シリーズ『一風変わった京の地名』その2

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京都には、「えーと…、何て読むんだ?」とか、「どうして、こんな名前が付いたのだろう…」と思い悩む地名が数多くあります。そんな地名とその由来をご紹介するシリーズの2回目。さて、今回、お話しする一風変わった京の地名は?

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天使を突き抜けたモノとは!?

『天使突抜』

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京都市下京区にある、この地名は「てんしつきぬけ」と読みます。“天使”という字が使われているので、どこかファンタジックな世界を彷彿しますが、それにしても“天使を突き抜ける”とは、なんともインパクトのある地名ですよね。

天使と言えば、背中に羽のある裸の子どもの姿が浮かんできますが、この地名にある“天使”は「五條天神宮(ごじょうてんじんぐう)」のことなのです。“天神”とあるので、菅原道真公を祀った、いわゆる学問の神様の“天神さん”と思われがちですが、この神社に祀られている神様は“少彦名命(すくなひこなのみこと)”といって、薬の神様です。

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少彦名命は“天子さま”と呼ばれていましたが、“天子”は天皇を表す言葉であることから、京の人たちは天皇と同じ天子を使うことは礼儀にはずれるとして、“天子”を“天使”に変え、この神社は「お天使さま」と呼ばれるようになったのです。これが地名にある天使の由来です。では、突抜(つけぬけ)とはどういうことなのでしょうか。それには、天下人、豊臣秀吉が行った、あることに由来しているのです。

九州征伐の後、京都に聚楽第(じゅらくだい)を構えた秀吉は、京都を大改造するために大胆な区画整理を行いました。その事業のひとつとして、上京(御所がある辺り)の賑わいを下京(現在の京都駅の辺り)へ流すために南北に1本の大きな道を通すことになったのです。ところが、その道が通される場所に、お天使さまである「五條天神宮」が建っていたのです。普通ならば迂回すべきですが、そんなことは秀吉にとっては、何ら問題ではなく、おかまいなしにズドンとお天使さまの境内の真ん中に道を通してしまったのです。

そういう傲慢な秀吉に京の人たちは「お天使さまを突き抜けてまで道を作るのか!」と怒って、その道のことを、皮肉を込めて「天使突抜通(てんしつきぬけとおり)」と呼び、その「天使突抜」が地名として、今に残っているのです。地名から連想されるファンタジックなイメージとは随分かけ離れた事情があったのですね。

五條天神宮:京都市下京区松原通西洞院西入ル天神前町351-201 TEL : 075-351-7021

悪ガキが住んでいた町!?

『元悪王子町』

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“天使と来れば、悪魔”ということではないのですが、悪魔、悪人、悪事というように、あまり良い意味で使われることのない「悪」という漢字が付いた地名が四条烏丸辺りにあります。その地名とは「元悪王子町(もとあくおうじちょう)」。“悪王子”という言葉からすると、箸にも棒にもかからない悪ガキでもいたのかと思ってしまいますが、実はこの町名にある「悪」には、善悪の“悪い”という意味ではなく、“力強い”という意味があるのです。そして、“悪王子”とは、日本神話に登場する超有名な神様、素戔嗚尊(さすのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)のことなのです。

日本の神様は二面性を持っていて、同じ神格に優しい温和な性格の“和御魂(にぎみたま)”と荒々しい性格の“荒御魂”があると言われています。素戔嗚尊の荒御魂は獰猛で、天照大御神が天岩戸に隠れたのも、素戔嗚尊から逃げるためだったという説がありますが、その悪王子、つまり素戔嗚尊が祀られた「悪王子社」という社が、かつてこの地にあったことから、ここを「元悪王子町」と名付けられたのです。

悪王子社が元悪王子町にあったのは974(天延2)年から1590(天正18)年までの約600年間で、その後、悪王子社は元悪王子町から少し南に下がった五条烏丸の悪王子町に移転し、更に、豊臣秀吉の命により、四条寺町に移されます。それからも移転は続き、四条大橋の少し東の四条大和大路に移り、最終的に今の場所、八坂神社の境内に落ち着いたのです。素戔嗚尊の和魂をご祭神とする八坂神社に、素戔嗚尊の荒御魂を祀った悪王子社があるというのは、ある意味、因縁めいていて、不思議な気がしますね。

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悪王子社(八坂神社内):京都市東山区祇園町北側625 TEL : 075-561-1126

楓と井戸があった場所

『鶏冠井』

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これは見るからに読みづらい地名ですね。漢字をよく知っている人は「鶏冠井」を“とさかい”と読むかもしれませんが、正しくは「かいで」と読みます。

この地名は京都府の向日市(京都市の南西隣り)の東南部にある地名ですが、継体天皇(けいたいてんのう)の時代(507~531年頃)に、この地に名水が湧き出る井戸がありました。そして、その井戸のかたわらに1本の楓の木が立っていました、この楓は「老い楓(おいかえで)」と呼ばれていましたが、その姿がニワトリのトサカ(鶏冠)に似ていることから、3つの要素、つまり、「楓」と「井戸」と「鶏冠」が合わさって、「鶏冠井(かいで)」と名付けられたのです。読みは“かえで”と井戸の“い”で訛って「かいで」で、その表記に「鶏冠に似た楓が戸のそばにある」ということで、“鶏冠”と“井”を使ったわけです。ただ、この地名の由来には他にもあるのです。

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「鶏冠井」はもっと古くには「蝦手井(かえるてい)」という地名だった場所だそうで、音として“かえるてい”が訛って“かいで”となったと言われています。そして、「鶏冠井」という字が充てられるようになったのは、1176(安元2)年に公家の徳大寺家の別荘がこの地に建てられたことに由来していると言われています。中国では、宮殿の周りに楓を植える習慣がありましたが、それにならって、徳大寺家の別荘の周りにも楓(別名:鶏冠木〔かえるで〕)を植え、しかも、その別荘の近くに井戸があったことから、別荘は「鶏冠井殿(かいでどの)」と名付けられ、地名も「鶏冠井(かいで)」と表記されるようになったのだそうです。

どの説を信じるかは別として、いずれの説も“楓”と“井戸”に深い関係があったことは確かなようですね。

以上、今回は『天使突抜』、『元悪王子町』、『鶏冠井』の3つの一風変わった地名をご紹介しました。では、次回をお楽しみに。

(写真・画像等の無断使用は禁じます。)

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