市の上京区にあるこの町は「かしわきよもりちょう」と読みます。この『柏清盛町』の近くには「千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)や、釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)で知られる「石像寺(しゃくぞうじ)」があります。

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さて、この町名の由来ですが、町名に“清盛”の文字があることから、平安時代末期の武将・平清盛に関係があるのでは?と思われたのではないでしょうか。ところが、実は清盛とはまったく関係はないのです。

明治初期に京都では、町と町の合併が盛んに行われました。この『柏清盛町』もそのひとつで、1868(明治1)年に「柏野町(かしわのちょう)」、「清玄町(せいげんちょう)」、「盛下町(せいかちょう)」の3つの町が合併し、それぞれの頭文字である「柏」「清」「盛」を並べて町名にしたのです。町名を見ると“清盛”とあるだけに、ロマンを感じてしまいますが、実際はロマンなど欠片もない、単純な町名だったのです。ただ、意図したかどうかはわかりませんが、“清盛”となったのはスゴいですよね。この2文字があるだけで、町に重みを感じます。

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京都にはこの『柏清盛町』と同じように、合併により生まれた町名は多くありますが、例えば、同じ上京区に『桜鶴円町(おうかくえんちょう)』という町名があります。桜や鶴や円(まる)といった何やら華やかでおめでたい字が並んでいますが、ここも1869(明治2)年に「桜馬場町(さくらばばちょう)」、「鶴亀町(つるかめちょう)」、「円一町(まるいちちょう)」の3つの町が合併して生まれた町名です。

このように合併が行われた町は市の中心部で特に多く、江戸時代の頃までは上京区、中京区、下京区あたりの町の数は、現在の2倍以上あったようです。当時の町の概念は今よりも随分と小さいものだったのでしょうね。

柏清盛町:京都市上京区柏清盛町

伝統技術を受け継ぐ職人の町

『釜座』

この地名、もともとは「かまのざ」と読まれていましたが、いつしか訛って「かまんざ」と呼ばれるようになりました。

『釜座』は、町と通りにその名が付けられています。釜座町は二条城の東、堀川通と烏丸通の間に位置し、釜座通は南は三条通から、北の下立売通(しもだちうりどおり)までの約1.2キロメートルを通る路です。

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『釜座』の由来は、その字から何となく予測できるかと思いますが、室町時代の頃より釜座町のある三条通近辺に釜を鋳る職人が多く住んでいたことにあります。織田信長や豊臣秀吉からも援助を受け、釜以外にも灯籠や梵鐘などの鋳鉄製品を手掛け、広く世間に知られるようになりました。記録によると、1625年には88人もの鋳物師が釜座町に居たとありますので、まさに日本の鋳物業の中心地だったわけです。

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釜座町には豊臣家が滅びる発端とされる方広寺の大鐘(「国家安泰」の文字が刻まれた鐘)を造った名越三昌(なごし さんしょう)や千家十職(千家【表千家・裏千家・武者小路千家】好みの茶道具を作ることができる職人)のひとり、釜師の大西清右衛門が住み、現在も御釜師(おんかまし)を名乗る大西家1軒が京釜の技術を受け継いでいます。

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釜座通は1590(天正18)年に豊臣秀吉が行った洛中改造(天正の地割)によって新しく作られた路で、その当時は現在より更に北にある中長者町通まで釜座通は伸びていました。ところが、幕末に尊王攘夷派によるテロ活動が京の町で横行し、その取り締まりのために釜座通の丸太町通から中長者町通の間に「会津藩京都守護職屋敷」が置かれたのです。そのために、釜座通は三条通から丸太町通までの1キロにも満たない短い路になってしまったわけです。

明治維新の後、京都守護職は廃止となり、一時期、軍制局になったのち、京都府庁が移転してきたのを機に釜座通は整備され、丸太町通から下立売通の間が復活し、現在の通りのカタチになったのです。

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釜座町:京都市中京区釜座町

2つの町名を繋げた町

『髭茶屋桃燈町』

京都と滋賀の境にある、昔話にでも出てきそうな町名の『髭茶屋桃燈町』。これは「ひげちゃやちょうちんちょう」と読みます。どこか珍妙で、難読の部類に入るであろうこの町名は、「髭茶屋町(ひげちゃやまち)」と「桃燈町(ちょうちんまち)」という2つの町がひとつになったことでできた町です。

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「髭茶屋町」の辺りは、東海道と奈良街道の分岐点で、その目印になっていたのが、髭をたくわえてオヤジが経営する茶店だったそうです。そんなことから、旅人はこの地を“髭茶屋追分”と呼び、いつしか町名も「髭茶屋町」になったというわけです。単純でありがちなことですが、わかりやすい由来ですよね。

「桃燈町」はその名の通り、“ちょうちん”が由来になっています。豊臣秀吉が中国出兵の時にこの地を通る際に、道案内の意味で、街道筋の住民が自分の家の門に提灯を灯したそうで、それを秀吉がたいそう喜び、「桃燈町」と名付けたのが、この町名の由来です。

“ちょうちん”を漢字表記すると、“提灯”と書くのが一般的ですが、“桃燈”と書くこともあるので、間違いではありません。(“挑灯”、または“張燈”とも書きます)“桃(もも)”を使うことで、甘い香りの美しいイメージが湧いてきますが、“提灯”とせずに“桃燈”としたのも、秀吉の粋な計らいなのかもしれませんね。

珍妙な町名『髭茶屋桃燈町』。もう少し簡略化するとか、並び替えるなどすれば、読み易くすることも可能だとは思うのですが、2つの町名をほぼそのまま繋げたところに、古くからある名を後世にまで伝えたいとする京都人の思いがあるのです。

髭茶屋桃燈町:京都市山科区髭茶屋桃燈町

今回は『柏清盛町(かしわきよもりちょう)』、『釜座(かまんざ)』、『髭茶屋桃燈町(ひげちゃやちょうちんちょう)』の、3つの一風変わった地名をご紹介しました。

では、次回をお楽しみに。

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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